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自転車旅行記 自費出版
本のほうが読みやすいぞ

8月27日

行程

別府-杵築


8/27 白 全体図


今日は午前中は移動しなかった。 朝風呂に入りホームページを更新する。本を読んだり洗濯をして、無駄に贅沢に時間を使う。

さて、洗濯ものも乾いた。日も高くなり、これからどうしようか。
湯布岳あたりに登って温泉に入りながら夜景を見下ろすのも悪くないと思った。 しかし晴れてはいるものの、透明度は悪い。午後からは雨の予報があり、昨日のように夕立があるかもしれない。山のほうは霧に囲まれ、上まで見えない。 雲がでやすい地形なのかもしれない。
何よりこの暑さの中、上まで登るのが面倒くさい。それによく考えると、僕はそれほどお風呂が好きなほうではない。 国東半島にも山はあるのだし、とりあえずそちらへ向かう。

不自由を実感することは簡単だが、自由を実感することは難しい。
この旅をしている最中、僕は自由の中にいるわけだが、ここにきて時間の余裕ができ、前へ前へという気持ちからも開放された。
どこへでも行けるし何だってできることを証明するために旅をしているともいえるが、それはどこかへ行かなければならない義務が発生するという意味ではない。
今日は特に目的地もない。 距離計を見ることもなく、ぼーっと周りを見ながらのサイクリングをする。

九州の風景は、どこかおおらかだ。海があって田んぼがあって国道が走っているのは日本のほかの部分と変わりはないが、山の形が面白い。火山が多いのか、大きくなだらかな斜面をもっている。 標高はそれほど高くないはずだが、特徴的なものが多い。

杵築の町は、古い城下町を保存することに力を入れている。 町並みを保存するということは、昔からあるものに手を加えずそのままにすることではないらしい。 昔風の外観の中で現代の生活をする。昔あったものを残しながら、新しいものを作っていく。そうでなければ、ただ朽ち果てるだけだ。


武家風の集合住宅


自転車置き場もこの通り

資料館のある丘は、気持ちのいい風が吹き、城下が見下ろせる。殿様になった気分で心地いい。

自転車旅行をする人は考えているよりも多いようだ。 いま現在日本一周を目指している人も随分いるはずだし、ホームページを更新している人も僕以外にも何人かいるようだ。
自転車で旅行中の一人のおじさんに出会った。自転車旅行をする人は当然若い男性が多いが、中にはおじさんや女性もいる。 沖縄の人で、ママチャリに荷物を積みあげている。 2年間かけて北海道まで回り、もうすぐ沖縄へ帰れるという。 かなり長い時間立ち話をした。

このおじさんも言っていたが、長旅では野宿の場所探しが大きなポイントになる。
僕は野宿が好きだ。 大地の隙間に自分の場所を作る。薄いテントを隔てて、地球の時間に自分の生活をあわせていく心地よさ。
目を覚ませば朝日がきれいだ。夕日を見逃すこともない。 早立ちとも相性がよく、時間を有効に使える。

毎日場所を探すのには苦労するが、どこででも見つけられる自信がつけば、もう本当にどこへでも行ける。行けるところまで行き、疲れたらそこで休めばいい。 野宿ができるということは、自由への切符を手に入れることだ。

経済的でもある。基本的に無料であるから当然である。 民宿に泊まろうと高級ホテルに泊まろうと、結局は夜寝て朝出発するだけである。 そこに安くても二食付きで5000円。野宿なら食費のみで2000円である。 同じ金を使うなら、おいしいものを食べたほうがいい。

一人旅で個室をとるのも無駄だし(一人の客はいやがるところも多い)、安宿の大広間も公共の場である。 体が慣れていい寝床を見つけられれば、それと同等以上に落ち着ける。 疲れていればどちらにしろすぐに眠ってしまうのだ。

日が暮れたころ、東側の海岸にあるキャンプ場まで走り、テントをはった。 どうも昨日までの営業だったということで、おばさん達が片付けをしている。 自販機や一部の水道は使えないが、お金はいらないから勝手にはってくれということだ。 僕としてはラッキーだ。

松林の中にテントをはり、ご飯を作って一人で食べる。 居酒屋で土地のものを食べるのもよいが、波の音を聞きながら自炊するのも素晴らしい。

一人旅を支えるものは、ナルシズムである。 星ぞらの下、酒を飲んでいる自分に酔うのである。寂しくていやだという気持ちはなく、一人で居ることが必要なのだ。
今日もご飯がうまい。よく眠れる。

(2002年8月28日 記)

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本日の走行距離 50.34km
使用金額 2611円
(うちわけ 食費 2411円 洗濯 200円)