8/14 峠へ

やっぱり山の中は気持ちが良い。いや海だって気持ちは良いが、山の空気って輝いているというか透明というか、景色が鮮やかだ。
今日もやっぱり出発が遅れる。それほど寝坊しているわけではないが、ゆっくりと朝ご飯を食べ、日記を書いて、だらだらしている。出発が11時になってしまう始末。たるんでるな。

塩野七生「ローマ人の物語」も、いよいよハンニバル登場。そこでわかったこと。
・彼は本当に戦争が強かったらしい。何だか諸葛孔明のお話のように戦争に勝っていく。
・彼はスペインから出発したという。アフリカの将軍というから、僕はマルセイユあたりまで船で行ったのかと思っていたが、別にニースもマルセイユも関係なかったようだ。
・象は当時戦車に相当する戦力だったらしいが、戦争のたびに混乱して自軍に被害を与えている。

同書のオビより。
「だが彼は、二千年たった後でも拍手喝采されたいために、あの冒険を行ったのではない。冒険が好きなだけでは、冒険はできない。そうなると、なぜあの道を選び、なぜアルプスごえを強行したのか、という疑問が頭をもたげてくる。」
彼の場合はそこを通るしかなかったというが、僕の場合はどうだろう。僕には幸いにしてローマと戦う必要はないし、残念ながら拍手喝采してくれる人は少ないだろう。してくれれば嬉しいが。
誰にも命令されてないし、わざわざ越える必要もない。冒険好きということかもしれない。好きこのんで、酔狂でアルプス越えをしようとしている。いやしかし、小さいころ自転車こいでアルプスを越えるような大人になるとは思わなかった。

ハンニバルがどこの峠を越えたかとなると、やはり諸説あるらしい。で、僕が越えるのはフランス−イタリア国境のAgnel峠。これにはいくつか理由がある。
・車道が通っていて、トンネルでない。
僕のマウンテンバイクには荷物をたくさん積むので、舗装道しか走れない。トンネルで越える峠は恐いしつまらない。第一自転車で通れなさそうだ。
・それなりにきれいな山がある。
近くにMont Visoという3841mの山がある。きっときれいだろう。
・北過ぎない
当初はもっとスイスのほうの峠に行こうと思ったが、日数がかかりそうだ。が、今考えれば電車をガンガン使えば可能だった気もする。

フランス−イタリア間を通る車道は数えるほどしかない。そうなると、選択肢はほとんどなくなる。

というわけで、そのAgnel峠を目指す。
山の中の小さな村をいくつも通っていく。
アルプス超えである。基本的にはずっと登りで、きついことはきつい。が、覚悟していたほどではない。
山が大きいためか、比較的ゆるやかに登っていく。どちらかというと海ぞいの町中のほうが、えげつない坂が多い。
天気は快晴、空は真っ青。もう黒に近いような青だ。景色に見とれ、上から降りてくるロードレーサーと挨拶をかわし、清流で顔を洗いつつ登っていく。

今日のスタート地点は標高約900m、ゴールは峠の手前にある標高2500mの山小屋までいければ最高だ。1時間に300mから400mのぼれるので、自転車をこいでいる時間は4,5時間ということになる。
ずるも楽もできない。高度計を見、標高をあげていくことを確認して気休めにする。やる気を出しすぎてもあせっても疲れるだけだ。地道に登っていくしかない。
喉が乾く。標高をあげていくと空気が乾燥していくようで、口の中がすぐに乾いてしまう。

地図によると、標高2200mのところにキャンプ場がある。実際に着いてみると管理人のいるようなキャンプ場ではなく、小川のほとりのキャンプに適した場所というところだったが、当初はここにテントをはると予想していた。
この時点で午後6時。まだ影は短い。小屋までの距離は短いが、1時間くらいかかりそうだ。が、行けるだろう。いざとなれば道の両脇は広い草原、テントをはるところくらい見つかるだろう。



乾燥しているので、鼻の中も乾く。鼻クソほじったら鼻血がでてきた。そういえばチリ紙持ってないぞ。このペンペン草みたいのつめとくか。よし、止まったかな。こんな山の中を血まみれの東洋人が大きな荷物つけた自転車こいでいたら、反対車線のフランス人もビックリだからな。そうだ、鏡はないがデジカメはあるぞ、という写真。

19時過ぎ、小屋着。もうここまでくれば峠はすぐそこ、何とかなるもんだ。
小屋は車道の脇にあるが、基本的には日本の山小屋に似ている。清潔で静かなところだ。
受付をすると隣で食事が始まっている。フランス、イタリアの国境付近でドイツ人の青年と英語で会話する。
星がきれいだった。

(2004 8/14)