8/16 イタリア 下界へ

誘われるままに朝ご飯を食べ、昼ご飯までごちそうになる。
この峠は、それほど天候は良くないらしい。今日は朝までは快晴だったものの、徐々に雲に包まれてきた。
一番良く僕の相手をしてくれたFillipoによると、これがこの峠の典型的な天候だという。となると、またしても僕の旅をしている間の、脅威的な晴男ぶりが発揮されたことになる。プロバンス地方でも連日晴れ、アルプスでも抜けるような青空、そして僕がいなくなると曇り出す。今までの旅行と同じパターンだ。

さぁ、これからどうしようか。出発前、ここまでの道は決めていたが、ここからは残り日数の問題もあり、そこまで調べ尽くせなかったこともあり、特に予定はない。
イタリアは広い。ここからローマまでに道も遠い。
現在、かなり多くの選択肢があるが、残り日数からすると僕が行ける場所は限られている。
天文同行会の人によると、西海岸の上のほうはお薦めだというし、いつかテレビで見たシエナの町にも行ってみたい。
イタリア北部からローマまでの道は、大きくわけて3つあるようだ。いずれも、共和国時代のローマが築いたものだという。


1.アウレリア街道:西海岸ぞいに進む
2.カッシア街道:ミラノ、ボローニャと通り、山を越えてフィレンツェへ。そこから内陸をローマまで。
3.フラミニア街道:一度東側のアドリア海まで出て、海岸ぞいに進む。ローマの東から山を越える。

電車でも自転車でも、基本的には変わらない。
迷ったときは、旅の基本コンセプトにたちかえってみる。これは一応ハンニバルの足跡をたどる旅だ。それならば、彼と同じように行くのが良かろう。
トスカーナの南端にトラジメーノ湖というのがある。ここでハンニバルはローマ軍と戦い、ほぼ全滅させたというところだが、ここに行くのはどうだろう。途中は電車を使う。フィレンツェから行きたいが、残り日数からするとトスカーナのアレッツォから湖を目指し、中田のいたペルージャから再び電車でローマに行くというのがよさそうだ。

しかし何しろ情報がもっと欲しい。方針は以上のようにするとして、具体的には下山して地図を買ってから決めよう。

午後3時、大変居心地が良いものの僕は旅人、いつまでも居つづけるわけには行かない。皆に別れを告げ、雲の中に続く道路を進む。
振りかえると、雲の切れ目から小屋が見える。あぁ、手を振っている。さよぉならぁー

しかし登りはあれほど苦労したのに、下りは速い。
登りではあんなにはぁはぁ言いながら、
はぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁ言って、景色に見とれながら、
はぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁ言いながら、
あぁそうだバックにオレンジジュースが入っているあれを小川で冷やして、頭痛がするほど冷たくして飲もうとか、はぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁ言って鼻血出したりして
はぁはぁはぁはぁいって登ってきたのに、
下りでは本当に

あっ





という間に進む。

30分も走ると、標高は1000m以上下がっている。
さきほどまで僕はあの雲の上にいたのに、もう下から見上げても見えないところまで来てしまった。30分前まではいっしょにご飯を食べていた友達は、あの山の向こう。彼らはきっと、先程と同じようにリラックスしながら皆でおしゃべりをしているのだろう。

山の上は別世界だった。特別な場所だった。
そのような世界と下界との切り変わりは、はっきりとしていたほうが良い。そんなことを思いながら脇目も振らず、自転車をこぎ続ける。坂道を全力で下る。

僕の目標は何だったのだろう。峠を越えること自体もそうだったのだろうし、できればそこで夕日と朝日、満点の星空を見たいと思っていた。山登りも楽しめれば上々と思っていた。
あぁ、それがすべてできた。
旅はまだ続くが、ここで一つ区切りがついた、一つ何かをなしとげたとどこかで感じている。
あとはジェラードとパスタでも食べながら、ローマへ向かえば良い。

山を下りきると、商業と工業がわずかに発展したような町をいくつか過ぎる。そして広大な農地の広がる平野となる。
山の中腹にはいくつかキャンプ場はあったが、このあたりは果樹園の中に道が一本走るだけ、という土地柄だ。
次の町まで走っても良いのだが、今日は河原でテントをはることにした。これまで、一応外国人だから遠慮しておこうとキャンプ場以外のところでテントははらずにきたが、結構空き地でキャンプしている人は多い。こんな農園の隣の河原でキャンプしても、何の問題もないと思う。
今日は午後3時出発、4時間で90kmを走った。下りとはいえ、短時間でけっこうくるものだ。(途中お金をおろしたり、写真をとったりしている)
久しぶりの誰もいないところでの野宿だ。

(2004 8/16)