奥秩父 甲武信岳 こぶしだけ |
2006年 3月20日−3月21日 緊張。美。充実。 太平洋側の山の3月は、雪の多い季節だ。となると、春分の日がらみの連休はかなり重要かもしれない。昨年もこのときに登った蓼科も、満足いくものだったしな。 で、週末。天気図を見ると、土曜の夜から日曜の朝にかけて二つ玉低気圧通過。日本列島を大嵐にする、恐いパターンだ。そんな日に山登りに行くと死んでしまうので、2泊周回コースの計画を甲武信岳往復コースに変更をしよう。 今回は、登山口まで車で来てしまった。月曜の始発に乗り、バスを乗り継いで来るよりも、日曜日の夕方からだらだらと運転して、登山口で車中泊したほうが時間的にも肉体的にも楽だ。家で無為に時間をつぶすよりも、時間的余裕を作るほうが重要だ。夜10時ごろ西沢渓谷に着き、道の駅の駐車場で一泊。 8:30、西沢渓谷を出発。見上げる頂はそこそこ白いが、樹林帯の山は見かけ以上に雪が多いというから、上のほうはかなり多いのかもしれない。 が、このあたりに雪の気配はない。単調な登り尾根だが、カラマツの落ち葉を踏みしめながらの静かな道だ。頭の中を考えごとしているような、何も考えていないような状態にして、ポツポツと登っていく。 土であるような木であるような、倒木としての晩年 10:30、 との合流地点、標高2000m弱。このあたりから雪が現れ始めたので、アイゼン装着。
今日は一人だろうなと思っていたが、足跡から判断するに、どうも前にもう一人いるらしい。 山梨からも、富士山はでかい 雪は、くるぶしがうまるくらい。
アイゼンの裏に30cmばかりの高さとなってくっつくが、うまい具合にかかとのほうにばかりくっつき、ハイヒールのようになる。その傾きが山の斜面にマッチして、階段を歩くような状態になって都合が良い。 足元に埋まった標識 展望のないトクサ山を越え、14時甲武信小屋着。すぐ後にお姐さんもやってきた。 甲武信小屋とその内部 甲武信小屋の従業員は12/1に下山してしまったらしいが、小屋のの一部が冬期小屋として開放されている。20人くらいは楽に寝られそうな部屋に、貸し出し用の毛布と寝袋が5,6個。 暖房は使えないので寒いことは寒いが、使用者のマナーが感じられるような清潔感。テントよりも広々と使えるし、安心感がある。 ノートの記載を見ると、12月から10数人が利用したらしい。 こういうものの存在が生死を分けることだってあるから非営利目的でやっているのだろうが、大変ありがたいことだ。 途中でお姐さんとすれ違って、小屋から頂上までは20分程度。甲武信岳は標高2475m。かなり高い山である。これより高い山を持つ県は、静岡、山梨、長野、岐阜、富山、新潟、石川、群馬、栃木、埼玉と、全国47都道府県のうち、わずか10しかない。北海道、東北、近畿以西の日本にはこれほど高い土地はないのだ。 甲武信岳は、分水嶺の山としても有名だ。ここで立ち小便をすればすぐに凍るだろうが、春に溶けたらその一部は日本海へそそぎ、一部は太平洋へそそぐというやつだ。立ちしょんしなかったがすれば良かった。 他にも分水嶺の山なんてたくさんあるが、ここが有名なのは千曲川が意外なほど入り込んでいて関東から近いからだろうか。 小屋に戻ると、もう一人おじさんが到着していた。朝一のバスでやってきたということ。 夕方。 風が強い。今夜の星は申し分の無い輝き。 日ノ出は今イチ。霞んだ空の向こうに、なんとなく昇っていた。 今日はどうするか。頑張れば、稜線を歩いて雁坂峠まで行くことは可能だろう。埼玉県の最高峰、三宝山を踏んで帰ってくるのはそれよりも楽そうだ。 8時半、小屋出発。昨日掘り進んだ道を戻っていく。 11時半、西沢渓谷。柔らかい光に満ちて、早春を絵に描いたような世界。たった2時間半前は厳冬の中に居たのに。 途中から合流した、昨日同宿したおじさんを乗っけて、西沢渓谷へ向かった。(けど道に迷って、甲斐大和まで行ってしまった) 星の写真集出しました。 このときの写真使ってます。 リンク付近の山: ▲雲取山 ▲大菩薩 夏 ▲茅ヶ岳地図上のアイコンをクリックすると、該当ページに移動します :登山記 :今日のごはん :自転車旅行記 |