現在なんだか知らないけど佐々木さんのカヤックをレンタルしている。
「俺は来年の母島まで使わないから」ということだが、「貸してやるからお前も買え」という意図があるのも明らかだ。
買うかどうかはともかくとして、使ってみないことには始まらない。とりあえず組み立ててみよう。 せっかく苦労して組み立てるのだから、乗ってみたくなるのが人情だ。寮の片隅で組み立ての練習するくらいならば、三浦半島にでも行ってしまったほうが良い。
都合良く会社の同期も捕まり、三浦の三戸浜へ向かう。そこから油壷周辺を目指す算段。
説明書を見ながら組み立て。苦労するかと思ったが、比較的順調にできあがる。30分強。
カレー食った後出港。一頑張りで対岸の海水浴場へ上陸。そこから入り江の奥を目指したり、海水浴場のはしごをしたり。海面をイワシの群が飛んでいくのや、ボラが3連続でジャンプしていくのが見れる。
やっぱりカヤックって海の自転車だ。気軽に上陸できるし、意外と遠くまで行ける。
視点の変化が魅力なんだろうな。喫水が低く、海面が近い。海から見る陸は、陸からは見えない色々なものが見える気がする。
カヤック漕いで面白いのは入り江とか洞窟とか島とか、地形に変化のあるところだ。
油壷周辺にはいくつか入り江があるが、どこも大抵マリーナとして利用されている。緊張間や冒険心とは離れるが、のどかではある。
ま、今度エンジンボート借りたときはこの辺りでアンカ打つのはよさそうだ。
三戸浜の手前でちょっとシュノーケリングして帰港。透明度は今一つだった。
片付け、手入れは面倒だが、車のトランクにつめ込んでしまう。明日洗おう。
自分の計画で乗るのは始めて、海況も台風の影響ありというような不安要素も合ったが、特になんの問題もなく、順調に楽しめた。同行した友達が元ヨット乗りというのも安心感があった。
三浦半島は気軽に行けるし、通勤圏とは思えないのどかさがある。うだるような夏の暑さが、夕方の訪れとともにちゃんと風に運ばれる。
そりゃ式根島や南伊豆ほどの美しさはないが、良いところだよな。
カワハギ肝つき、軽くあぶったイサキ、生サバ、真ごち、金目鯛。ワタリガニの味噌汁。
相模湾の地魚がたくさん出てくる。嬉しい。
あまり何もしない一日。主に昼寝と読書とカヤックの片付け。
「我が輩は猫である」を読んでいる。明治時代の持つ素朴さと向上心、漱石の上品さが、何とも良い心持ちを与える。明治生まれの教師である、我が祖父とその酒宴を思い出した。
彼の猫殿の口調、もちっと正確に言えば文体を真似て見たくなった。
鶏肉とワカメの炒め煮 |
鶏の胸肉とショウガ、野菜を炒める。水とワカメを加えて少し煮た。
味付けは岩塩、醤油、ゴマ油。
毎度のことだが、特にレシピもなく、その場の思い付き料理。うまくいくときと今一つのときがあるが、今回はうまくいったほうに分類される。なんとなく沖縄料理をイメージしてみた。
新宿区の大学に6年間通っていた。だから西口も東口も歌舞伎町も、細かい路地を含めて何百回も通っている。
だからといって、新宿が僕のホームタウンというかというとそういうわけでもない。知っているのは中古カメラ屋と電気店とアウトドア系のお店と本屋さんくらいだ。
今日は新宿で食って呑んで散歩した。新宿で普通に酒呑んで電車で帰るというのは、初めてに近い。銀輪乗って見る風景ともまた一味違って面白い。同じことを百回繰り返しても見えなかった何かが、ちょっと状況変わっただけで見える(看板とか、客引きとかだが)ようになるのだから、油断できない。
友達のライブを聞きにいった。
若者の街、蒸し暑さの去らぬ夜、ライブハウス。
そうだ、あれはもう何年前になるだろう。飼っていた文鳥が死んでしまったのがこんな夜だった。
打ち上げに参加して、べろべろに呑んで、朝日を浴びながら家に帰ったら白い羽が散乱していた。
悲しみのあまりそのまま日本海を目指したわけだから、もう6,7年前になるのか。一緒に遊びながら暮らしていた時間とほぼ同じくらいの時間が過ぎたことになる。
現在は鳥は飼っていないので、朝まで呑んでも死ぬものもない。が、仕事があと一日残っている。帰ることにしよう。
10年前の人たちはどうしていたのだろう。
ハチ公前で携帯電話なしで待ち合わせをするのは、不可能のように思える。近づくのでさえ容易でないし、相手がアメリカ人だからといってまったく目立たない。周囲の人間の3人に一人は西洋人だ。
まぁ最初から会える気がしなかった。昨日の今日で予定を決めて、連絡不十分のまま当日。メールのやりとりだけではスピードにかける。
17:30を7時半に間違うのではなく、19:30を5時半と混同するのは間違え方として器用な部類だが、それが決定的だったと思う。
小1時間ほど待ったが、予想どおり。日を改めたほうが楽しかろ。お腹が空いたので帰ってご飯作ろう。あまり外食が続くのもやりきれんからな。