21エモン

今回の旅は、成功したのか失敗したのか。
事故があったのだから、無事に終わらせることができたという表現は使えない。

写真を撮ってくるというのが一つの大きな目標であったということでは、失敗だ。
そう、写真を撮ることは今回の大きな目標だった。ここのところ山へ行くにしても海に行くにしても、一人で行くことが少なくなった。結果、シャッターを押す機会が減った。何だか他の人が写真撮っていると、あまり撮らなくなるし、写真撮るよりもくだらぬおしゃべりに時間を使う。今回はその流れを変えるため、自転車野宿一人旅というスタイルをとった。
自然との隔たりはテント一枚、自転車一人旅ではペダルをこぐかシャッターを押すしかない。

何かすごい写真を撮りたかった。大自然や街並みの美しさ、旅情、色彩、失笑を買うようなもの、実現できていたかどうかは分からないが、そんなことを意図して撮った500枚以上の写真は戻ってこない。
また今年も写真展を開く構想があったのだが、これで難しくなった。
月のない快晴の晩にアルプスの峠で夜を明かす。しかもそれがペルセウス座流星群極大日。僕はその夜にシャッターをきっていた。そんなこと残りの人生で難解あるだろう。でもそのフィルムを失った。もう戻ってこない。
写真を撮れなかったのだから、失敗だった。
あぁ、旅人よ。どこかのバザールで、「第3技開」と書かれたレンズのついたキスデジを見かけたら、それはかつて僕のものだったやつだ。データ残っていたら知らせておくれ。

登山家が、山へ登る。成功か失敗かはどう分けるか。
登頂できたというだけでは成功とはいえないだろう。まぁ色々な条件とかはあるだろうが、登頂できて死亡では登頂できずに生還に劣るのではないか。
登頂して生還すれば成功。別に途中でテントなくしても、ピッケル落しても、登って生きて帰ってくれば成功だろう。

僕は登山家ではないが(山登りもしたが)、最大の目標であるアルプス越えをやりとげ、生きて帰れれば成功と言ってしまう。この日記のこの箇所は、ローマの空港で飛行機乗る前に書いているのだが、まぁあとは無事に帰れるだろう。
多分家に帰ってから更新するので、これがホームページ上に載っていれば生還している。

自転車を盗まれたのは僕が間抜けだったというしかないが、強盗に襲われると言うのは、生まれて初めての経験だったが、とても屈辱的なことだ。こちらは普通に歩いているだけなのに、なんのいわれもなく、理不尽に殴られる。そして僕のものであるはずのカメラを不当に奪われる。誤ってフォーマットしたわけでもないのに、カメラを水没させたわけでもないのに、苦労して撮った写真を失う。強盗の標的にされるほどカメラが高価なものとしてみとめられているのは、カメラメーカーに勤める身としてはうれしい限りだが、そういう問題ではない。

誰だって惨めな被害者にはなりたくないだろうが、その可能性はいつだってあるわけだ。現にぼくがなってしまったように。
反省すべき点はたくさんある。しかし気が抜けていたと言っても、四六時中気をはりつめていることは無理だろうし、面白くないだろう。

穂高に登ったとき、同宿したおじさんに翌日行こうとしているコースについて聞いてみたことがある。
「この辺って険しい岩場って聞いてるけど、大丈夫なんですか。」
「危ないところでは気をつけて歩けば良いのだから、大丈夫だよ。」

それだ。危険なところではそれに応じて気をつければ良い。何も外国全部、ヨーロッパ全土が危ないわけではない。
危険なのは日本と同様、都市部の一部だ。平和で友好的で美しい場所のほうが多いことはもちろんだ。
危険なところでは細心の注意を払って、それほどでないところではそこそこ注意をして、リラックス。僕にできていなかったのはそれだ。スラム街にいたのに、油断していた。危ないところにいたのに、それを知らなかった。知らなかったではすまないことを知らなかった。駅から一番近い店なのにとか言ったって、歌舞伎町だって駅前だ。

さて、2失点目は防げただろうか。
自転車を盗られたときは、いろいろ後悔もしたし落ち込みもしたが、とり返しのつかないのはフィルム2本分くらい、まだ本当に本当に貴重なものはそれほど失っていないとどこかでは思っていた。が、その直後に大事なものの一つである、メインのカメラとその写真を失う。自転車を失うことも大損害だが、こちらのほうが大損害だったかもしれない。

襲われたときはまさか一日に2回も、とは思わなかった。不幸は連続してやってくるのは知っている。
強盗に襲われたときは、もうそのあたりがスラム街だと言うことは知っていた。知っていて襲われて、失っているのだから罪は重い。もしかしたらそのあたりの路上で、僕のカメラでも売っていないだろうかという淡い期待を持って歩いていたのかもしれない。とにかくこのままでは帰れないなと思い、現場付近の宿をとったのだが、変な期待は持たないでさっさとあきらめて次の町をめざすほうが建設的だったのか。
どうすれば良かったのが最善かは分からないが、ただもうこのような事態は二度と招いてはならない。絶対に。

異国の地でわずかな身の周りのものを除き、すべてを失った。理由もなく殴られた。わざわざ貴重な休みとお金を使ってきた結果だ。旅になんて出ないほうが良かったのだろうか。僕の試みで得たものは何もなく、大失敗だったのだろうか。

出発前、多くの不安があった。何しろ外国で自転車旅行をするのは初めてだし、言葉の問題、飛行機に自転車は乗せられるか、電車に乗せられるか、山は越えられるのか、寝る場所は見つかるか、食べもの、時間、充電はできるか・・・とあげればきりがない。
確かにその一つ一つを解決していけることができた。そう、僕にはできていたのだ。
成田への飛行機がパリを離れる。たちまち人や車が小さくなる。街が小さくなり、田園が広がる。雲を抜ける。
高度2400、2500、そう、これくらいの高さまで、自分の力で登っていけたんだ。
もう地球上のどんな場所だって、調べて、自転車こいで、到達することはできるのだ。僕はそれをやってのけた。少なくても途中まではかんぺきにできていた。僕には確かにできたのだし、次やるときはもっとうまくやれるはずだ。
そう、その経験を得ることができた。自転車も愛用の道具も失ったが、一生懸命働いて、お金を貯めればまた集めることはできる。もうどんな場所だって行くことのできる手段を知っている。一回目ですべてがうまく行くはずはない。次はもっとちゃんとできる。


藤子・F・不二雄の作品「21エモン」の最終話は、以下のように締められる。
21エモンの宇宙船は故障し、21エモン達はしばらく漂流をするものの、最後は宇宙パトロールに助け出される。
そこで相棒のモンガーに聞かれ、21エモンはこう答える。

帰ったら何がしたい?
「まず暖かい布団でぐっすり眠りたい。」
それから?
「ママの料理を腹いっぱい食べたい。」
それから?
「決まっているさ。一生懸命働く。もう一度すてきな宇宙船を手に入れるために!」

僕も彼の言うよう行動するつもりだ。肩が抜けるほど立ち読みして、自分の手料理を腹いっぱい食べて、(愛用の鍋も失った。買わなくては。)またすてきな自転車を手に入れるために働こう。
今回の旅行で、確かに多くの道具を失った。だが、そんなものはまた手に入れれば良い。僕の体はまだ健康そのものだし、そのうえ経験までつみ重ねた。
しかも幸いなことに、明日からは会社だ。

(2004 8/21)