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2022/1/15(土)

長女の誕生日プレゼントは自転車。
小1の時に買ったのはさすがに小さくなったので新調する。 近所のサイクルベースあさひの開店直後に行って、割とすんなり買うのが決まった。

2022/1/16(日)


長女の誕生パーティ。希望によりパイ風ハンバーグ。

2022/1/18(火)

子供が胃腸炎にかかった。ある意味コロナよりうつりたくない。気をつけねば。

2022/1/20(木)

栗城 史多「一歩を越える勇気」

数年前になくなった、色々言われた登山家?のデビュー作。

この人は、名が売れ始めた頃から胡散臭かった。
当初、メディアや世間は結構歓迎していたが、たとえば冬の山小屋なんかで、登山好き同士で世間話をすると、この人のことを良く言う人は皆無で、その印象は僕一人のものではない。

でも僕も、せいぜいメディアから聞く発言や行動が薄っぺらいのにチヤホヤされてるなぁ、というくらいがその根拠だ。 その程度でバカにするのは、ちょっとフェアじゃないような気がした。

僕は山野井さんに会ったことも話したこともないが、その著作読むと、どんな切り口で切っても、どの発言からも、彼がいかに山が好きで、そこに人生を掛けてきたかが伝わってくる。それによって、彼を尊敬すべき人だと判断した。

じゃあ栗城さんだって、著作物読んでからバカにするか否かを判断すべきなのでは。

しかし、そこまで期待できないだけに金払って読むのもなぁ。 とか思っていたら、図書館に置いてあったので読んでみた。

しかし、何でも読んでみるもんだ。期待以上に面白かった。
当初の予定通り、彼が尊敬に値する人ではないという結論は変わらないが、本として面白かった。

とりあえず伝わったのは、彼は山登りもソロ活動も、全く好きではない、ということ。彼の行動の源泉は、目立ちたい、人々の関心を引きたいということであって、その目立つ手段がたまたま山登りだっただけだな。

山野井さんは、世界中の皆が止めようと、あるいは誰もが全く関心を払わなくても、一人で嬉々と山へ行くだろう。
栗城氏は、誰も見ていなければ山へは行かない。この人は、単に皆に注目されたいだけだ。 「インターネットによる感動の共有」というのも、まぁ注目を浴びるための手段なので、ある意味必須だったのだろう。

「単独」というのも全く実質を伴っていなかったので皆のひんしゅくを買ったが、彼にとっては単なるキャッチコピーに過ぎず、本当は一人で行くことに大した関心は無かった、というのも良く分かった。
世界最高峰であれ、はじめてのおつかいであれ、単独行の意義は、自分ですべての決定権を握り、すべてのリスクを背負うことである。 自由も危険もすべてオレだけのものだ、他の人には渡すものかと叫びながら、自分自身の能力を判断し、ギリギリのところで運試しもしながら、目標に向かうことである。

が、栗城氏は、あまりそいういったことに関心はなく、一番大事な「判断」の部分をあっさり他人に託す。そのことに対して疑念も後悔も特に抱かないし、そのことが大事だと、気づいてもないのかもしれない。
このあたりが、薄っぺらさの根元なんだろうな。
大学までのエピソードからも、こういう人物ができあがっていく過程が想像できて、何だか納得がいった。

しかし、実力がないことは割と当初から分かっていたが、なぜこうも世間や僕の関心を引き続けたのだろう。
本を読んでいてポジティブに思ったのは、「夢を声に出し続けるのは重要だ」というメッセージで、これは素直に感心した。

こんな実績も実力もない若造が、一時は多くのスポンサーを獲得し、多くの人を巻き込んで、自分のやりたい夢を一部実現させたのは事実だ。
それは、運とか誰かの思惑とか、そういうのもあるだろうけど、素直に夢を発言し続けた力、というのが案外大きいような気もする。普通は照れたり現実を見たりして口を閉ざすようなことを、言い続けられるキャラクターだったのだろう。

そしてそれは、確かに結構な力になるのだろう。
こんな馬鹿でも結構な実績作った、という意味では、確かに勇気をもらった。

身近な友達に彼がいたら、やっぱりたぶん尊敬もしないし、命を預けて共に行動することは絶対に避けると思う。
集団の飲み会で同席して、ちょっとイラっと感じながらホラ話聞いたり、たまに噂話聞くくらいの距離感がちょうど良さそうだ。

元気玉打つときに、ミスターサタンが役だったように、栗城さんも登山界で一定の役には立っていた。この人の反作用で世に出てきた人って結構いる気がする。
このミスターサタン的ポジションをうまくキープし続ければ良かったのだけれども、それを実現するには、他者の視点を自覚しながらバカ続けられる類まれなバランス感覚が必要だったのだろうな。

2022/1/22(土)


図書館で借りてきた絵本に煽られ、広島焼を作る。

コロナがまた流行りだし、河原へ行く。
似たような境遇の保育園児親子と遊ぶ。


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