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8月10日 4日目

さぁいよいよ海についた。夏といえば海水浴なのだ。
が、この日のことは細かくは覚えていない。

とにかく炎天下の下、山越え谷越えはるばる日本海までやってきたのだ。
泳がないで何をする。

確か午前中と午後で別の海水浴場に行った気がする。一つは砂利の浜辺だった。
浜辺で本を読んでは昼寝をし、たまに泳ぐ。飽きたら移動。

夕方からは釣りをした。ちっちゃなあじはすぐ釣れた。かわいそうなので逃がしていたが、試しにその中の一尾を、ラーメンの具としてなべの中に放り込んでみると、チビとはいえアジはアジだ。意外とおいしかった。

走行距離:46.0km (合計454.5km)
使用金額:\1,221 (合計\11,168)

8月11日 5日目

日本海に沿って久比岐自転車道というのが走っている。
前日からこの道を使っているのだが、専用道というのはありがたい。 車の圧迫から逃れられるだけでなく、この道はなかなか変化に富んでいて、海岸ぞいに走ったかと思えば村落を駆けめぐる子供たちとすれ違ったり、ちょっとした休憩所には僕と同じような自転車旅行中の旅人が昼寝をしていたりする。

印象的なのは長いトンネルで、この季節でもひんやりとする。 その後の調べでは、どうも電車の廃線を自転車道として利用しているらしい。
今思い返す記憶の風景は、映画の中のワンシーンのような絵だ。

この日は自転車の修理をした。フロントギヤが一番軽いやつしか入らなくなった。
ギヤチェンジ用のワイヤーがなかなか見つからず、結構時間がかかった。
結局どこかの自転車屋で購入することができたが、そこのオーナーも自転車旅行好きのように見うけられた。

その後はあまり覚えていないが、港で釣りでもしてたのだろう。
そして全然釣れないから寝床を探すことになる。天気は大崩れはしないだろう。それならばやはり砂浜で寝たい。最短の砂浜は少し戻ることになる。

少し遠いが、次の浜へ行くことにしよう。国道ならば道も良いだろうし、まぁ30分もあればつくだろう。
そしてこの判断がこの夜を一生忘れられないものにする。

この国の中心にそびえたつ日本アルプスの連峰。その我が国最大の山岳地帯が日本海へと落ち込んで行くところ。北陸道最大の難所、親不知とはそんなところだ。

「次の浜」とはその親不知周辺にあるのだが、そこは文字どおり天嶮、道は進むにしたがって険しくなる。そしてここは北陸道、日本の背骨に当たる重要な幹線道路だ。夜とはいえ、いや夜だからこそ大型車が多い。

脇道、側道は存在しない。ついでにいうと歩道も無い。高速道路のような一本道が続く。一本道は山に穴をあけ、谷に橋を渡す。トラックは追いたてる。そのたびに橋は大きく振動する。サイドバックはトンネルの壁をこする。さらにトラックが迫る。 あたりはまっくらで、右手の日本海は更に暗い。ただ対向車のヘッドランプだけがまぶしい。

いくらこいでも次の集落へたどり着かない。この暗闇の出口がわからず、次の浜を見ろとしてしまったようだ。
命の危険を感じた。恐い!もう進めん。

車線が広がった駐車スペースのようなところがあって、ベンチと展望台のようなものが設置されている。
小便臭い。現在食料も乏しい。とても落ち着くような場所ではないが、ここで夜明けを待つことにしよう。
朝がくればなんとかなるのではないか。

走行距離:53.5km (合計508.0km)
使用金額:\3,034 (合計\14,201)

8月12日 6日目

このような場所でも少しは休めたのだろう。朝がきた。
ここは展望地になっていて、たまに車がとまる。

「シャッター押しましょうか」

それをきっかけに老夫婦とお話をした。滋賀県在住の方で、うちのそばにきたら泊りにこいと住所を教えてくれた。その上食料、飲み物まで頂いた。
こういう無報酬の親切を受けることは素直に素晴らしいことだ。

やはり明るくなると余裕が出る。琵琶湖のおじちゃんのアドバイスも受けて道の真ん中をすすむ。
先日から続いた登り坂を少し進むと、レストハウスのようなのがある。観光案内板なんかを見ていると小雨が降ってきたで休憩することにした。

雨があがり、出発する。明るくなって、無事難所を抜けることができた。 (矢の如く砥の如し)

前方に2台、自転車が走っている。抜きつ抜かれつしているうちに、休憩所で一緒になった。中学生くらいの兄弟で、実家のある秋田から祖母の待つ能登中島まで行くという。随分なペースで、まだ2泊しかしていないらしい。ほとんど一晩中走るようなかんじだ。
この兄弟と同行することになった。

彼らは今日中に到着したいらしく、まじめによくこぐ。
黒部市あたりの郊外型スーパーで昼食。そばを食べた。

そして夕方、僕はこのあたりをゆっくり見物しようと思い、富山市にてこの兄弟に別れを告げた。

さぁこれからどうしようか。
当初はとりあえず日本海へ行こうと考えていたのだが、その目的は達成した。
その他の案としては、

  • 新聞に載っていた海中への日の出・日の入りが同じ場所で見れるという、能登のどこかにある岬
  • 長岡で「峠」の河合継之助の墓を見に行く
  • 松本と諏訪湖
  • フェリーに乗って北海道。友達と合流する
などを漠然と考えていた。

判断するための情報を集めなくてはならない。大きな本屋を見つけ、立ち読みをする。京都まで行こうか。琵琶湖のおじさんにお世話になるか。松本まではきつそうだ。

往路での山ごえに懲りたので、比較的高低差の少ない高山から太平洋まわりと、琵琶湖から那智勝浦フェリーまわりを有力候補として考えておくことにした。

河口から広がる広い砂浜にて就寝。

走行距離:81.6km (合計589.6km)
使用金額:\2,251 (合計\16,452)

8月13日 7日目

この季節、バイクでツーリングに出ている人も多い。この砂浜にもそんな人がテントをはっていたりする。

日が昇り出すと人々は活動を始める。
こんなところでテントをはってこのあやしいにいちゃんは何者なんだろう。
そう思われないために、なるべくこちらから挨拶をする。
そうすると意外といろいろな話をしてくれる。

この日は犬の散歩をしていたおじさんと長話をした。彼は長距離ドライバーをしていたらしく、道のことに詳しい。
日本中の道を走ったことがあるという経験から、参考になる話をいろいろと教えてくれた。 これから行こうと思っている能登のことについてもうかがってみた。

「あぁ良いところだよ。」
「何があるんですか。」
「能登か。…何もねぇなぁ。」

その何もないところを目指して、海ぞいに走っていこう。 新湊市の港。昔は浜名湖のように海とは独立していたが、港にするために海岸線の細い陸地を切り開いたという。現在では断絶した道の代りに小さなフェリーが市民の足となっている。
歩行者と自転車が搭乗可能で、無料。5分ほどの船旅だ。 船では地元の人が上のような話を教えてくれた。

そうだ思いだした。金沢に高校の同級生がすんでいる。一日くらい世話になろうか。しかし連絡先を控えていない。ウェブ上には控えてあるのでインターネットが使えれば良いのだが。
高岡市内でタウンページを頼りにネットカフェを探す。が、見つからない。 しょうがないので自宅に電話すると、姉がすぐに探してくれた。ITもまだまだだ。

再び海岸ぞいの道へ。このあたりの海は砂浜で、防砂林の隙間から青い波が見え隠れする。 昼ご飯と休憩を兼ねて砂浜に出た。
地元の中学生くらいの男女が楽しそうに騒いでいたのを覚えている。
高校の同級生に連絡をすると、入れ違いで東京へ帰ってしまっていた。

更に北上。
石川県境の看板を見る。いよいよ能都半島だ。

あぁ随分遠くまできたなぁ。東の空は雲に覆われ、北アルプス連峰は隠されている。 今日はまた釣りでもしたいところなのだが、釣り具屋が見つからない。それどころか普通のお店もほとんどない。食料が乏しいのだが…。

崎山半島への分岐を、国道とは別れて海ぞいに進む。お店どころか、民家も少なくなる。
僕はこの旅において約2000kmを走ったが、この地域が最も開発の手から遠いところにあった。狭い道の両脇に一軒ずつ家が並び、その奥は海と山が遮る。 わずかに開けた土地に田んぼを作ってある。本当に小さなお店でさえ存在しない。

このような場所で日が暮れた。
山間の田んぼにはカエルが鳴きわめき、心情としてはかえって静かだ。 なんとか発見した農協の自販機で発泡酒を求める。 まぁ海はあるので釣りはできるが、餌はない。 それでもさびき釣りなら釣れる可能性は0ではない。 誰もいない防波堤で釣り糸を垂らす。

気がつくと大雨だ。防波堤の上で、知らないうちに眠っていた。この夜もなかなか大変な夜で、8月といえど濡れた体は結構辛い。あわてて荷物をまとめたものの、付近は前述のとおり、田んぼしかない。しかたなく逃げ込んだのは農家の納屋だ。
なるべく体を冷やさないように気をつけていると、次は蚊の猛攻。雨の日は特別かゆい。そうそう眠れたもんじゃない。

夜が白み始める。
さっさと出発したかったのだが、おばあさんが起きてきた。 いきなり自分の庭に不審人物がいればびっくりするだろう。
事情を話して警察など呼ばれないように努力する。かなり方言がきつく、会話は難航したが、どうやら極めて危険なものではないという程度には理解したようだ。

走行距離:100.9km (合計690.5km)
使用金額:\1,422  (合計\17,874)



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