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8月6日 初日

出発したのは1999年、8月6日だ。
父親に予定を聞かれたとき、「明日出発して3〜4週間したら帰る」としか言えなかったら本当に予定は立てていなかった。

準備だの何だのでお昼過ぎに家を出る。(手帳には12:40出発と記録してある。)
普段走っている道の延長上には何があるのだろう。

白子川をつたって大泉へ、そこから関越の横を走る。
所沢、狭山のあたりで道に迷う。が、何だかんだで飯能までついた。
だいたい道に迷うのは都会である。まぁ遠くに行くときは住宅地の曲がりくねった道はとおらず、国道や大きな県道をとおれば間違いはないのだが。

飯能からは秩父を目指す一本道だ。この道は一度来たことがあって、この先はどこに行くんだろうと、普段から地図で確認したところだ。
道は荒川の支流、高麗川沿いに続く。河原で休憩をとった覚えがある。住宅地が漠々と続く関東平野だが、その一つの境界はここのあたりだ。段々日は暮れていく。


夕方のUFO(正丸付近)

そして今回の旅における三大恐いところのーつ、正丸トンネルにやってきた。ただでさえトンネル内は独特の空気を持っている。そしてさらに自転車の走るところは肩幅程度の路側帯のような歩道だ。荷物を積んだ僕の自転車ではかなり神経を使う。
背後には時速70kmの大型車が魔界の音を立ててやってくる。それが1km以上続くのだ。

トンネルを抜けたころ、あたりは完全に暗くなっていた。もうすぐ秩父市街に入る。 野宿するなら街中では落ち着かない。秩父に出るまでに見つけようと思ったのだが、下り坂だったせいもありずるずると横瀬まできてしまった。

もう疲れた。どうにかしなくては。ということで畑のような、空き地のようなところで休んでいると、散歩をしていたおじさんに話しかけられた。このあたりは意外と車もとおるので止めたほうが良いという。その助言に従って羊山公園で寝ることにした。
今日1日を使って、とりあえず東京を抜けた。そのことに安心した。

走行距離:93.32km (合計93.32km)
使用金額:\1,403  (合計\1,403)

8月7日 2日目

夜のうちから天気が崩れてきたので、テニスコートわきの、レストハウスというかトイレというかの軒の下に移っていた。

早朝、車の音で目を覚ます。目の前の駐車場でドリフトの練習をしている。峠の走り屋が下りてきたのか?
雨は、明るくなり出すと徐々にやんでいったので出発。

秩父の街は霧の中でまだ眠っていた。
以後、快調に進む。夏の暑い盛りである。なるべく涼しいうちに距離を稼ぎたい。 国道ぞいのセブンイレブンで休憩したのを覚えている。

道は県境の志賀坂峠へ向かって徐々に標高をあげる。ペダルを漕いでは渓谷で喉を潤し、の連続。自転車でも一日こぐだけでこんなきれいなところまでこれるのだ。

「県内最終GS]

見事なキャッチコピーだ。簡潔に事実を書いてるだけで、消費者の購買意欲をかきたてる。購買意欲を脅迫する、といってもいいかもしれない。

昼ご飯は河原で食べた。おにぎりかなんかだろう。
両神山と二子山の間の峠を抜けると群馬県だ。両神山にはいつか登ろうと思っているのだが、国と土地所有者の間でもめているらしい。残念なことだ。

この中里村、上野村のあたりは西上州と呼ばれる地域だ。

「西上州の魅力の一つに、不便なこと、があげられる。」

登山地図にかいてあった。交通の便は悪いらしい。恐竜の足跡やら、日航機墜落事故跡やらの地味な観光資源が売りだ。

強烈な西日で何度かバテそうになった。このまままっすぐ行くと、清里方面から松本のほうへ抜けられる。しかしこの先の十石峠はどうやら未舗装で、標高差、荷物、体力を考えるときつそうだ。下田からR254,R18で行くことにしよう。

塩ノ沢峠への途中、温泉へ入る。国民宿舎やまびこ荘。つげ義春に出てきそうな、秘湯めいたとこだ。入浴のみ420円。タオル105円。
さっぱりと汗を流したあと、峠ごえでもう一度汗をかく。このあたりで日が暮れた。寝る場所を探そう。

川ぞいの集落の雑貨屋で缶詰など食料を553円分買う。そして河原にテントをはって就寝。 いま地図で確認すると南牧村の桧沢というあたりだと思う。

夜半に小雨がぱらついてきた。
僕は大変幸運だったようだ。この日山一つ隔てた関東地方では記録的な豪雨で、丹沢地方では川辺でキャンパーが濁流にとり残され、前日通った正丸峠付近では土砂崩れで通行どめになったらしい。
この付近の道路の一部は2年間たった現在でも復旧されていない。

走行距離:87.9km (合計181.2km)
使用金額:\2,270 (合計\3,673)

8月8日 3日目

起床後、下仁田市街へ向かう。街はまだ眠っている。
国道254号に出る。254といえば、うちの前から出ている道じゃないか。こっちのほうが早かったな。少し損した気分だ。
国道の周囲には畑が広がり、その周りを岩峰が囲む。道は荒船山に向けて標高をあげていく。目指す峠は内山峠。ひたすら坂道を登る。途中喉を潤した渓谷の水がとてもおいしかった。


内山峠へ

そして登りついた海抜 mの内山トンネルは、日本海と太平洋を隔てる分水嶺だ。あとは川とともに重力に引っ張られていけば日本海まで行けるはずだ。
トンネルを抜けると長野県で、空は快晴。毎回コンビにで地図を立ち読みすることに不便を感じ、中部地方の地図を購入。
コンビニでとろろそばを買って食べたような記憶がある。

小諸市のあたりのブックオフにて立ち読み&本の購入。村上龍の軽いエッセイと、宮本輝のエッセイを買った。

目標は遠い。が、確実に近づいている。そして時間もたっぷりある。こういう状況はなかなか幸せだ。今日はどこまでいってどこで寝ようか。24時間をどう使おうとすべて僕の自由だ。が、このころはとりあえず日本海までという明確な目標があって、結構まじめにこいでいた。

やらなければならないことも多い。休憩はしっかりとらなくてはいけないし、水と食料を確保しなければならない。その他にも、この日バスタオルを落としたので、新しく購入しなければならない。とうわけでジャスコにて購入。

このあたりを走っていると、日本は確かに温泉の国だと感じる。どこに行ってもお湯が沸いている。この日はその中から戸倉上山田温泉を選んだ。

温泉街についたら入浴のみの温泉施設を探す。
まぁ適当にホテルの受付ででも聞いてみればいい。そのホテルで入れてくれることもあるし、別のところを紹介してくれることもある。ここには公衆温泉があったのでそれを利用した。入浴・洗濯の後、千曲川の河原にて食事・就寝。

走行距離:107.2km  (合計288.4km)
使用金額:\3,936  (合計\7,609)

8月9日 4日目

1日中快晴。
朝、立派な犬を連れた江戸時代のやくざみたいなおじさんに、東京からきて日本海まで行きます、と挨拶すると、頭の良い人は変わったことをするのう、と半ばあきれたような妙な関心のされ方をされてしまった。

道は日本最大の長さを誇る、千回曲がる千曲川ぞいにすすむ。山国信州もこの川ぞいは開けていて、昔から人が住んでいたことを示すような歴史的な遺物が多い。その中から川中島古戦場跡へ行ってきた。心霊写真が写ることを期待して、首塚の前で記念写真。

その後善光寺を見る。長野市内はオリンピックの競技場跡が目立つ。
善光寺では、金を払いたくないので団体のガイドを横で聞きながらくるっとまわり、参道でアイスクリームを食べた。

再び北への移動を始める。
お寺というのは大体山の上のほうにある。善光寺まで行くのにもいくらか坂を登ってきたのだが、その分をまた国道まで下って行くのが悔しかった。そこで善光寺の裏から出ている県道をとることにする。地図上では18号とほぼ平行に走っているのでそのうち合流できるだろう。

これが甘かった。山寺から続く道は山へと向かう。え、まだ登んの?という感じに坂道は続く。分水嶺は昨日越えたじゃないか。

太陽は地上を照らす。この夏一番、といった暑さだ。道は信州の田舎道だ。山の合間に開けた土地に、田んぼが広がり人がすむ。

僕はすっかりばててしまった。お店などほとんどなくなった山の中で、そば屋を見つける。近所のおじさんが趣味でやっているようなかんじだ。店舗はまだ随分と新しい。そばがくるまでに随分と待たされたが良い休憩になった。そばもおいしかったのだろうが、冷たい麦茶の印象が強い。
駐車場からの景色と、傍らにいたとんぼの紅色を覚えている。

昼食後、気をとり直して出発。このあたりはスキー場として有名なエリアで、冬は豪雪地帯になるのだが、この時は明るい高原のイメージだ。
信越国境を結ぶ橋の上からは、妙高、黒姫の2つが大きかった。

ばてている。道脇に並ぶ果物スタンドで桃を買って、やっとの思いでたどり着いた野尻湖の湖畔で休憩をとった。
とにかく疲れた。これからどうしようか。

しかしここから状況は一変した。日本海までには30km以上あるが、その道のほとんど全てが、止まるほうが面倒くさいような下り坂だ。今までにためた位置エネルギーを運動エネルギーに変換して、40km以上、平均しても時速30kmくらいの速さでバンバン走る。ガンガン進む。海に向かって転がり落ちる。
途中、国道を離れて高田城公園に寄ったころから暗くなり始め、直江津の港町についたときはすっかり暗くなっていた。

まずは日本海を目標にしていた。今、目の前にはそれがある。結構なんとかなるもんだ。 人気のない砂浜で眠る。気持ちいい。

走行距離:120.1km  (合計408.5km)
使用金額:\2,338  (合計\9,947)



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