GWの小笠原へ行くのは3年ぶり。なんだか今年は妙に知り合いが多く、ちょっと恐縮してしまう感じである。 普段からよく会う人達で既に10人程度、顔が分かる程度の人や、知り合いの知り合いまで含めると、その数は倍増する。旅行というより、一種の合宿のような様相である。
東京湾出たあたりから揺れが強まり、間もなく撃沈。翌日まで寝込む。 久々に相当酔った。
朝になってようやく船酔いから立ち直る。
母島丸の乗り換えまで、昼飯を食べる程度の時間がある。 船酔いもだいぶ落ち着いて来て、食欲も回復。町の食堂といった感じの「波食波食」にてチャンプルー定食。
今年の母島YHはヘルパーがいないらしく、食事の支度を手伝う。 大して役に立たなかった気もするが、報酬にビールを頂いた。
カヤックが届かない。
宅配便の重量制限を超えているので、日数指定のできないヤマト便で送っているのだが、10日も前に送ったのにまだ届かず、港行ってヤマトのチッキを見せてもらっても、どうも無さそうな様子だ。
となると、次に届くのは4日になるらしい。1日程度の遅れなら問題ないが、半分乗れないのもなぁ。僕はまだ良いとしても、4日の便で帰るジダンにとっては、カヤックと入れ違いで帰ることになってしまう。
困ったなぁ。今日の皆の行動予定が立てられない。
右往左往しながら再度港に確認しに行くと、段ボールの山の中に埋まった我々のカヤックが発見され、一安心。
まぁ、軽いトラブルは旅の演出である。少しくらいのドキドキ感はスパイスだ。
朝方の曇りがちだった空模様も、徐々に晴れてきた。残り2艇のカヤックを組み立て、南崎へ向かって出航。総勢4艇6人の大艦隊だ。
不思議なものだ。
僕が初めて母島に来たのは7年前。そのとき、わずか2、3泊同宿しただけの縁なのに、今けっこう続いている。客数は18人程度の小さな宿だが、そのうちの1/3くらいが今回の小笠原に来ていたりする。
がーこ隊長はまた珍しい冒険のジャンルを創出。
7年振に母島に来た動機は、未開拓の岩登りルートに挑戦するためらしい。
登れそうな岩場を見繕ってどんどん登っていく。
テクニックだけでなく、ホールドの強度の見極めと、恐怖心との戦いが問題のようだ。
南崎に上陸してひと泳ぎ。
小笠原のゴールデンウィークは、泳ぐ気になるかギリギリの季節だが、晴れた日は我慢少なく泳げる。
いっぱい遊んで、ごはんが美味い。
母島ユースのごはんが美味しく、献立が多彩になるのは、料理好きのお母さんの家庭料理が出てくるからだな。
宿泊者は田澤家の食卓に招かれているようなものだから、当然毎日違うメニューが出てくる。
昨日は南方面へ行ったから、今日は北方面を目指そうか。
我々の未開拓地、西浦以北まで行けると良い。今回は気心の知れた4艇が集まり、大艦隊が組める。
が、島中は濃い霧の中。出航のメドはたたず。
がーこ隊長と我々夫妻は、近所で岩登りポイントを探索する。
初めに目をつけた鮫が崎は良い場所が無く、脇浜の奥のボルダリングジムのような岩壁は、つかんだホールドが半分くらいの確率で落ちてくる。対岸の石次郎海岸まで移動すると、ホールドの強度はだいぶマシなようだ。
とりあえずトップロープにしておけば楽しめそうということだが、ロープをセットするまでは安全は確保されない。 そこらへんは、やはりがーこ隊長がフリーで登っていく。危険な行為だが、一歩一歩ホールドを確かめながら登っていくあたりが流石である。
いろいろ新しいルートを開拓しようとするも、ホールドは不安定。 岩がどんどん外れ、結構こわい。
昼食時には皆が合流。
プライベートビーチサイズの砂浜の中央で、生春巻き大会となる。
その後もクライミングを続ける。けっこう一日中楽しめた。ヘルメット、ハーネス持ってきて良かったな。
最後にがーこが登った難しそうなルートは、ホールドがすべて安定していたとのことで一発クリア。ルート名は「隊長」と命名。
終わってみれば一日中岩登り。カヤックよりも疲れたが、割と満足感のある疲労だ。
自然相手の遊びって、天候によってできるものが変わっていくが、今日の天候に岩登りはマッチしていたな。
明日と明後日で大部分の同宿者が母島を離れる。 今夜はお別れ会ということで、音骨のライブ。
久しぶりに会ったオトボネ夫妻とは未明まで飲み続けた。(1年を置かずに会ってはいるが、友達としては久しぶりだ)
眠りについて間もないころ、悪夢に襲われる。
目を覚ましてみると、それは悪夢ではなく、それよりも非道い現実だった。
ドアの外から、断末魔の雄叫びが聞こえる。
目が覚める前から薄々感じていたように、その声を上げるのはオトボネ氏だ。
とても恐ろしいことが起こっている。
足先は痙攣し、首は血まみれだ。頭を押さえ、吐血し、必死に痛みを訴えている。
何が起こっているんだ?
昨夜は、基本的に楽しく飲んでいたはずだ。今後のエネルギー問題について熱く語り合い、そりゃもちろんすべての点で合意はなかったにしろ、やはり僕はオトボネ夫婦大好きだなぁと改めて思った。
ただ、彼が心の深いところで、すごく不安になっているのは感じていた。
彼の不安を受け止めることができたかと言うと、自信がない。それがこういう結果につながっているのだろうか。
付近は血で赤くなっているものの、出血量自体は大したことない。即死ということはなさそうだ。
が、あごのあたりをざっくりと深く切っているし、頭を抱えて痛がり、身体は冷たくなってくる。中枢に関わるところの大ケガだ。どうなっちゃうか分からない。
ほんの2時間前まで一緒に楽しく酒飲んでいたはずなのに、YKKちゃんは泣き崩れているし、一体なんでこんなことになってるんだ?
理解もできないまま、かけつけた診療所の先生や看護士さんと共に救急車に乗り込む。ケガしたオトボネ氏を、診療所まで御神輿のように運び、院内で待機。
現場の状況から推測すると、どうも階段から落ちたらしい。
1、2m程度の階段の踊り場から転がり落ちて、あご付近を強打したものと思われる。
宴会の途中で眠ることが多く、記憶がなくなることも多いらしいオトボネ氏だが、昨夜はずっと意識がはっきりしていた。最後は水ばかり飲んでいたし、今日はいつもより安心だと思って玄関まで見送りもしなかったのだが。
こういう時に、一番つらいのはYKKちゃんだろう。無駄に自分を責め、見ていていたたまれない。 ケガした本人も辛いだろうが、とりあえず昏睡して眠っているようだ。 時折呼ばれるとやはり御神輿のように、検査器から検査器まで運ぶことくらいしかできないし、そちらは先生に任せよう。母島にCTスキャンがあったのは驚きである。
まぁ、YKKちゃんに対しても、僕が具体的にできることは大して無さそうだが、一緒に居た方が落ち着くだろう。どこかへ遊びに行けと言われても、こんな状態では気が乗らず、上の空でパドル漕ぐのは僕にとっても危険だ。
オトボネ夫妻のヘリ搬送は午後になるというので、それまで一緒に居ることにした。こういう時は、何かしら実務やっていた方が落ち着く。最悪保険証さえあればどうにかなるんだろうが、ああでもないこうでもないと言いながらヘリ搬送の支度をした。
昼過ぎに、雲の中からヘリの音が聞こえた。視界が悪く苦労したようだが、どうやら無事に離陸していった模様。旅人の憧れ(?)、硫黄島経由である。
まずは一段落かな。
ユースに戻り、カヤック組と合流。庭で自炊大会となる。
前日こねておいた小麦粉で水餃子を作ろうと思ったが、どちらかというとラビオリだな。野菜、パスタソース、ソーセージなどで作ったスープに入れると、意外なほど美味しい。適当に作ったとは思えない。
午後、話を聞きたいと言うことで警察が来た。
とりあえず僕が情報整理したから説明すべきかなと思っていたが、なんか応対がおかしいぞ?どうも容疑者として扱われているようだが。
オトボネ氏のケガはアゴの回りだけでなく、鼓膜が破れていた。
階段から落ちて鼓膜が破れることはないらしく、何者かによって殴られた可能性が出てきた。
となると、昨夜は酒に酔ったあげく、白熱した議論の末に日本のエネルギー政策はそんなんじゃ駄目だコノヤローと僕が殴った、というようなストーリーが描けることになる。
まぁ、今となってはケガした本人も事故当時の記憶は飛んでしまったようだし、真相は闇に包まれたままになった。真犯人はほっとしているだろう。
長い一日だった。
オトボネ氏の容体は、まだ予断は許されないものの、致命傷や後遺症が残るような状態は避けられそうなようで、一応は一安心。
島に残った我々としては、とくにできることがある訳でもなし、一生懸命遊ぶことが彼らのためにもなろう。
夜、母島に移住したしっぽちゃんが遊びに来た。別の宿に泊まっているがーこ隊長が遊びに来るのも毎晩のことだ。
7年前、ここで同宿した(しっぽちゃんはヘルパーだったが)人たちの何割かがまた一緒に酒を飲んでいる。旅先の出会いというのもあなどれないものだ。
今日は前半組の出港日だ。
昨日の睡眠不足にもかかわらず、早朝から乳房山登山に突き合うことになる。予想どおり大変眠く、中腹くらいまで登ってようやく目が覚めてきた。
ここの登山道の一番気持ちいいところは、頂上を過ぎた後の海と空に包まれた稜線歩きなのだが、真っ白いガスの中なのはやはり残念だ。 まぁ、朝の散歩のちょっと大掛かりなものだと思えば、気持ちの良い朝ではある。
静沢の戦跡を散策。
身近なところで手頃に楽しめるコースだが、そのうち立ち入り禁止になってしまいそうな場所だ。
真っ暗な洞窟から這い出ると展望台、というところが気に入った。
近年新しくできた母島一の高級ホテル、南風。しっぽちゃんやオトボネが働いているらしいが、お昼ごはんはそこに併設されたレストラン、アウストロに行ってみた。
じっくり煮込まれたカレーはずいぶん旨かった。
同行者が頼んだチキンカツは、やたらとボリュームがあった。
午後は、カヤックのショートツアーに行こう。
同宿したダイバーに見せてもらった四本岩のマグロがすごかったから、カヤックで行ってみることにする。
先程陸から目撃したエリアだし、どこかで期待はしていた。
が、本当に目の前でクジラ出現!
ズハーっていうような呼吸音が聞こえる。こりゃびっくりだ。
四本岩周辺で泳ぐ。
マグロはどこにいるんだろう。
10mも潜ればいるらしいし、四本岩の間にいるという噂は聞いたことはあるものの、ちょっと中に入って行く勇気はなかったな。
波は少ないといえど、外海なのでうねりは入ってくる。岩の近くで身体が1mも上下させられると、結構こわい。
どんな一日になるのかは、天候に左右されるところが大きいのだが、このGWは、大体同じようなベースで安定しているようだ。
風や波はほとんどなく、空は薄曇りで時折日が差す。日によって、霧の量が増えたり減ったりで、霧が多い日は遊びの種類が極端に減り、少ない日はかなり理想的な条件になる。
今日もそんな感じで、朝のうちはやや多かった霧が晴れてきたので10時前に出航。ササキ艇に僕の後輩、我々夫婦の2艇4人。
昨日は北方面へ出たので今日は南方面。霧が出る可能性も西方面の向島は、今日は行きたくないな。
やっぱり霧に覆われた。
まぁ母島周辺の海はタンカー走ってる訳でもないし、風も波もない。
沿岸が見える程度のところをゆっくり漕いでいく。
南崎で昼ごはん。
一昨日の小麦粉生地が残っているので、今日もラビオリに。そしてナン。要するに適当な小麦粉料理だ。
南崎は何回も来ている。
少しくらいは行動範囲広げようと、近くの小島を周遊。鰹鳥島とその群島をくるっと回った。
鰹鳥島には、狭いトンネルが開いていた。カヤックでギリギリ通れるかどうかというくらいだが、うねりが入ってくるので入る勇気はない。
こんなところがーこ隊長じゃなきゃ通らんと思っていたが、やはり彼は数年前ここを抜けて行ったらしい。
本日のカヤックはササキさん休養。我が新妻は北港方面へ行き、僕は國さん夫妻と南方面へ漕ぎ出す。
天候はまぁまぁ。ここ数日と同じく、海は無風ベタ凪で晴れ時々ガス。
僕は久しぶりに一人乗り仕様。船体が沈まず、自分の好きなように漕ぎたいように漕げる。自由に移動するという点では、一人乗りの方が快適だ。
國さん夫婦はパドル操作に慣れず、蛇行しながらもどういう訳かやたらと早い。
二人でギャーギャー言い合いながらぐんぐん進む。
とりあえず目指した蓬莱根まで、なんだかあっと言う間についてしまう。
ひと泳ぎした後に、南崎行くか、それとも平島まで行ってしまうかと相談したところ、先に遠いところまで行ってしまおうということになり、平島を目指す。
進み出すと、だんだん霧が濃くなり、対岸の向島が見えなくなる。方位磁針を頼りに進んで行けば問題はないが、気分的にはあまり良いものではない。
周囲の小島の向こう側に当たる波音を聞きながら、30分強も漕ぐと平島が見えてきた。その手前の二子島の砂浜も上陸できそうだが、とりあえず平島を目指す。
平島には、浜が二つある。母島の港からも二つの白い浜がよく目立つ。
とりあえず近い方の浜に行こうと思ったが、海岸線に白波が立ち、サーファーは喜ぶだろうが素人カヤック乗りには怖い。もう一つ先の浜まで進む。前回母島に来たときに、地元の方のプレジャーボートで乗り付けた浜だ。
こちらの浜は波がたたないコースが取れそうだったので上陸をする。浜の中央付近に小島があり、この島の奥から回り込んで上陸した方が、より安全だった。
上陸してお昼ごはん。蓬莱根からはちょうど1時間くらいだったかな。
白い浜には、亀の産卵のキャタピラ跡が数条。霧のむこうに乳房山の頭が見え始めた。対岸の母島から携帯電話の電波は届くようだ。
あまり長居はせず、13時ごろ出航。霧のエリアは北上し、だんだん周囲の島々が姿を現す。二子島寄ろうかとも思ったが、なんだか沖に出てしまったので南崎方面を目指す。
途中、潮流のぶつかるところでは波がバシャバシャとたち、波に乗ったり流されたりするが、カヤックの移動に関してはそれなりに問題なく進める。
潮流の向こうの南崎、意外と上陸しにくそうなワイビーチを避け、再び蓬莱根へ戻る。帰りも1時間くらいだった。
本日の出航パーティは、アーティスト不在のため食って飲むだけとなり、残念である。
講演まで散歩したが、亀は産卵していないようだった。
低気圧が本州付近を通る影響で、前線が北に引っ張られた。小笠原周辺はこれまでで最も朝日が期待できそうな気圧配置なため、翌朝に備えて早めに就寝。
母島は、四方が海に囲まれた小さな島なのに朝日ポイントが少ない。朝日を見に行こうとなると、最南端の小富士だとか、最高峰の乳房山だとか、新ヘリポートだとか、いずれにせよ徒歩1時間はかかる。
その中から、高度差はあるものの最も集落に近く景色もよい乳房山へ朝日を見に行くことにする。
出発時には雲が7割、星が3割くらいの夜空。まぁ、可能性はありそうだから、登ってみないことには始まらない。
途中の展望地でみれることを期待して右側から登る。60年前の戦地になったジャングルの夜道だが、まぁ数日前にも登ったし、夜登るのも初めてではない。怯える妻を鼓舞し、標高と共に濃くなる霧になかば諦めつつも、山頂まで向かう。
登山口から1時間程度の、途中の展望地も朝日が見えそうな方角だった。
山頂付近はガスに巻かれ、日の出はまったく見れず。周囲の真っ白さがだんだん明るくなるだけ。数日前の乳房山登山と同様、勝ち負けで言えば負けかな。 とりあえず早朝の東の空へ向かって、オトボネの治癒とYKKちゃんの幸福、その他もろもろをお祈りしておく。
天候はベストではなかったかもしれないが、GWとしては相当良い部類だったと思う。大体同じような傾向の1週間で、昼間のうちは晴れている時間が半分くらい、霧が出ている時間が3割くらい、残りが雲っているような感じだったかな。
海の状況は良かった。海水温度は低めだったらしいが、毎日無風べた凪。カヤック濃いで自由に移動できるし、泳いでも透明度は高かった。
日差しが強いので、最初の冷たさに我慢すれば、それなりに快適に泳げる。
結局、カヤックを漕いだのは4回。南崎2回、四本岩1回、平島1回。 平島にカヤックで行ったのは初めてだし、カヤックから鯨を目の前でみたのも初めてだ。
小笠原が世界遺産に登録されそうな見込み、というニュースを聞いたのは、他家芝に戻ってからだ。出港時にテレビカメラが来ていたが、その影響だろうか。
僕自身は単なる一旅行者なので特に反対も賛成もないが、自然遺産に登録されるほどの価値があるかというと疑問は沸くなぁ。
海の美しさは掛け値のないものだが、島の中を歩いていて受ける印象は、やはり戦争の傷痕。島内は「手付かずの大自然」という表現には遠く、どこを歩いても塹壕、要塞跡となっている。70年も前は、オーバーユースどころの話ではなく、恐らく国家的事業で開発されまくったに違いない。
島内の自然をたたえるならば、その手付かずさというよりは回復力。有史以来、人間に知られていなかった島に、人が住み始めたのは明治の始めごろ。それが100年足らずで相当開発された。
戦後、母島は20年ほど無人島であった期間があるが、自然が回復したのはその期間なんじゃないかと思う。
それよりも、小笠原諸島には人類が忘れちゃいけないモニュメントがある。
硫黄島だ。
太平洋戦争最大の激戦地、称賛すべきいろんな勇気と知恵と、地獄のようにひどい様々な日常があったらしい。
我々人類はそこまで愚かにも勇者にもなれる、ということを後世に伝える土地だ。どこの何よりも、まさに世界遺産にふさわしいと思うのだが、だれかが推薦して登録に向けて運動しないと駄目なんだろうな。
まぁ、小笠原の知名度が上がったことは、周囲の人にはいろいろ説明し安くなった反面、いざ島へ行った場合は立ち入り禁止区域が増えてちょっと面倒、というくらいが僕への影響かな。
●これまでの小笠原旅行
・2007 GW
・2006 GW
・2005 GW
・2004 GW
ということで今回は僕にとって6回目だった。
帰りは順調な航海で、酔いもせず。
竹芝には誰かしら迎えにくるとは思っていたが、その数が尋常でなかった。
前半帰った人だけでなく、いろんなところから20人くらい来てただろうか。
旅行帰り、出張前など、GWの終わりは案外いつものメンバー15人くらいで大門の天狗へ。明るいうちから飲み始め、22時頃に解散。