素潜り境浦

あぁ何だかいろいろなことが面倒くさい。
誰かと一緒にいるのが面倒くさい。一人でいるのも面倒くさい。通信手段の確立できていないリアルタイム旅行記も面倒だ。
今後の計画を立てるのも面倒だ。釣りするのも面倒だし釣りをしないのも面倒だ。このまま小笠原に留まるのも、東京へ帰るのも面倒に感じてしまう。

これは何だろう。昨日の釣り船で精根尽き果てたのだろうか。だがこういうとき海がそばにあるのはありがたい。
本日は泳ぐことにする。


一昨日のサイクリングの道中、最も魅力を感じた境浦へ行くことにした。夢のような色をした海の沖合いに、座礁した戦時中の船が浮かんでいるところだ。
集落からチャリンコで約10分、誰もいないビーチに着く。文字どおりプライベートビーチである。ここで夕方まで文庫本を読んだり、泳いだりして過ごした。別に日記を書く義務があるわけでもない。ぼーっと景色を眺め、写真をとっていれば気が紛れる。
海はかなり冷たい。どうもここ数日はあまり暑くないようで、最高気温でも東京に負けてしまう始末。日光は強烈だが、海水温が低いようでちょっと泳いでもかなり寒くなる。ウェットスーツを借りてきたのだが、それでも結構冷たかった。

沈船から

夕方、防波堤で釣りをしたあと、今日はユースホステルで宴会がある。その場で、ユースのヘルパーの方々に島のおどりなどを見せてもらった。
観光客は「この島でしか見られないもの」というのを求めたがる。それは自然だったり、味だったり、伝承文化だったりするわけだ。ここ小笠原は、自然の方は世界中でここにしかないものが多くあるが、人間の文化の方はそれほど独自の文化はないはずだろう。何しろ人間が住み始めて約170年ほど、例えば18歳から28歳まで民宿でバイトでもしていたら、島の全歴史の結構な割合を知ってしまうことになる。その短い歴史でも何度か国籍が変わり、住む人も変わり、独自の伝承文化など育つ暇はなかったのではないかと想像する。
ウクレレだってフラダンスだって島唄だって、なんとなく似たイメージのところからとりあえず借りてきたものなのではないだろうか。
伝承文化があるとすれば、それは前の世代から与えられたものではなく、小笠原まで旅行にきて、居心地が良かったからとそのままヘルパーを始め、何の屈託もなくおぼえたてのダンスを披露する彼女たち自身が作っていくものなのだろう。
気の利いた料理人が一つ工夫をすれば「島の味」として伝えられていくのかもしれないし、音楽的才能のある若者が「島の歌」として伝えられていくものを残せるのかもしれない。
そこまで「島独自」ということにこだわらなくても良いのかもしれないが、自然環境同様、小笠原独自の人間文化を育てていくことは十分可能だと思うし、そういうものができていくとやっぱり観光客としても嬉しいと思う。

ここのオーナーの奥さんが芸のある方で、島の学校の卒業式で歌う歌というのをウクレレとともに披露してくれた。小笠原の学校に赴任しにきた先生が作ったというが、毎年歌われつづけ、見ず知らずの他人に対しても価値のある文化に育っていくのだろう。

アオウミガメの旅

真夏の島の 浜辺から
海に向かってまっしぐら
子ガメの旅が 始まった
生きて 生きて 生き抜いて
どの子も どの子も 大きくなって
またこの浜に 帰っておいでよ

あらしに出会い サメに追われ
空からねらう 海鳥たち
北へ 北への つらい道
明けて 暮れて また朝に
来る日も 来る日も 大きくなって
またふるさとへ 旅は続くよ

若さ かがやく 海と空
百個の白いたまご産み
いのりをこめて 砂かける
生きて 生きて 生き抜いて
どの子もどの子も 大きくなって
またこの浜に 帰っておいでよ
※作曲は元小笠原小学校教師の大浜勝彦さんという方だそうです。

(2004 5/1)


自転車旅行記 自費出版
本のほうが読みやすいぞ