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8月20日 14日目

あまりのんびりしているといつまで立っても出発できない。
お昼前には一宿一飯の礼を述べ、別れを告げた。

富山まで来てしまったので、その先のルートも自然と決まってくる。
高山から名古屋方面に出て、太平洋側を戻るのがそれだ。琵琶湖−那智勝浦からフェリーのコースに次いで標高差が少なく、それほどきつくない上にダイナミックな、なかなか良い選択だと思う。

国道41号線を捕まえて、まずは神岡町を目指す。鉱山跡を利用して作った、なかなか男らしい巨大な実験器、スーパーカミオカンデのあるところだ。まぁ地中に埋まっている設備など旅自体には関係ないのだが、コンビニの名前が「ニュートリノ」というのがうれしかった。
この町でおそめの昼食をとった。今思い返してみると、町全体の雰囲気には鉱山の町特有の暗さがあったような印象がある。
昼ご飯には、冷やし中華を食べたように記憶している。

更に南下。道は山と山の間の川沿いを行く。山と山の間が広くなれば田が開け、更に広くなれば町ができる。次の町、飛騨古川についたころはすっかり暗くなっていた。

寝る場所を探さなければならないのだが、小学校をその場所に選んだ。何人かの人がそうアドバイスしてくれたのだが、確かに夜露は防げるし、水もある。夏休み中と言うこともあり、良い場所だ。

走行距離:88.1km (合計1054.81km)
使用金額:\1,508 (合計\35,845)

8月21日 15日目

起床後、ぼーっとしていたら少年野球団に囲まれてしまった。早起きだな。

飛騨国府、高山と街道を走る。
高山では朝市を覗いた。昔の風情を残したきれいな町だ。町の様子を見、テレホンカード、お餅、インスタントの高山ラーメンなどを買った。

更に南下。桃の季節のようで、道の両脇の畑にはおいしそうにぶら下がっている。 途中、臥龍公園というところで休憩。臥龍といえば諸葛亮だが、臥龍桜と名付けられた木はすでにその晩年にあるようだった。 高山の南が分水嶺で、それを越えれば太平洋側ということになるが、期待どおり往路で越えた峠に比べると、随分と楽だった。

夕方、通り雨に会う。駅舎にて雨宿り。電車の数はとても少なそうだ。

暗くなったころについた町は下呂温泉。
一度昔の武芸者のように寺社で夜を明かしてみたいとも思ったが、一風呂浴びた後、結局前日と同じように小学校を見つけてそこで休んだ。

走行距離:79.5km (合計1134.3km)
使用金額:\4,746 (合計\40,631)

8月22日 16日目

この旅を通じて最も強く思ったことは、この国の自然の美しさだ。
別に軽井沢付近や能登半島といった特に有名なところのみがきれいというよりも、迷い込んだ県道ぞいに広がる集落とそこからの雄大な眺めや、何もない海ぞいの一本道から眺める夕日など、自然の豊かさとそこに住む人々の生活の息吹が心に残った。

この日、飛騨川とともに走った道もそんな美しさを持っていた。
このあたりは集落もほとんどない。自転車を漕ぐのに飽けば、きらきらと光る川面と鮎釣りの長い竿のシルエットを見ながら休憩をとる。
この日はこの旅最長の127.4kmを走ることになる。

道の駅で地方PRを見ながらの大休止の後、更に走ると、やがて周囲は開けてきて濃尾平野の一角に立つ。


どうやって撮ったの?と聞かれる写真

3日間走った山間部の国道41号ともお別れだ。 今後は美濃加茂、可児、多治見、尾張瀬戸と名古屋の衛生都市をまわり、岡崎、豊橋と太平洋を目指す。

夕方になり、随分と疲れてきたが、止まるという判断を下すのも結構エネルギーがいる。ずるずると暗くなるまで走り、瀬戸市についた。
これまで通ってきたところは主に人口密度が低いところだったが、ここは住宅地だ。寝床を探すのに少し気を使う。幸いにして地図でめぼしをつけておいた公園がなかなかよさそうな場所だ。
続いて風呂は電話ボックスのタウンページで探す。
食事はスーパーを、洗濯はコインランドリーを足で探す。一人旅も結構忙しい。 そして就寝。近所の高校生が花火をしてうるさかったが、深夜にはゆっくり眠ることができた。


セルフタイマーを使えばこんな失敗写真も撮れる(カメラを取りに戻ってきた)
走行距離:127.4km (合計1261.7km)
使用金額:\2,798 (合計\43,429)



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