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2005/04/28・29


出航

まったくヤツの早さときたらまさに電光石火、猛禽類がエモノを狙う急降下であり、マッコプクジラが海面を目指す急上昇である。「あ、そろそろヤバイかも」と感じたときは大方既に手遅れ、トイレにかけ込まなければならない。そんな事態に備えて、船の中には要所要所にビニル袋が備えてある。が、まさに今!という瞬間に袋をちぎって開くというような複雑な作業ができるか。その衝動は、性欲や睡眠欲を軽く凌ぐ。

何の話かというと、例によって船酔いの話だ。
で、一回吐いてしまうと症状は急激に緩和する。その結果、自分の体液と対面する冷静な自分、という場面が生まれる。性欲を処理したときの気分が近いだろうか。ヘンな気分になって出せばすっきり。 洗面所の洗面台には格子がついているもんだから、そこに水たまりができる。で、こっちはもう冷静になっているので責任感が芽生えてくる。手元にあったコップを駆使して、便器と洗面台を往復するトホホな場面へ移行する。

世の中の人間は酔う人と酔わない人に大別されるみたいで、酔わない人は本当に酔わない。が、悲しいことに僕は絶対的に前者だ。しかしいつまでも酔い酔いキャプテンでいるわけにもいかない。
今回の船旅は、割と上手に送れた。上記のような場面は酒が切れて、眠る前の一瞬で、特に辛くもなかった。

船に乗る前は毎回インターネットの波浪予報をチェックしているが、そこから予想されるシナリオどおりの展開。前日まで台風がいたようだが、波が高いのは常陸沖。東京湾を出たころが一番高く、南へ向かうにつれ、時間がたつにつれ穏やかになる。
今回も一応一人旅なのだが、船内をうろつくと知った顔がちらほら。去年あった人や、会社の同期も乗っている。彼らを捕まえてだらだら呑んでいればいい。とはいえ、25時間も酒に酔いつづけるとダメ人間になってしまうので、たまには船にも酔っておく。

父島までは快晴の船旅、父島からは空がどんより。クジラは一度だけ遠目に見えた。


今日の母ユースはほぼ満員。全員が今日からの宿泊。半分程度見たことがあるというのはちょっとどうなんだろうということもあるが、結構みんなすぐ顔見知りになってしまうので大きな問題はない。
1年前に一度きただけなのに顔を覚えてくれてた。やっぱり嬉しい。


亀が産卵していた
 

2005/04/30

今日は佐々木艇によるシーカヤックツアー。 「おまえも買え」って洗脳されっぱなしのツアー。母島、南崎の宝石のような海岸線を目指す。

シーカヤックってやっぱり早い。砂浜から離岸してちょっと漕げばあっというまに沖合に出る。 陸上と視点が違う。旧日本軍の作った砲台なんか、海からは簡単に見つけられる。
自力で漕いで、静かに漕いで、砂浜があれば簡単に離着岸できる。海の自転車というイメージ。エンジンボートだとこうも簡単に上陸できない。 波の音と、風の音と、櫂の音しか聞こえない。洞窟に突っ込んだり、交尾中のカメに遭遇したりできたのはそんな気軽さによるものではなかろうか。

南崎で同宿した人たちと合流。写真撮ったり魚突いたりして遊んだ。佐々木さんはカヤックのPRに大忙し。たたんで持ち運べるカヤックは、10万〜30万とのこと。


 

2005/05/01

小笠原といっても、意外と気温は高くない。新潟に負けているよ、などと苦笑する日もある。 今日のように曇った日は泳ぐと寒い。まぁあまり頑張らないでいいや。
自転車借りてサイクリングをした。同宿した人たちは、カヤック組が西浦、レンタカー組が北港へ向かうとのことなので、そこいらを目指す。

まずは西浦。集落からは比較的距離のない石の浜だ。特攻艇の残骸の残る洞窟があるが、道がわかりにくいためマイナーな存在のようだ。
今日は道の状態が悪い。数日前の雨で粘土質の細い道は滑るし、ところどころ植物が道を隠している。ここ数日間、人が入っていない様子。ヤブコギ、ルートファインディング、川の渡渉で結構緊張した。あまり頑張らない日でも冒険になってしまう。

やっとの思いで浜につくと、湾内にはイルカの群れが飛び跳ねている。佐々木艇は数分前に出船したようで、声をあげるとこちらに気付いてくれた。すぐに戻ってくるだろうとしばらく待っていたが、そのままイルカの群とともにどっか行ってしまった。

あ、畜生。置き去りにされた。敗残兵士のようだ。暖かい紅茶でもふるまおうと思っていたのに、準備しておかなくて良かったぜ。

特攻艇は洞窟の奥にある。暗くて良く見えないが、5人乗り小型プレジャーボート程度の大きさ、潮風にさらされ、朽ち果てている。古い小学校の体育倉庫にでもあるような空気感をもっときつくした感じだろうか。
どんよりとした雲の下、特に何をするでもなくしばらくの時間を過ごした。

こういう場所に一人で来たっていうのもなかなか味わいがある。先日読んだ登山家の本に、「山そのものの存在感、スケールは単独で登ったときにしか味わえない」というような一節があったが、それに近いのだろうか。
水脈はあるし果物もある、魚も取れるから生活できるなとか、あでも火は使って大丈夫だろうかとか、彼らの生活がけっこう具体的に想像できる。僕の場合は好きこのんでこんな場所に来るが、彼らの場合は、友人家族恋人希望趣味生活などすべてを捨てて来ていたのだろう。
いつ来るかわからない、だが確実にやってくるであろう銃撃戦に備えて、延々と続くドロドロサバイバル生活の中で、自分の生命を捨てられる覚悟ができたのかどうか。 敗戦のときから特に手を加えられず、そのまま風化して50年、というような状態である。特攻兵士の無念さが何らかの形で残っているというのは感じられる。

続いて北港へ向かう。ユース組以外にもママヤに泊まっている会社の同期が来ていて、知り合いばかりの海水浴場だ。 今日は泳ぐほど暑くないはずだが、皆熱心にシュノーケリングしている。頑張るなぁ。
大澤海岸まわったのち夕日を見ながらサイクリング。


夜中、晴れる。ヘリポートへ星を見に行く。 いつだって天気って急激に変わるもので、期待していたより早く勝負のときがやってきた。 一晩中撮影。会社同期の太田君がつき合ってくれた。 こんな時のために体力を残しておいて良かった。

 

2005/05/02

抜けるような晴天。海も山も空も、木々も鳥もユースのバルコニーも、すべてのものが光り輝いている。
こういう日は何やったって良い。一生懸命観光しても良いが、だらだら散歩して水遊びしても良い。

いやしかし他の人たちは頑張るなぁ。
母島の観光情報ってあまりガイドブック等に載っていないものだから、母島では3日もあれば十分だろうと判断し、「時間が足りなーい」と嘆くのが最頻出パターンだ。そんな人たちがベストを尽くそうとしている。 あと、初めて来た場合だと精力的に動きまわる。「もう2度とこれないかもしれない、見ておかなければ損」というような思考回路で、バージンパワーというか、別腹というか、疲労を感じさせずに動きまわる。
特に女性陣は元気だ。朝食キャンセルして山登りなど、24時間をフルに楽しんでいる。すげえなぁ。 まぁ一度全体的に回っておけば、次回来るときの計画が立てやすい。僕も初めて行く場所では動きまわるもんな。

今日の僕のメインイベントは、ははじま丸見送り。おがさわら丸の見送りダイブは小笠原名物となってい るが、こちらの見送りはもっとこじんまりとしている。見送る人も見送られる人も大体顔見知りで、内輪のみで盛りあがれる。僕はこちらの見送りのほうが好きだ。今秋からのテクノスーパーライナーの就航によっておが丸の見送りがどうなってしまうかが話題に上るが、こちらの見送りは残るだろう。
今日のははじま丸は2往復。多くの同宿者が父島へ移動するが、午前と午後、半々に別れた。
午前便はちょっと寂しく、僕を含めて2人の飛び込み。皆遊びにいてしまった。いやしかし気持ちが良い。 皆が見ている中、コバルトブルーの海に向かって思いっきりジャンプ。爽快感この上ない。これをやるために母島へ来たといっても過言ではない。
だが飛び込み禁止ゾーンから飛び込んでしまったようで、警察から注意を受けた。「単純に飛び込むだけでは面白くない」と、演技指導も受けた。午後に備えてしばらく練習。


御幸ヶ浜で泳いだ

午後はにぎやかになった。カヤック組、元ヘルパーで母島在住のしっぽちゃんなど、4,5人で飛び込んだ。
午前の反省を生かし、小道具として釣り竿を使用。飛び込んだ際に竿が伸びたのが目立ったようだ。
まぁ「行ってらっしゃーい」「さよおーならあー」と叫んでみたところで、明日にはまた顔をあわせるのだが。

見送り後、皆で飛び込みの研究。予習と復習。
「観光に来た」→「名所を回らなければ」「ツアーに参加しないと」という発想に陥りやすい。でも桟橋から飛び込んでいるだけでとっても楽しいし、非日常的だ。特に動きまわらなくたって良いと思う。

夜、呑み会。3日間一緒に遊んだ人たちは父島へ行ってしまったが、新メンバーの人たちもやっぱり「小笠原に来るような人たち」だった。


一般的には同じ宿に3泊も泊れば長逗留なほうだろうが、ここでは1ヶ月単位で泊る人も珍しくない。5泊6泊なんてむしろ普通。3日目には同じ料理が出てきたなんていうのでは話にならない。

母YHでは、毎日恵子さんが手を替え品を替え、島の食材(たまに北海道の食材)を使った料理をふるまってくれる。出てくるのは、小笠原料理というよりはやっぱり恵子さんの料理、ということだと思う。
小笠原は人が住み始めて何百年もないから、伝統料理というのがあまりないようだ。琉球料理屋と小笠原料理屋の数の差からもそのことが言える。カメ料理くらいだろうか。

でも自然環境は独特だから、島独自の食材は多い。しかくまめとか、アオパパイヤとか、島トマトなどユースの畑でとれた野菜とか、そこらへんの回遊魚とか。 それを恵子さんがいろいろと料理してくれる。(解説聞かないと呪われる?) 母島YHの食事のおいしさは有名だが、それは恵子さんの人柄も含めてのおいしさということだと思う。
僕は山小屋に泊ったときなどは、夕焼けの時間を写真撮影に使うために自炊という選択をすることが多いが、ここはあまりそういう気分にならない。

 

2005/05/03

母島の人口は約400人。現在宿泊している観光客を入れて、600人程度いることになるだろう。
この中で、すでに1割近くが顔見知りになってしまったのではないだろうか。

今日は同じく暇そうにしていたよっしーと共に、母島小中学校の子供の日イベントに参加。 観光客向けというよりは父兄と子供のイベントで、ベーゴマやったり、鬼ごっこやったりして子供たちに遊んでもらった。何だかローカルコミュニティーにどっぷり浸かっている。
田澤家の長男、万里雄と将棋をやった。なかなか手強いので気合を入れる。気合を入れすぎて二歩して負けた。

小笠原に来たのは昨年のGWに続き2度目だが、同じところにもう一回旅行に来たのって初めてかもしれない。小笠原の自然が魅力的だというのももちろんだが、母島ユースにもう一度泊まりたくてやってきた、と言うほうが正確な気がする。ここのテラス、ここに集まる人、田澤一家の雰囲気が好きだ。一日遊びまわって、帰ってくると今日の出来事を肴に皆で呑む、散歩していると知った顔に出会う、そんな一時的ローカルコミュニティーに参加するのが心地好い。 毎年の恒例行事にはしないつもりだが、近いうちにまた行かなければな、という気になる。

夕方父島へ移動。
父島には各種ツアーがそろっている。が、当然ながら申し込みが必要だ。面倒だなぁと思っていたら 母島で同宿した人たちよりナイトツアーのお誘いを受ける。 そうだ父島に田澤さんはいないが、ヘルパーせんちゃんがいるではないか。顔見知りがいると便利だ。 彼に案内してもらって、色々と噂話などしながら光るキノコだのコウモリだの見に行った。

父島ユース名物として噂に聞くひとしさんカレーを初めて食べることができた。

 

2005/05/04

目を覚ますと大雨。
何だか無目的にだらだらしている日が続くが、今日もそうなりそうだ。もう母島Tシャツも買い直せたし、カヤックにも乗れたし、星も見れたし、あまり動きまわらなくても満足している。 もうちょっと日記を書いたり小説を読む時間があったって良い。

小笠原の魅力はやっぱり大自然を楽しむことだから、いくら計画を立ててみたところで天気がついてきてくれないことには始まらない。山行くにしても水平線まで青空が続く日と、霧に囲まれて真っ白のときではまったく印象が違うし、海だって風や波の関係で行くことすらできない日もある。 人間の都合よりも、お空の都合を優先すべきなのだが、何しろ天気予報が当たらない。177もやっていない。NHKの天気予報が唯一の手がかりだが、まぁ参考程度である。やっぱりその場その場でのお天気次第で遊ぶのが良い。

お昼になって雨があがったので宮の浜へ泳ぎに行った。近くに海があって、閑人も側にいるので退屈はしない。

出港日前日はお別れパーティーなので、呑んだり歌ったり。
夜釣りに出かけ帰ってきて、また酒宴。
それが終わって、次はバー行って酒宴。
何だかヨメがどうとか、くじらのエロ小説が何とかのたまっていた記憶がある。

 

2005/05/05・6

午前3時まで呑みつづけても、結構ちゃんと起きられた。意外とタフなようだ。 今日は快晴。島に残って遊べる人たちへの嫉妬もわからないでもないが、船旅だって天気が良いほうに決まっている。海況も良さそうだ。 出港前にはビジターセンターの展示を見に行った。小笠原の歴史、自然、小笠原固有種が人間の持ち込んだ外来種に、あっと言う間に絶滅させられることなどが詳しく紹介されており、興味深かった。 欲をいえば領有権の歴史と戦時中のことをもっと詳しく知りたかったが、そういう汚い話は展示しにくいのだろうな。


グリーンアノールという外来のトカゲ。
体の色が変わる可愛い奴だが、こいつが小笠原の固有種を食べつくしてしまうらしい。
確かにこいつらはそこらじゅうにいた。

昼過ぎ、豪勢に見送られて出港。この見送りは、高速船が就航したらどうなるのだろう。 船は超満員だが、周囲は知り合いで占められている。そう窮屈は感じない。

父島ユースには鏡通信というイベントがある。 島を離れる者はおがさわら丸から、島に残るものはウェザーステーションから、太陽の光を鏡で反射させることで別れの挨拶とするイベントである。 これがもう光る光る。出港から1時間、婿島列島のあたりまでそれは続いた。 島影もおぼろになってきている。もう既に向こうからは船は見えないと思う。それでもまだ向こうから合図があるということは、こちらの努力が伝わっているのだろう。忍者が狼煙の代わりに使うというのはマンガで読んだことがあるが、これを別れの挨拶に使い出したのは誰のアイデアなんだろうな。 確かに鏡でお日さま反射させれば、数kmまで届くと言うのは頭で考えれば何の不思議も無い。 だが実際このように水平線のあたりから感情が伝わってくるのを経験するというのは、頭で理解する以上の何かがある。 これで遭難したときだって、鏡一つで死なずに済むな。

だべる。呑む。写真の上映会。呑む。眠る。夕日を見る。呑む。だべる。UNO。寝る。新規開発のババ抜き。呑む。
凪の海。25時間の船旅というと皆いやがるようだが、この楽しさを知らないのだろう。移動と言うよりは25時間続く宴会。今回仲良くなった人以外にも、父−母の移動ですれ違った人、知り合いの知り合い、噂を聞いていた人々と話す機会もできる。 やっぱりお家に着くまでが遠足なのだが、船が着くまで楽しみが続くと言う意味だ。

小雨の竹芝桟橋、定刻どおりに到着。東京湾に入ってからかなり時間がかかったが、時間あわせをしていたのかも知れない。
で、船が着いてもやっぱり呑んだ。何次会になるのだろうか。曜日感覚とかなくなっているが、丸三日くらい呑みつづけているのではなかろうか。

2004年版小笠原旅行記

小笠原に集まる人

島好き・辺境好きが多い。まぁあたりまえだが。
人の流れとしては、屋久島、利尻礼文、竹富あたりと近いようで、皆そのあたりの噂話をしている。特に国内の離島に関しては、どんなマイナーな島を話題にしても誰かしら行ったことがあるという人がいて、はり合うのが馬鹿らしくなってくる。山好き、ダイバー、チャリダー、外国旅行派、お遍路さん、18キッパー、釣り人、バイク乗り、3人集まれば2人はそんなたぐいの人。
長距離旅行、一人旅は小笠原が初めてっていう人だって多いが、彼らの数年後の姿も容易に想像できる。

職業は公務員、メーカー、NGO、フリー、ライター、学生なんていうのが多く、金融機関とかマスコミ、広告業界などは聞かなかった。世の中の職業の割合がどうなっているかは知らないが、偏っている気がする。小笠原に来ているのが休みとりやすい職業と言うことだろう。 GW意外なら無職の人たちの楽園になるのだろう。

年齢不祥の人が多い。学生かと思ったら30代だったり、若いくせにやたら落ち着いていたり。 年齢並べ替え問題やったら絶対に当たらない。

島の産業

特に母島では、何だか観光業にはそれほど頼っていない感じがする。GWのかきいれ時でも、お店も休みをとっていたり、特に観光客向けのイベントも無いし、観光で稼いでやろうという雰囲気が感じられない。 割高なツアーもあるが、設けようと言うよりは価格設定がおおざっぱなだけという印象。 目立つのは公共事業だろうか。道路も立派だったし、人も住んでいないところに立派な港を作り、釣り好きがイカを釣るためだけに利用されている。学校も立派だ。芝生の校庭で、現在も工事をしていた。 そういえば学校の先生にもずいぶん多いよな。人口400人の島で、10〜20人ほどいたようだから先生率2%だ。それぞれ4人家族なら、島民の1割が先生の所帯ということになる。 まぁこういうところには人が住んでいると言う事実だけで国益につながるのだろうから、税金を投入してでも職業作っているのだろう。

漁業は、伊豆諸島なんかに比べるとそれほど盛んでもないのかもしれない。そりゃ確かに漁船もあるが、島民が食べる分だけまかなっているだけで、輸出はしていない感じ。 魚はいくらでもとれるが、小笠原在住の漁師さん自ら「内地の魚のほうがおいしいだろう」と言っていたし、獲ったところでおが丸で一日かけて運ぶのも大変だ。漁船で1000km彼方の市場まで売りにいったって燃料代出ないのだろう。 カメやイカは好んで食べるようだ。確かにおいしかった。

あとは農業。農業や漁業は観光よりもしっかりやっている気がする。 結局船(物資)が6日に一度しかこないものだから、お金を使う機会も少ないだろう。観光や税金で金を稼ぐのも良いが、農業や漁業でいかに自給自足できるかが重要なのだろう。

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