丹沢 蛭ヶ岳
たんざわ ひるがたけ

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2005年 1月29日−1月30日

雪山に登りたい。雪嶺を前景とした星の写真を撮りたい。
手つかずの雪原の中で自由に行動できるようになりたい。

僕は既にそのための登山靴もアイゼンも防寒具も持っている。今必要なのは実際に出かけることだ。
今回の目的地は蛭ヶ岳縦走。ここのところ良く丹沢方面へ行くが、まだ最高峰の蛭ヶ岳へ登っていない。厳冬季の主脈縦走は雪もあるだろうし、現在の僕の力量に丁度良さそうだ。アクセスも良いしね。
週末が近づくにつれ天気予報は二.転三転したが、あまり良くないようだ。出発前の予報で、土曜日の昼ごろ天気が崩れ、日曜は回復するとのこと。まぁしかたがない。

7時過ぎに寮を出て、登山口の大倉を9:15に出発。
最後に雪が降ったのは、おそらく先週の日曜日、6日前だ。中腹を過ぎるまで、雪は完全に溶けている。 天気はくもり、下り坂。雲は低く、中腹付近を覆っている。したがって、標高をあげていくといよいよ展望はなくなり、霞んでいく。まぁこんな状況ではゆっくり歩いても面白くないし、降り出す前になるべく先へ進んだほうが良い。上へ急ごう。

花立のあたり、標高でいうと1200mくらいのところから道がほぼ雪で覆われるようになる。周囲の登山者は、大体このあたりからアイゼンをつけ始めている。数年前に塔の岳へ登ったときも、大体同じような状況だった。

塔の岳12時10分。約3時間。この少し手前から雨が振り出してきたのもドンピシャで予想どおりだ。 特に空腹も疲労も感じていないので、大きな休憩は要らない。ここからは登山者も減り、雪深いだろう。アイゼンを装着し、装備を整える。ここまでがアプローチで、ここからが正式なスタートだともいえる。

ここからとたんに人が少なくなる。雪も深くなり、トレースも細い。こういう方が落ち着いて歩ける。 丹沢山までの間で、すれちがったのはわずかに一人。中年の男性で、蛭ヶ岳まで行こうとしたがトレースがなくて引き返してきたという。
それは容易ならざることだ。とはいえ、想定外の事態ではない。小屋の予約の電話を入れたときに、トレースは細く、雪は深いということは聞いていた。今日の雪と風で、道が消えてしまうことだってあるだろう。 僕は引き返すつもりはあまりない。だが、予想より大変そうで、計画より時間がかかりそうだ。

「雪山は危険」というのは一般常識で、確かにそのとおりなのだろう。では、具体的には何が危険なのだろう。 日本海側の豪雪地帯やアルプスなどの険しい山では雪崩や滑落なんかが危険なのだろうが、僕がいるのは丹沢だ。ここでの危険は道迷い、疲労ということになるだろう。
大丈夫だ、今回の僕の装備に不安はない。みぞれが降っている今も快適に行動できている。体は濡れていないし足も冷たくない。 体力にも不安はない。地図と地形を照らしあわせ、自分の現在位置を確かめる能力にも信頼が置いている。 万が一道を失ったまま夜を迎えたって、食料も防寒具も十分だ。 不安があるとすれば、僕の雪山での経験不足だが、それは現在このように積んでいるところだ。 登山口までのバスの放送で、体力、装備、計画は大丈夫ですかなどと警告していたが、その3点においては万全なはずだ。
しかし楽な道ではないだろう。トレースがなければ、新雪でフカフカならば時間がかかる。歩いても歩いても進まなくなる。また今回のコースで僕が行ったことがあるのは丹沢山までで、トレースのなくなるそれ以降の道は初めてだ。地図では1時間強の道のりだが、この状況では何時間かかるか。小屋の予約を入れたときに、かんじきがあったほうが良いといっていたが、僕は持っていない。 明るいうちにつけるだろうか。やはり色々と不安を感じる。
だからこそ楽しい。本当に平気なんだろうかという気持ちに対し、大丈夫、行けるはずだといい聞かせる。自信を持って良い。この過程がたまらない。

丹沢山到着。
あぁ本当だ。蛭ヶ岳方面の標識はあるものの、その先に足跡はない。先程の男性が試みて引き返したであろう足跡が10歩ほどついている。 あぁこりゃ大変そうだ。まずは腹ごしらえと、菓子パンをかじっていると、後ろから女性の登山者がやってきた。 彼女も少し躊躇しているが、前へ進む気持ちは十分あるようだ。
この女性に対する代名詞として、お姉さんとかお嬢さんとか呼ぶような年齢でもなさそうだが、おばさんと呼ぶのには失礼だろう。普通ならお母さんとでも呼べれば無難なのだろうが、子供がいる風でもない。晩婚化の弊害がこんなところにも現れる。とりあえずここではお姐さんと書かせてもらう。ということで、この二日間このお姐さんと行動をともにすることになる。

丹沢山から蛭ヶ岳へ向かう出だしのルートは、雪に埋もれてわからない。とにかく蛭ヶ岳は向こうだからと、樹林帯の中を二人で出発。 しばらく行くとやがて下りの尾根となり、標識らしきものを見つける。とりあえず最初の数歩を見つけることができた。

天気は相変わらず良くない。時折やむものの、基本的にはみぞれ混じりの雨だ。場所によって、ものすごい風が吹き、ザックカバーが飛ばされる。
視界はほとんどない。目に入ってくるのは白く霞んだ、眠い世界だ。100m先は見えていないと思う。後ろからついてくるお姐さんの姿も、すぐに霞んでしまう。時折わずかに木々が灰色の濃淡を見せるが、基本的に見えているのは、数十歩先まではとりあえず歩けそうだ、ということくらいだ。
その数十歩を目的地まで続かせねばならない。先の見えない中、目的地まで道なき道を続かせなくてはならない。この状況の中でも手掛かりはある。 道の傾斜、尾根か谷かピークか、木々の配置、標識、杭、鹿の防護柵、ケモノの足跡。目に見えるもの、体で感じられるものはほぼすべて何らかの情報を持っている。それらと地図をつきあわせ、自分の今いる場所を推理する。多少の誤差はあるだろうが大丈夫だ。道を失っていない。

雪は深い。地形や雪質によっていろいろだが、平均すれば足首よりも深く埋まる。登り坂や吹きだまりでは腰まで埋まる。 かんじきを持たない今、前に進むには技術とかいうよりも、とにかく体力を使うほかなさそうだ。
快適に歩けていても、何歩目かに体が不意に沈む。雪の落し穴だ。膝くらいまで雪に埋まる。これは本式の落し穴と違って、雪の抵抗があるものだからずぶずぶと間抜けにゆっくり沈む。とはいえ、その間に何か対策が取れるわけではない。もう一方の足をふんばってみたところで、その足も第2の落し穴にはまるだけだ。
体が沈みきったところでもう一度雪の上にはいあがるが、これがなかなか大変だ。左足と右足に結構な段差がついているし、はいあがろうと力をかけるその足もまた沈んでいく。まぁ、泳ぐようにもがいて、体力を使うしかない。
このとき、沈んでいく足がつま先立ちの形になっているかというのが問題になってくる。 面白いもので、アキレス腱が伸びた格好になっていると、いくら力を入れても体が前に進まない。そういう体の構造になっているようだ。 登りには何しろ時間がかかる。ありんこがあり地獄を登っているようなもので、10歩登れば7歩分くらいは沈んでいく。 まぁとにかくもがいて泳いで、体力を使うしかない。

逆に下りは楽だ。楽というよりは恐くない。かなりの急斜面でも、とにかく足を出せば前へ進める。雪が適度にブレーキをかけてくれ、つづら折りの登山道でも一直線に折りられる。クッションの上を歩いているようなもので、転んだところでたかが知れている。足や膝への負担もない。よほど危ないところでなければ、滑落したって大怪我はしないだろう。

雪道を歩いていると、我々二足歩行者の芋臭さに辟易する。時折四つ足の獣たちのトレースが現れるが、彼らはもっと自由自在だ。 彼らは優雅に雪の上を走るが、同じ道をこちらはトラクターのように耕しながら進むほかないし、あまり登山道をはずして歩くこともできない。我々の先祖が二足歩行を選んで良かったことだってあるのだろうが、このようにデメリットだってあったわけだ。

やはり同行者がいると安心感がある。歩いていて何かおかしいなと感じたとき、やや後ろからついてくるお姐さんに、そっちにルートありそうですかと聞くことができる。視点が増える。 しかも、先頭を歩いているのは僕なので、単独行でなくてもルートを探す楽しみは失っていない。 後ろからついてくるのは無理矢理誘った山慣れない友人ではなく、自分の意志でついてくるお姐さんだ。こんなところに連れてきてしまってなどと気を使う必要もない。

鬼ヶ岩という蛭ヶ岳手前の最後のピークを越える。もう道に迷う心配もなかろう。あとはひたすら進むだけだ。何とか日没までには着きそうだ。まぁ「あと少しで頂上」というところからが結構きついのだが。 今回は特にそれがひどく、霞の向こう、最後の登りの向こうにようやく見えた数十m先の小屋にもなかなかたどり着かない。

そんな我々の姿にまず小屋で飼っている犬が気付いてくれ、小屋番のおじさんとともに出迎えてくれた。 客は我々二人のみ。まぁ我々の先にはシカの足跡くらいしかなかったから、予想はしていたが。この季節は宿泊者はだいぶ少ないという。そんな状況も手伝ってか、おじさんは色々と話してくれる。 最近建て直された小屋で、清潔で新しい。ストーブで暖まり、服を乾かす。小屋があるとやっぱり安心だ。

予報どおり、朝からは快晴。ただ空が暗いうちは流れる雲が切れず、星の写真は撮りにくかった。まぁ雲だけでなく、月光と街あかりのせいでもあるが。 頂上からは、期待どおりの大展望が得られる。特に東京方面の光の海がすごい。塔の岳からは一部大山に隠されるが、こちらは東京の都市部が一望できる。その光の海の中心部は暗黒星雲のように暗くなっていて、それは東京湾なのだろう。そのなかにあるまばらの点々は多分船だ。
富士山も塔の岳より良く見える。裾野まで遮るものがなく、山中湖まで見える。 逆に塔の岳のほうが良いのは、湘南の海岸線の景色だ。南方面は表尾根に隠されてしまっている。 樹氷の中、大都市の街の灯をかき消して、冷たい朝日が昇ってきた。

8時30分、小屋を出る。 蛭ヶ岳からの道は、昨日来た東部の丹沢山からの道のほかに、北方の焼山へ抜ける東海自然歩道のコース、それよりきつい西方のひのきぼら丸へ向かうコースがあるが、焼山まで行く道が「丹沢主脈縦走路」と呼ばれることが多いようだ。今日はこの焼山コースのサブルートとなる、東野までの路をとることにした。その主な理由は交通期間だ。 数年前の時刻表を見ると、焼山登山口へのバス便は数多くあった。念のためネットで最新情報を調べてみると、この路線がほとんど廃止といっても良いくらいに本数が減っている。郊外での公共機関の減少は珍しくないが、ちょっと極端だ。もうバスで移動する人はいないのだろうか。
昨日から同行しているお姐さんは夏山の経験も冬山の経験も、大体僕と同じ程度のようだ。 話を聴くと随分いろいろなところへ縦走しに行っている。 縦走は確かに楽しい。いろいろなところへ行ける。移動しているという実感がある。 この車社会では公共の交通期間は減っており、縦走をするとなるとかなり精密な計画を立てなければならないことも多い。お姐さんもやはり同じような悩みを持っているようで、各山のアクセス方法などを情報交換しながら下っていく。

今日の道は、完全にトレースがついている。ただぼーっと歩いていたって迷うことはない。道もほとんど下り一方であり、雪に潜ったところで何の問題もない。 天気も昨日とはうって変わって快晴、紺碧の空である。 道を分けるとトレースは薄くなり、急な下りとなる。だからといってどうということはない。雪のクッションめがけて、まっすぐに降りていくのも良い気分だ。

12時ごろ、東野のバス停着。バス停前の食堂でお昼ご飯を食べ、タクシーを呼んで山なみ温泉へ。タクシーは4000円弱。八王子の乗り替えでお姐さんと別れた。

下山後、友達のライブを聴きに渋谷へ向かった。 今日の朝、僕は西の山からこの都市を見下ろしたわけだが、夕方はその中にいる。今朝見下ろしたこの地は、ほとんど星景色と変わらない光の点々だったはずだ。しかし今僕はそこにいる。あの無数の光の中、ほとんど星といっても良いようなトーキョー銀河のシブヤデス星団を形成する一つのともしびの中で、若いお姉さんが自己表現をしているのを聴いている。

たとえそこにどんなに素晴らしい世界が存在していようと、どんな生命体が暮らしていようと、何千光年も離れた我々の目にする星々は、ただの光の点にしか見えない。渋谷は丹沢から何光年も離れていないが、山頂からはやはり光の点々にしか見えなかった。
僕は他の星へ旅することは、技術的には大変困難だということを知っている。しかし同じ景色にあったもう一方の光の点には、特に意識をすることもなくその中へ入って来てしまっている。今朝方別れを告げた小屋番のおじさんなんかが、今頃この景色を眺めているかもしれない。
今は若者の街で神妙な顔つきをしながら音楽を聴いているが、たった数時間前、僕は周囲数kmにはお姐さんとおじさんと犬しかいない雪山のてっぺんでこの場所を眺めていたわけだ。見てたからなんだといわれても困ってしまうが、この視点の変化には何だか妙な気分になってくる。



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