8/17 致命的ミス

朝、目を覚ますとテント内には蚊が充満している。さらにクモが巣をはって、その蚊を食べている始末。おお、我がテント内に食物連鎖までできている。パスタ→人間→蚊→クモという順番である。小川のほとりの、さわやかな朝だ。
蚊への耐性は結構ついているようなので少しくらい刺されてもどうってことないが、むかついたのでやっつけた。
狭いテント内は、蚊の屠殺場となる。

さて、この先どうするか。

電車1回のパターン:現在地から行けるところまで、(ジェノバくらい?)そこから電車でローマまで
電車2回のパターン:最寄りの駅から好きなところまでいく→自転車で進む→適当なところからローマまで

このあたりはどうも田舎といっても、ただ農地が広がるだけのそれほど魅力のあるところでもないようだ。残り日数から考えると、電車は2回使わないと有意義なことはできなそうだ。

最寄りのSavliglianoの駅から自転車を乗せる。電車に自転車をつむ場合、イタリアでもフランスと大体事情は一緒のようだ。時刻表の7割くらいの電車に自転車マークがついていて、そういう電車には荷物室があって自転車を乗せられる。自転車には追加料金がかかるが、窓口で「トリノ、ビチクレッタ」というと通じた。荷物が重くてのっけるのにも苦労したが、順調にトリノの街へ到着。

トリノの街では地図買って、ネットの更新して、昼飯食ったらトスカーナの田舎へ向かうつもりだった。立ちよったのはまだ行き先がはっきり決まらなかったからで、ほとんど乗り替えのために立ちよっただけだった。

地図は順調に買えた。
次は食堂を探すが、何故かお店が全然開いておらず、駅前のスナックでピザをかじる。

昼食後、店を出ると自転車がない!
冗談ではなく、何かの間違えでもなく、自転車がない!
いや、親切な人が邪魔でないところ、安全なところに移動しただけかもしれないというかすかな望みも、まぁなさそうだ。

盗まれた!!

田舎の町でも、昼食のときはなるべく屋外でとり、自転車が見えるようにしておいた。しかし今度は店内に入り、しかも店の外を背中にして座ってしまった。
鍵もかけていなかった!二重の失敗だ。

ヨーロッパでは自転車はすぐに盗まれると話には聞いていた。しかし、これまでの10日間、盗まれるそぶりもなく、安心してしまっていたのかもしれない。僕の自転車は目立つ。バッグを4つもつけ、町を走っていると何だあれはと注目される。こいでいくのもかなり重いし、たてかけるときもちょっとしたコツがいるような、そんな状態だ。そんな自転車を盗るのはリスクが大きいだろうと勝手に判断してしまったのかもしれない。

あぁ、大失敗だ。
あぁ、どうしよう!

盗られたのは昼食中、少なくても2時間以内だ。それほど遠くに行っているはずもない。
それにしてもわずかピザとコーラを食っている間、わずか10m先にあるものである。盗られるほうもかなり間抜けだが、盗るほうも盗るほうだ。

それにしても誰がどんな目的で盗ったんだ。近所のガキがちょっと乗ってみたくなって盗ってったのか。それとも自転車自体に価値を認めて奪ったのか。自転車には大部分の荷物が乗せてあるが、高価なものはあまりない。サブのカメラが唯一の例外で、汚い着替えやテントなどだ。自転車を含め、そういうものを盗ってお金にできるのだろうか。

近所のガキが盗ったのならば、結構そこらへんに乗り捨ててあるだろう。売るために盗ったのならば、バッグの中身を確かめたり、自転車を車につみ込むための作業場が必要だろう。あるいはお金にならなそうな銀マットや着替えなんかが捨ててあるかもしれない。いずれにせよ、そう遠くに行ってないはずだ。
そう思って、狭い路地裏や工事現場、ごみ箱の中なんかを探すが、まぁ見知らぬ街、どこを探せば良いのか勝手がわからない。

路地に立っている警察、露店のおっさん、暇そうなタクシーの運ちゃんに在りし日の自転車のデジカメ画像を見せて尋ねるが、言葉も通じず役に立つ情報は得られない。
とにかく足が棒になるまで歩きまわる。しかしこれではただ「こんなに探してないのだからしかたがないな」とあきらめるための儀式をしているような感じだ。あぁ、もっと有効に探さなくては!

後悔することがいっぱいある。せめて鍵かけておけば。あのとき、反対側の椅子に座っていれば、かなりセンセーショナルな場面が見られたのに。

昼飯を食べる前に気付くべきだったのかもしれない。あの界隈はトリノで最も治安の悪いところだったのだ。お店が開いてないのはバカンスにでも行っているのだろうと勝手に判断していたが、確かに暇そうな黒人がうろうろしていたし、お店は「歓迎光臨」とか書いてある、中国系のお店くらいしか開いてなかった。移民の多い街なのかと思っていたが、繁華街はこことは別にあり、そちらへ行くべきだったのだ。繁華街のある駅の正面方向はオリンピックに向けて工事中で、どうもそちらには足が向かなかったのだ。
しかし駅から出たとこの、一番近いところがそんなところだったとは。

ああ畜生。
とにかく自転車がない、という事態に腹が立つ。もうちょっと考えるとそういう事態を招いてしまった自分自身に腹が立つ。
テント・寝袋・コンロ・衣類など、生活していくものに必要なもの一式を盗られた。移動するための手段、もはや自分の体の一部ともいえる自転車を盗られた。
それぞれもう結構使い込んできて、価格自体はたいしたものでもないかもしれない。(合計すれば大きいだろうが)しかしすべて、限られた荷物で最大の効果を発揮するために選別に選別を重ねて、使い込んできたものだ。そしてこれまでの間、実際にすべての事態でよく働いてくれたし、マルセイユの例でもわかるように、一つでも欠けると困ってしまうような代表選手たちだった。
あぁ畜生。
こうなってはこの旅は失敗ということになってしまう。出発前に感じていた多くの不安・不確定要素は、これまでにほとんど解決してこれた。日程も大枠どおり、やりたいことも予想以上に順調にできてきた。久しぶりのテント生活も快適そのものだったし、何しろアルプスを越えることができた。
あとはローマまで何の気負いもなく帰るだけだった。それがたった一つのミスでひっくり返されるとは、マルセイユでの教訓を生かせていない。悔しい。

駅前などに、汚い自転車の残骸がある。ただの放置自転車かと思っていたが、よく見るとこれは部品を盗られた跡だ。
前輪が電柱などにチェーンでくくりつけてある。そして後輪、サドルなどがないまま放置されている。部品だけ盗んでも利益になるようだ。
あぁ、あるんだこのあたりには。盗んだ自転車の部品を流通させるマーケットが。きっと僕の自転車は今頃盗れたての新鮮品として流通しているのだろう。ぼろぼろのサドルも。汗のしみ込んだ寝袋も。蚊の血がしみついたテントも。
これはプロの仕業だ。これ以上探しても見つかることはないだろう。



フレームを電柱に鍵でかける。するとこうなる。
前輪、後輪、とり放題。 ローマにて

夏の防波堤。針に餌をつけて海に垂らす。10秒数える。するときれいに釣り針の形だけ残して、餌が食われている。
あれと同じだ。
今まではヨーロッパってすぐに自転車が盗まれると聞いていたが、さすがに夏の小魚たちほど食い気があるわけではないなと思っていたが、ここは違った。まさにまき餌をまけば海が盛りあがるようによってくる、あの小魚の群と同じだ。僕の自転車はヘタクソな釣り人のつけた、おいしそうな餌に見えたことだろう。
盗まれる、盗まれないという2つしかないのだ。今まで盗まれなかったからといって、そこは安全だということではないし、常に移動している身にとっては、どの瞬間もそこは初めての土地だったはずなのに。10日間盗まれなかったから11日目も大丈夫、なんていうことはないはずだった。盗まれないのが10日間続いても、一度盗まれたら終わりなのだから、慣れてはいけないはずだった。

自転車が盗まれたからといって、すべてが終わるわけではない。とにかく、これからも旅を続けなければならない。
幸いにして現金やパスポート、クレジットカードなどの貴重品類、カメラなどは無事だ。
とにかくトリノに一泊しなければならないと被害現場近くのホテルをとり、着替えなどを買いに行く。

いやしかし生きていくだけでお金を使うものだ。
フランス側の山の麓でお金をおろすのを忘れ、現金約60ユーロ(8000円くらい)で峠に突っ込んだが、3日間特に困らなかった。食料は買い込んであったし、第一お金を使うことのできる場所がほとんどない。しかもイタリア側の小屋では完全に客として扱われていて、一銭たりとも使う必要はなかった。
そのような生活をしていたので忘れていたが、街へ下りた途端このありさま。お金を使うか死ぬか。
とはいえお金を使うことさえままならない。大都市トリノには、ブランドショップが軒をならべている。しかし僕の欲しいものはどーでもいいTシャツや安物の手ぬぐいであって、決してエルメスやプラダのマークのついたトランクスではないのだ。

今日のイタリア語
Ho perso il bicicletta. (オ ペルソ イル ビチクレッタ)
チャリンコなくしちまった。

海外旅行用の会話集を持ってきているが、こういうものではなく辞書を用意すべきだったと思う。場面場面で使いそうな例文が羅列してあるのだが、こちらは文法わからないし、大体単語が3つ以上続くともう覚えられない。どの単語がどの言葉に対応するか、推測はできるものの確信はできないので応用がしにくい。
言葉のわからない旅行者としては、構文などよりもいくつかの単語を使うことが精一杯だし、それで大体分かってもらえる。上の例文でもbiciclettaの前につけるのが「il」なのか「la」それとも「mio」なのかよく分からないが、まあ通じているだろう。

(2004 8/17)