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出発まで

前回の三浦半島旅行で自信をつけて、いよいよ空の続く限り、地の果てるまで行ってやろうということになる。
計画はそれほど立てていない。中央高速でもらえる地図を見ながら、諏訪湖を回ってみようとか、ともかく日本海まで行くぞとかを空想していたに過ぎない。

こういう長期旅行をする場合、一番問題になるのは何よりも時間を作ることだと思うが、この時の僕はバイトもなく、こなさなければならない雑事も随分少なかった。

夏休みが始まるのは7月20日ごろからで、最初の週はゼミがあった。
それから8月の第一週に、高校の仲間とサッカー部の合宿にOBとして参加しようというのがあるくらいで、それ以降はずっと自由だ。


ここからちょっと暗い話が始まる。
我が家では文鳥を飼っていた。「さんた」という名前をつけられていたが、おもに「とり」と呼んでいた。

とりはかわいい。放し飼い状態になっていたとりは、呼ぶと飛んでくるし呼ばなくても飛んでくる。
そして手の上で寝る。手の上よりも足の甲の上で寝る。起こそうとすると怒る。つかまえようとすると簡単に捕まる。随分と長生きをして、ちょっと老化も進んできたようだ。寝ているときにおっこちたりしていた。だが夏になると毛も抜け変わり、元気になってくる。

当時、我が家は母が一夏入院、父は資格取得のため勉強、姉は新入社員で研修という状況だった。つまり僕はとりと蜜月の生活を送ることになる。

7月の終わりごろだった。小学校からの親友のライブに誘われ、期限ぎりぎりに迫ったレポートをあわてて作成し、慌ただしく出発する。
そのままウチアゲまで参加する。珍しく泥酔して、山手通りの朝日を浴びつつ帰宅した。

お昼ごろ眼を覚ます。そして気付く。どこを探してもとりがいない!
少し窓が空いている。とりは外の世界を恐れていたので、自分から逃げていくことはあり得ない。しかし外の世界から入ってくるものは存在する。
詳しい記述は省くが、僕の不注意でとてもかわいそうなことになってしまった。

旅のテーマが「どこまでも行くぞ日本海」から「日本海センチメンタルジャーニー」になってしまった、というお話でした。

2001年6月〜12月 記




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