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8月14日 8日目

雨は降り続いている。
農家の庭先から、バス停の待ち合い室に雨宿りの場を移す。
この待ち合い室が絵に書いたような田舎のバス停の待ち合い室で、バスがくる気配もなく、雨があがるまでの1時間を眠ることができた。

半島ぞいの道も七尾市街が近づくにつれ開発の色が濃くなって行く。
七尾市の街かどは、いかにも北陸らしい風情だったが、商店はまだ閉まっていた。 更に進むと和倉温泉。まぁ古くからの温泉地のようだ。島への立派な橋が海の上にかかっていた。

ここからの道が能登鉄道ぞいの、いよいよ何もねぇところに入る。
緩やかな起伏の合間に田んぼが開かれ、点々と存在する民家は、時折出現する駅の近くではやや密になる。

能登中島駅。このあたりから能登の反対側へ出てみよう。
この時は思い出さなかったが、そういえば富山で同行した兄弟はここを目適地にしていた。無事につけただろうか。

半島の反対側へ出るときは峠ごえがあるのがお約束だ。が、日本そのものを越えてやってきた私にとってはたいしたことはない。それほど苦しまずに西側の町、富来(とぎ)に着く。

僕は究極の自由の中にいる。何を食べ、どこで寝て何をする。すべて決めていかなくてはいけないし、自分の力で行える限り、何をやっても良い。
この時も寝場所をきめ、釣りの準備をするために走り回っていた。

今日は8月14日。夏祭りのようだ。日本海側の町もにぎやかだ。
途中、入浴施設にて茨城からバイクで旅をしている若者と同席する。もう出発から数ヶ月たっているという。結構いろんな人がいるもんだ。

漁港を見つけ、寝場所を物色。海岸線は緩いカーブを描き、対岸の砂浜の向こうに見える町からは祭りばやしが聞こえる。
そしてそのはるか向こうには虹がかかっている。

僕は生涯この日の夕方の情景を忘れないだろう。
やっぱり砂浜がいいとでも思ったのかもしれない。さらに寝場所を探しに向かったキャンプ場のあるビーチの上には、何だかもう現実ばなれした、圧倒的な夕焼けが広がっていた。

買い物を済ませ、港へ戻る途中、神輿の列に遭遇した。
写真を撮っていると、おじさんが声をかけてくる。ビールを飲んではっぴ着て、気分は上々のようだ。
わざわざこの祭りを見にきたのかとの問いかけから始まり、自転車で旅をしていること、今日も野宿をすることを話すと、うちに泊まれとのお誘いの言葉を頂いた。 願っても無い。お言葉に甘えてそのまま神輿の行列についていく。

おじさんは祭りの中心人物の一人のようで、参加している人一人一人に、親戚のように声をかけている。これが本来の地域社会の形なのだろう。東京のサラリーマン家庭に育った根無し草の僕には、素直にうらやましい。
富来の町でもこちらははずれのほうで、中心部のほうの祭はもう少し賑やかだそうだ。それでも年に一度の帰省と言うことで、活気に満ちている。
かつては日本の筒裏裏にあふれていたささやかな伝統を受け継いでいく姿がここにはある。
東京には無い。

行列は集落のほうぼうをまわる。行く先々で出迎えられ、よそものの僕にもビールがまわってきたりする。僕には帰る場所があるのだろうか。

おじさんの家には家族が待っていた。しっかりとした家に、内面はそれよりもしっかりしていそうな奥さん、老いたおばあさん、娘さんたちの女ばかりで構成される一家だ。 身元不明の若者だが、暖かく迎えてくれた。

ありがとう。
「とう」のところにアクセントがある。関西弁はやさしく響く。 人々の言葉が変わってくると、あぁ遠くまできたもんだな、と実感する。
黙々と自転車漕いできたのであまり気付かなかった。どのあたりから変わってきたのだろう。

走行距離:75.5km (合計766.0km)
使用金額:\3,407 (合計\21,281)

8月15日 9日目

ちゃんとした屋根の下で朝を迎えるのは久しぶりだ。
外は雨が静かに降っている。あぁ助かった。こんな日に野宿していたらちょっと大変だった。

あまり迷惑をかける前に早発ちする予定だったが、誘われるままテレビを見たり、この先の道のことを聞いたりして長居をしてしまった。そういえばテレビを見るのも久しぶりだ。

「雨は天からまっすぐと降る
風の間に間に横からも降る」

おばあさんは何度も唄うように繰り返していた。

午後になって雨があがってきた。出発することにしよう。
日本海、能登半島といってイメージするような海岸線はこの先から広がっている。
そのゴツゴツチャリで登って降りていると、義経の船隠し、関の鼻、能登金剛などと名付けられた岩場に出くわす。その合間では遠くで光る海や小さく開けた漁村などが点景となっている。 観光地になってはいるが人はそれほど多くない。

泣き浜では雨がふってきた。
「ちっとも泣かないやん」家族に連れられてきた男の子は不満を言っていた。

道の右側は山。左側は海。時折小さな漁港がある。そのうちの一つを今日の滞在地として選んだ。側には小さな酒屋がある。

釣りを始める。釣れた!しかも今までのような金魚みたいなやつではない。ちゃんと海の魚としての貫禄を持った、おいしそうなアジだ。
ただ問題はこの時既にうすぐらく、冷たい雨が降っていて、しかも蚊の猛攻を受けていることだ。濡れた体はかゆさを促進されるような気がする。

夏とは言え結構寒く、一時無念の避難を決意。アジとワンカップ大関で体力をつけよう。 念願のアジのたたきはおいしかったものの、雨は一向にあがる気配を見せない。 やれば釣れることはわかっていたが、寒さとかゆさはいかんともできない。

結局このまま降りしきる雨の中,誰もいない港の作業場の下で、異国のラジオ放送(朝鮮?)を聞きながら朝を迎えることになった。

走行距離:20.9km (合計786.9km)
使用金額:\1,090 (合計\22,371)

8月16日 10日目

もっと釣りたい。日の出とともに始めるが、自然はそう甘くない。アジは既にどこかへ行ってしまったようだ。
残っているのはボラばかり。時折雨上がりの空の下を不器用にジャンプするほか、こませをまけば足もとの澄んだ海にもよってくる。小物用の細いさびき仕掛けであげられるような小さいやつだけを釣りあげた。見える魚が釣れないなんて嘘だ。
ボラなんて、と言われてしまう魚だが、東京湾のもののように匂わないし、伊豆で食べたのはおいしかった。まぁ食べられないことも無いだろう。

今日は高校の同級生に泊めてもらう予定だ。一路金沢へ向かう。
富来までは昨日きた道を戻った。この旅の中で、一度通った道を戻ったのはこの区間だけだ。

羽咋からは遠大な砂浜が始まる。名称としては千葉の10.10101倍ある。
この浜は砂の粒子が細かいとか何とかでよくしまっていて、車で走れてしまう。 制限速度20kmを示す標識が砂浜につき刺さっている。
お盆の海水浴シーズンでもこの砂浜は長く、ほとんどの場所で人影はまばらだ。 まったく汚れていない、と言っていい。

日が傾きかけてきたころ、河北潟の河口につく。防波堤には釣り人がびっしりと並び、皆鈴なりに小アジを釣っている。後ろ髪を引かれつつも、海岸線を離れ金沢市街へ向かう。

大都市金沢。人々は行きかい、町並みは殷賑だ。道は広く、交差点も多い。 東京を離れて以来の大都会だ。
友人に連絡すると今日はバイトで遅くなると言う。それまではてきとーに市内見学だ。

やはり加賀百万石だ。街の雰囲気は上品に文化的で、たとえば京の先斗町に行ったときに似たような雰囲気を感じた。
食事後てきとーに友人に連絡をとる。無事市内中心部にある彼の家を発見し、その後ともにラーメン屋へ向かった。

走行距離:117.8km (合計904.7km)
使用金額:\3,342  (合計\25,713)

8月17日 11日目

久しぶりにする寝坊。日の出とともに目を覚ますのもなかなかゼータクだが、これはこれでとても贅沢だ。
この友人は金沢大学に通う医学部生だ。今日も泊まってもかまわないと彼は言う。 久しぶりだし、特に急ぐ理由も無い。お昼を過ぎてしまってはろくに行動もできない。 この日は彼のパジェロでドライブと言うことになった。

まず買い物。壊れた、と言うより溶けかかっているような、ビニールテープで補修しながらはいているサンダルに見切りをつけ、新品を買う。

次は大学訪問。もともと金沢城跡にあったらしいが、最近郊外に移転したと言う。 広大な敷地を持つ美しいキャンパス。どちらにせよさすが国立だ。

続いて海。昨日通ってきた千里浜。やはり車の機動力は強大である。 泳ぐ準備はしていなかったのでただ眺めただけだ。昼ご飯ぐらい食べた気もする。

そして温泉。結構距離はあって、両白山地の麓から出ているようなやつなのだろう。新しくきれいな入浴施設で風呂上がりのジュース。

最後に夕食は焼肉。何だか今こうして書いていて信じられないような日程である。

僕が女だったら惚れてしまうかもしれない、充実のデートコースだ。 贅沢に始まり贅沢に終わる、贅沢な一日だった。しかも僕は女でなく、彼は恋人でなく友達なので体を許す必要もない。いったい何の話だ。

走行距離:0km   (合計904.7km)
使用金額:\5,217 (合計\30,930)

8月18日 12日目

この金沢の友人と話すまで忘れていたのだが、そういえば富山にも旧級友が住んでいる。二人は連絡をとりあっていたので、簡単に連絡ができた。

今自転車で来てるんだけど、というとこの富山の友人は開口一番、
「チャリで?うわあ、バカだなあ。」
うるせー。僕の勝手だ。
というわけで今日は富山へ向かう。

前日に比べれば早起きをし、金沢の友人に別れを告げる。
途中、源平の戦いで有名な倶利伽羅トンネル。なんだかこの旅、古戦場に縁がある。もう一つばかり丘を越えると富山平野の一角に入る。

友人宅はこの穀倉地帯の、田んぼの真ん中に立つ一件マンションにあったので、ひどく容易に見つかった。
ほんとにチャリできたとか言いながら迎えてくれた友人宅には、彼の大学の友達が遊びに来ていた。このあと2日間、3人で過ごすことになる。

僕は野宿はしょっちゅうするものの、普段はめったに友人宅へ泊まらない。 が皆とても気軽に泊めてくれる。こちらも気軽に泊まれる。

3日前に釣ったアジとボラを煮物にした。彼の家の乏しい調味料で作ったのだが、自分でも驚くようなできばえになった。アジよりも肉厚のボラのほうがおいしかったのは意外だった。
他に、ラーメン屋で鍛えた腕を振るってのチンジャオロース、友人もチャーハンを作ってくれ、皆で旨い旨い言いながら食べた。 そして深夜までだらだらゲームと、珍しく大学生らしいことをした。

走行距離:62.0km (合計966.7km)
使用金額:\1,087 (合計\32,017)

8月19日 13日目

この富山の友人も医大生だ。富山医薬大に通う彼は、免許が無いと何もできないとぼやきながら、友人の車に乗せてもらっている。

この日は彼とその友人とともにドライブと言うことになった。 はじめて彼が富山に来て連れられたときに見て感動したと言う、立山連山中腹にある称名の滝。再びそこへ行って岩魚を食べようと言う。
この旅の中でも様々な日本の自然を見てきたが、そのほぼ全ては女性的と言うか、繊細でたおやかな美しさだ。

だがここは違った。悪城の壁と名付けられた崖は荒々しく、圧倒的な落差を持つ滝には、ただその激しさに魅入られるばかりだ。何か四字熟語で形容したいところだ。


セミヌード
岩魚を楽しんだ後は彼の大学へ向かう。そこでインターネットの使い方を教えたら、学校で見るべきではないようなあれに対して、ひどく感動していた。

金沢の友人もそうだったが、親許を離れて暮らす彼らは、とても楽しそうだ。 僕もそうすれば良かったと思う。20歳前後と言うのはそういうことが必要な時期なのだと感じる。

走行距離:0km   (合計966.7km)
使用金額:\2,320 (合計\34,337)



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