イェール-カシス

フランスの人はフランス語を話す。しかし僕にはフランス語は分からない
よく海外旅行に行く人は、言葉など分からなくてもどうにかなるさと言うが、確かにカタコトでも寝床を確保して食べ物を得る程度ならできる。食べ物を提供する人も宿を提供する人も、商売でやっているため、適当に察してくれる。
確かにそれで一応の生活はできる。しかし十分かと言うともちろんそうではない。
どこまでいくんだい、写真は撮れたかいなどと聞かれることがある。多分そう聞いていたのだろうと後から推測しているだけであり、聞かれた瞬間は呼びとめられているのか応援されているのか、挨拶しただけなのかよく分からない。わからないから白痴の如くへらへら笑っていること程度しかできない。それは日本にいるときも同じじゃねぇかという突っ込みの声は、この際無視しておく。
このコンピュータで旅日記買いて、ホームページ作っているのだとか、ハンニバルが通った峠を目指すんだとか言えば受けは良いと思うし、色々なアドバイスをもらえたかもしれない。どこも満員でやっと泊まれた。助かったよと言うときも、おいしかった、さすが地中海の魚だと言うときも、へらへら笑ってメルシーと言うしかない。英語が通じる人もいるが、やはりお互いにとって外国語。おおざっぱな話しかできない。何しろ言葉ができたほうが、旅の充実度はあがるはずだ。




朝はツーロンまで。ツーロンは古い湊町で、結構な規模の街だ。盛大に市場が開いていた。
フランス入りしてからの分の日記を更新する。まぁこのように日記を更新していくことも結構大変だ。書きたいことは色々あるが、やるべきことも色々ある。日記を書くことばかりに時間を割いていたのでは、旅をしにきたのかキーボードをたたきにきたのか分からなくなる。「今日の日記 今日は日記を書いていました」なんてことになりかねない。
毎回ネット喫茶へ行き、違う環境で更新していくのはそれなりの難緯度だと思うが、まぁうまく行っているだろう。前回のニュージーランド旅行のときに得た経験から準備したものは想定通り働いている。

ネット更新後はもうひとこぎして海水浴場へ。海に飛び込む。建設的にして享楽的、質実剛健で自由奔放な生活だ。

昼食を食べ、午後の部は4時ごろから始める。この地方は風は快適だが、やはり日差しは強い。東京の気違いじみた暑さとはまったく室が違うが、やはり日中は暑い。
そこでここからが問題なのである。泊まるところを確保したいなら早着が大原則だ。しかし日が傾くほど、自転車をこぐには有利になり距離を稼げる。宿を確保すればなかなか進まないし、前に進もうとすると寝るところがなくなる。
この日は3件目のキャンプ場で寝床を確保。海ぞいの素敵そうなところは避け、郊外の何のへんてつもないところを探したほうが値段も安くてすいていて良いようだ。
La CiotatとCassisの町の境目にあるのだが、カシスと言うのはリキュールのカシスと関係あるのだろうか。

海外旅行のガイドブックのベストセラーといえば、言わずと知れた「地球の歩き方」だろう。これを持っていると日本人だとばれて、カモにされるという逸話もあるほど有名だ。(そんなことしなくても日本人だと分かると思う。)
外国のバックパッカーは、たいてい「Lonley Planet」というシリーズを持ち歩いている。今回、日本語版が登場したと言うことで、南仏編とイタリア編を買い求めた。ここ数日は、南仏編の1章分がちょうど1日の行程となっている。
さすが世界的に支持されているだけあって、すごい情報量だ。安宿、おいしいお店、キャンプ場、ネット喫茶など、個人旅行者に必要なことはたいてい載っている。それどころか、同性愛者、ベジタリアン向けの情報まで載っている。
辞書のようなスタイルで、写真は少ない。しかしそのような文字の羅列だけでど旅への憧をかきたてることができると知ったのはちょっと驚いた。
イギリス系の人が書いているらしく、シニカルで冷静な姿勢と言うか、悪く書きときはとことん悪く書いているのが参考になる。一例をあげてみると、
「支配人は偏屈かもしれないが、立地は取りあげる価値あり」というホテル
「村の中心にはありふれたさえない海ぞいのレストランやカフェがたくさんある。思い出に残る食事がしたければ美食の丘を登ろう」
など。悪く書かれているものがあるので、絶賛されているものは本当にすごいのだろうと感じられる。
こうなると、日本がどのように書かれているかが気になってくる。一冊買ってみようかとも思う。

今日の走行距離 70kmくらい

(2004 8/11)