北アルプス紅葉の穂高岳

ホーム  △次の山  △前の山
>写真

2001年9月25−29日

いつか登ろうと思っていた。
国内において登山といえば北アルプス。その岩峰への憧れを決定的にしたのは登山雑誌に載っていた涸沢の紅葉特集だ。今シーズンは補高に挑戦しなければなるまい。

普段は好天を確かめてから計画を立てることが多い。が、今回はもうちょっと 気合が入っていて、先に日程を決めた。交通機関や山小屋の関係もあるし、好天を確かめていると、いつまで立っても出発できない。

「女心と秋の空」という。昨年鳳凰山にいったときはその後者の方に翻弄されたが、その移り変わりやすい心のおかげで、一日は透きとおった青ぞらに恵まれた。(その前後は冷たい雨に当たったが)
日程に余裕を持たせれば、すばらしい空を拝めるだろう。


9月25日。
研究室の月報会やらバイトやら、忙しい雑務を終わらせて新宿都庁の大型バス駐車場へ。あまりよく眠れない深夜バスに揺られていると、翌朝6時に上高地につく。

この深夜の甲州街道を走るバスのどこかで「なにか」との境界をくぐったのかもしれない。そう考えたほうが自然だ。
朝靄の上高地はまだ人もまばらだ。眠気に支配された体に高原の朝の空気が入り込む。

今日は涸沢まで、距離は長いが、標高差は少ない。楽なコースだ。
登山届を書き、身仕度を整え出発。
明神橋までは二つの道が平行に走っている。所要時間はあまり変わらない。 河童橋を渡り、「自然探索路」の方のコースをとった。反対のコースがメインらしく、人気は更に少なくなる。湿原、小川などが点在し、さるがよこぎったりする。誰もいない林の中に朝の光が指し込む。
あっという間にフィルムを一本使ってしまった。
昨年南アルプスへいったときから考えて、その倍もあれば足りるだろうと考え、15本程度持ってきたのだが、足りるだろうか。

明神橋からはもう一本のコースと合流し、横尾へと続く。梓川ぞいに、穂高連峰を眺めながらの平坦な道だ。 公園のように整備された道から、でっけえな、あんなとこ登れんのかよ、などと思いつつ歩く。
この間、約1時間ごとに、明神、徳沢、横尾と山小屋がある。睡眠不足の身には休憩に丁度いい。

横尾で軽食&大休止。槍が岳方面とはここで別れる。
橋をわたると登りになる。やっと登山道らしくなった。登山者は結構多い。ほとんどが中高年だ。歩くのもやっとじゃないのかというようなおばあちゃんまで登っている。

本谷橋をわたるとさらに傾斜がきつくなり、高山の雰囲気は色濃くなる。あれがカール地形かといった山肌はだんだんと紅葉してくる。

木々がだいぶ低くなってきたなと思うころ、涸沢ヒュッテが見える。もうすぐだ。
空はくもり。流れる雲の狭間からときおり青空が見え隠れしている。

午後2時。涸沢ヒュッテ着。受付を済ませる。
混雑状況は一人ぎりぎりで布団一枚くらいか、という。さすが紅葉シーズン。平日なのにたいしたものだ。

涸沢カールとはお椀を縦に切ったような地形で、そのふちには前穂高、奥穂高、涸沢岳、北穂高と三千メートル峰が連なっている。


そのお椀の底でおでんとビール。至福のひとときだ。
中腹は錦色に彩られ、振りかえるとお椀の切り欠きからは屏風岩、その向こうには常念岳が目をひく。
奥多摩あたりの武蔵野の延長にあるような山とはまったく雰囲気が違う。 日本の美しさというよりも、もっと激しい。地球が露出している。

寝室は屋根裏部屋のようなかんじだ。布団は4枚ひけるが、まくらは10個くらい用意されている。夕食まで睡眠。

山ヤに悪人はいないといわれているらしいが、山小屋の運営はそれをもとに行われているようだ。
例えば食事。素泊りと2食付きには3000円くらいの差があるのだが、食事のときいちいちチェックしない。人数をいうだけだ。
ちなみに食事はご飯、おかず、味噌汁と、極めて普通のものが出た。 山小屋で食事をとったのは初めてだが、普段の乾物を中心としたテント食と比べるとすごいことだ。おかわりもできる。

確かに悪人はいない。いや悪人善人というより、山にいるときその人はもっとも善人になっているというかんじだ。
皆苦労して休みを作り、苦労してここまで登ってきたのだ。ここにいるとき、それは彼の希望が充たされた瞬間だ。みなやたらとしあわせそうな顔をしている。

合い部屋となった他の客もそんな人たちだった。 あっちから来ましたといえば、あぁ良いところでしたなあ、あっちに登りますといえば、あぁ良いところですよ、白馬は美しい、剣は素晴らしい、などといちいちしあわせそうに語るのだ。 酔っぱらったおじさんもどこそこの山小屋は良い、夏のお花畑が良い、雪渓がきれいだ、などと幼児のように繰り返す。
部屋は最初5人だったが小屋の手違いということで4人になった。

夕食後は基本的にやることがない。いびきの数は増えていき、9時には消灯。
しかし僕にはやることがある。写真撮影のため、時折空のチェックをしにいく。 午前2時ごろ起床。星はよくみえるが、所々雲に覆われる。写真を撮ってもこう。 雲が横切ってこんな感じになった。→


午前5時、朝食。
食べ終わるとほとんどの人は出発の準備をしている。僕は眠る。

7時半ごろ目を覚ますと、小屋番の人々は掃除を始めている。
今日の予定は最も少ない。穂高岳山荘まで、3時間も歩けば十分なところだ。 時間はあまるので屏風岩の方でもいこうかと思ったが、意外に手強いコースだとの噂。眠いしさっさか上にいこう。

10分ほど歩いて今年改築されたという涸沢小屋。ソフトクリームを食べて更にゆっくりする。

空は青く紅葉は鮮やかだ。どこを見ても被写体。なかなか登れない。 (その後、この時の写真はフィルムの装填ミスをしていたことが判明する)

標高をあげ、岩と枯れ草の中を左に進むとザイテングラード(支稜)が始まる。 急な岩場の連続で、クサリ、はしごもある難所だが、落ち着いて道を間違えずにいけばどうにかなる。が、もうすぐで山荘というところで道を間違えてひどい目に合った。道標は見落とさないようにしよう。

無事に山荘に着き、手続き。テラスで持参のラーメンを食す。
昼ごろからガスが出てきている。晴れないだろうか。 昼食後、涸沢岳へ。小屋からは30分かからない。生涯初の3000m峰だったが、ガスは晴れず、白しか見えない。つまらん。

小屋に帰って読書。夕食まで宮本輝を読む。
部屋には25番くらいまでの番号札が着いている。その下に布団があって、自分に割り当てられたものを使うのだが、この日のように一番おきに割り当てられると一人一枚になる。従って12〜13人と同居する。

夕食は午後5時半。隣のおばちゃんが食べられないといっておかずを分けてくれた。

夕食後、天気予報のチェック。このときはテレビの前に人だかりができる。 この後雨が振り、明日の昼からはよく晴れるそうだ。 7時ごろには眠っていた。


さすがは一万尺だ。9月の雨は雪になる。スキー場にでもきたかのようだ。
小屋の中はちょっと興奮している。こんな中でも出発する人がいる。

写真を撮ったりしてうろうろしていると、今日は連泊して明日一緒に岳沢を目指さないかと誘われた。話を聞くと、連泊の場合は2000円引きになるという。 まだ星の写真は撮れていないので岳沢ヒュッテでもう一泊しようかとも思っていたが、こちらの方が展望は良い。悪くない話だ。

小屋でおしゃべり、読書、カメラの修理で時間をつぶしていると、東方の空が明るくなってきた。
一時はどうなるかとも思ったが、こうなると早い。どんどん空は明るくなる。

涸沢からは紅葉、新雪、青空の「三段紅葉」も見られるのではないか。 同行を誘ってくれた青年らは、天候の回復が早かったので岳沢へ発つという。

ここで新しいプランがひらめいた。一度涸沢におり、この雨で色づいた紅葉をみる。(この時点で前日の写真が撮れていないことがわかっていた)
そして夕方は稜線上から夕日を拝み、夜は星景色。好天が予測されたからこその計画だ。

岳沢へのパーティを見送り、カメラの修理を終えると9時になってしまった。 空はすでにまっさおで、雪はとけ始めている。少し出遅れた。
写真を撮りながら下る。やはり青空の下は最高だ。雪はとけてしまったが、青と紅のコントラストがあざやかだ。

涸沢ヒュッテで自宅に電話をする。まわりの人の携帯電話は使えていたが、僕のでは通話できなかった。

雲は徐々に増えている。今日は奥穂高にも登る予定だ。 ガスのないうちに行きたい。
今度はあまり写真を撮らずに登る。荷物がないこともあり、どんどん登る。 下るよりも短い時間で山荘に戻った。

そのまま奥穂へ向かう。小屋からすぐの登りが難所だが、それほどの恐さは感じなかった。むしろほとんど垂直に登っていくのが爽快だ。

30分強で奥穂高。本邦第3位の3190m。ガスが出始めているが、その合間から槍ヶ岳の穂先が見えるたびに歓声があがる。 ジャンダルム、西穂高と続く稜線はいかつい。
しばらくするとさらにガスが増えてきた。それを機に部屋に戻って眠る。

しかし晴天の夕方だ。おちおち眠っていて夕焼けを見逃すわけにも行かない。
5時ごろからヘリポートで西方を眺める。 雲界に沈む夕日の美しさは筆舌に尽くしがたい。写真に撮った。 沈む瞬間は小屋の屋根にまで人が出てきて夕日を眺めている。 そしてそれに続く紫のグラデーションは刻一刻とその濃度を変えている。

今夜の晴天は約束された。これを待っていた。
アルプスの山々を月夜が覆う。 その後は写真撮影の合間に食事を撮ったり夕食を撮ったりする。

午前1時すぎ、月が沈むと微光星が存在を見せるようになる。 寒いことは寒いが、厚着をしていれば平気だ。東京の真冬より楽だろう。 小屋のロビーにも寝付けない人などがうろうろしていて、星を眺めている。

暁が始まる。何か宗教でも始めなければ、とか思ってしまう。
山小屋の人はみな早起きで,暗いうちから支度をしている。 中にはヘッドランプをつけて星空の山を登り始めている人もいる。 日が登りきったころ、小屋に戻って食事・荷作り・休憩。


今日は上高知まで下る。所要時間約8時間、標高差約1500mの最も長い1日だ。 奥穂高までは昨日登ったコースだ。肩の荷は重く、つかむ岩は冷たい。

よく晴れている。
槍ヶ岳方面はゴツゴツと続いていて、南方には遥か富士山まで見渡せる。風は冷たい。涸沢の小屋は底に小さい。
あぁ、地球の上にいるんだなぁ。→→→ 奥穂360度

奥穂高から前穂高へは「吊り尾根」と呼ばれる稜線だ。ナイフリッジというわけではないが、右手はスッパリと切れた断崖を見ながらの岩場である。 一般登山道なので足場はしっかりしているが、ややびびりながら下った。

前穂の下の紀美子平で休憩をとり、荷物をおろして頂上へ向かう。
ここも急な登りだ。山にはりつくようにして標高をあげていく。 それほど恐いところはなかったが、岩が濡れているときや凍っているときはちょっと登る気がしない。

前穂頂上。涸沢で同室したおじさんはここを ありがたい山、と評していた。 岩が積みあがってできている山頂からは、これまでとおってきた道がほぼすべて見渡せる。 上高知から梓川ぞいのコース、そこから涸沢まで、ザイテングラードの登り、穂高岳山荘、吊り尾根、これから下る上高知までの道も見える。 確かにありがたい。

紀美子平に戻り、岳沢ヒュッテを目指す。この道は開設者の名を取って重太郎新道と呼ばれている。かなり急だ。クサリ、はしごの連続。 展望は良い。下るにしたがって木々は大きくなる。右手には西穂高から続く尾根が美しい。 ところどころ休憩に適したビューポイントがある。

小便を我慢しつつ、2時間ほどでヒュッテに着く。ウッディな雰囲気の良いところだ。
りんご300円をむさぼる。甘くておいしかった。

ここからは楽な道だ。上高地へと続く約2時間の道。 1〜10の番号が振られた看板があり、残りの距離を知る目安になる。

このあたりまで下ると、まだ夏の終わりの空気が残っている。 木々はまだ青く、稜線から降りてきた身には暑い。

上高地に着いたのは午後3時。驚いたのは人の多さだ。 高名な河童橋の周りなどはハラジュクの如き様相。
久方ぶりに風呂にでも入ろうかと考えていたが、まずはこの混雑から抜け出すことが先決。さっさかと松本直通のバスにのり、丸4日間滞在した北アルプスをあとにした。


河童橋からのあまりにも有名な構図

(2001年10月12日 記)


コースタイム

9/26 6:00-6:30上高地 8:00明神 9:00-9:30徳沢 10:30-11:00横尾 12:10-12:30本谷 14:00涸沢ヒュッテ

9/27 8:45涸沢ヒュッテ 8:55-9:15涸沢小屋 12:00-13:00穂高岳山荘 13:30涸沢岳

9/28 9:30穂高岳山荘 11:30-12:00涸沢 13:30穂高岳山荘 14:00-14:30奥穂高 15:00穂高岳山荘

9/29 7:15穂高岳山荘 8:15-8:10奥穂高 9:40-9:45君子平 10:10-10:30前穂高 13:05-13:20岳沢ヒュッテ 15:00上高地


ホーム  △次の山  △前の山

この山に行こう


上高地まで

電車

松本から
松本電鉄アルピコグループ)  通年マイカー規制が行なわれている。上高地へ行くための唯一の交通機関。本数は多い。

松本まで
JR えきねっと|時刻・乗換案内

バス

高速バス 直通。(一部乗り換えあり) 安い。

地図を手に入れよう

国土地理院 

カシミール 言わずと知れた3D地図のソフト

山小屋情報

南岳小屋
槍ヶ岳と北穂の中間点の南岳にある小屋のHP.期間中は毎日更新される。

北アルプス山小屋交友会
北アルプスの山小屋の情報の一覧。涸沢ヒュッテ等も簡単に紹介されている。

その他の情報

Yahoo!


ホーム  次の山  前の山