奥秩父
雁峠
がんとうげ

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2008年2月10-11日

よく言われているように、一人で山に登るというのは危険な、推奨されるような行為ではないのかもしれない。確かに「山に登る」ということを目的にするならば、安全面を考えれば複数で登るべきだ。
しかし、目的が「自然の中で一人で居る」という場合、これはもう一人で登るほかにない。

昨日の雪もやみ、晴れそうな連休の中日。
特に予定はない。
家でだらだら過ごすか、山行って雪にまみれてくるか、前日から決めかねていた。まぁ、朝起きた時の気分に委ねるとしよう。

で、目を覚ませばやっぱり青い空が見えるわけだ。こんな日は家でゆっくりしているよりは、白い雪を踏み締めているほうが後悔が少ないはずだ。よし行こう。

山に登るのはつかれるし寒いし、面倒である。昨年1年間は「星の写真を撮る」ってことを強い動機にして、その面倒さを蹴散らしていた。が、写真展を終えて一息ついた今、写真撮影にかける比重はそこまで強くない。
だがなんだか、無性に山へ行きたい。誰もいない雪の山で、一人の夜を過ごしていたい。
別に一人の夜を過ごすのなんて、わざわざ山に行かなくてもいつもやってることだ。この日だって、家にいてもそんな感じになるはずだ。
が、それよりも雪山の中の、完全に一人の夜を過ごしたい。何故って聞かれても困るが、本当に誰もいないところで一人でいる方が、寂しさを感じないからかもしれない。

ということで、今日は通年営業の山小屋じゃないところがいい。かといって、テント泊は寒い。避難小屋とか、冬季小屋とか、そういうのがあるところ。八ヶ岳とかアルプスとかはやめて、もっと手近な、渋いところ。

どっか無いかなと探していたら、多摩川沿岸の絵地図が目にはいる。その源流に笠取山。冬季小屋もあるし、雪があれば登山者ほとんど来ないだろう。勝沼まで車で行ってしまえば、時間もけっこう短縮できるし、帰りに温泉も入れる。

そんなわけで朝からドタバタと支度。出発は随分遅くなる。
今回は公共交通機関は使わず、自分の運転で。どうも西沢渓谷行のバスが、冬季も運行しているか分からなかったし、今回は夜を徹して星見てることも無さそうだから、睡眠不足の心配も少ない。

駐車する場所にはちょっと困ったが、結局は確実な湖のほとりの駐車場に泊める。
13時過ぎから、林道を黙々と歩き始める。雪は新雪、登山道の初め辺りでは40cmくらい積もっているだろうか。長い林道歩きのコース、普通なら単調な舗装道って退屈で疲れるだけだろうが、今日は雪に覆われている。

雪の上を歩くと言っても実態は様々だ。
よく締まった雪ならば、山の中では本当に飛ぶように歩ける。大岩も木も薮も一様にならしてしまい、ほどよいクッション性を持たせた地面となるので、そんな雪は歩いていて気持ちがいい。
しかし今日は、降りたての新雪。地面のようで地面でない、かといって空気でも無い、歩行を邪魔する存在である。

道は終始ゆるい登りの一本道。積雪量はほぼ一定。溶けているところも、吹きだまりの深くなっているところも無く、常に膝のちょっと下まで埋まる。ピッケルを突き刺すと、65cmくらい刺さって地面に当たる。雪の底部15cmくらいが、僕の体重を支えていて、残りの50cmくらいを一歩一歩耕しながら歩くことになる。一歩だけならそれほどの重労働ではないが、さすがにペースは落ちている。

出発前の朝に支度をしたものだから、あまり時間的余裕はない。それでも、標準的なペースならば日暮れまでに笠取峠小屋に着くはずだ。多少の遅れなら、その手前の雁峠小屋に泊まれば良い。
しかしどうも、その程度の遅れでは済まなそうだぞ。通常の2倍くらいの時間がかかっている。こりゃ、ビバークの必要が出て来るかもしれない。

しばらく歩いても、状況は変わらない。良くも悪くもならない。
一般車両が入れる区間はとっくに終わっているが、まだ作業車とか、車高の高い小屋の車は入れる区間なのだろうか。雪に覆われて正確には分からないが、道幅があり、地形に変化は少なく、ずっとゆるい登り。

だんだん日暮れが近づいてくる。
今の見立てでは、稜線まであと2時間はかかるだろう。そして、あと30分もすれば暗くなる。

判断は早いほうがいい。「もしかしたら小屋までつくかもしれないし、とにかく時間と体力が許す限り進んでみる」っていう考え方は危険だ。 日暮れ後に2時間行動することも可能かもしれないが、暗くなれば現在位置を知るための情報が極端に少なくなる。初めて通る道なので、危険性も高く、緊張するだろう。
精神的プレッシャーが強くなり、同じ距離を歩くにしても疲労が溜まる。疲れるとどうなるかというと、判断力が落ちる。「休憩をとる」という判断を下すことさえ難しくなることもある。

周囲が見えるうちに寝床を確保してしまおう。そうしてしまえば、何の問題も無い。
今日は避難小屋泊まりのつもりだったから、テントは持ってきていない。小屋まで行けなければ、ビバークということになる。実はビバークするのって初めてだ。

しかしまぁ、不安はまったくない。足りない装備は薄っぺらいツェルト一枚だけ、寝袋もシェラフカバーもあるし、いつもどおり撮影のために防寒具は十分ある。
天候も安定しているし、今日は谷筋に滞在するのだ。風も無い。 いつもはもっと寒い稜線で、風に体力を削られながら一晩中写真撮っているのだ。それに比べて、はるかに快適な環境だ。

まず場所決め。
手元の登山地図には二つ目の車止めのゲートが示されているのでそこまでは行きたいと思ったが、結局これは見つからず。

この時間この場所なら、人通りを気にする必要はまったくない。僕以外の人間が、半径1km以内にくるわけない。人じゃなくて獣の通行も、そんなに心配ないだろう。雪の上に確認した足跡は、シカ、ウサギの類いがちょっとあった程度で、ほとんど通らないみたいだ。
地形も、川沿いの単調な緩い登り。道幅もあるから、どこでも好きなところにマットと寝袋広げて寝てしまえば良い。

というわけで、あ、この景色良いな、というのと、もう疲れたからここにするか、というのと、地形や樹林がなんとなく安心というののバランスで寝床を決める。なんだか、自転車旅行の時の寝床を探しているときのことを思いだす。

空気でもなければ地面でもない、曖昧な存在であるフカフカな新雪をならす。
立って半畳寝て一畳、合わせて1.5畳程度のしっかりした地面を作る。そこにマット敷いて寝袋広げて、今夜の我が家が完成。あとは厚着。 装備十分。天候良好。快適な夜が過ごせそうだ。
当初の目的である、「誰もいないところで一人の夜を過ごす」ということが、とても高いレベルで、かつ何だかトホホな状況で達成することになった。

片手間に写真撮影。
デジカメの電池を充電するのを忘れ、フィルムカメラ一本で撮影。
(だから今回は写真が少ない。写真撮影に関して、あまりにも気合が入っていない。)

あとは食事と酒だ。これで完璧だ。
と思ったら、コンロの着火装置が壊れている。確かにこの部材はイマイチ信頼性に欠ける。いつもはマッチやライターを保険として持って来ているが、今日はない。

さぁ困ったぞ。ツェルト無くても我慢できるが、火が無いのは我慢できない。 暖を取れないし食事が作れない。

一人じゃなければ、大きな問題にはならない状況だろう。タバコ吸う人と一緒なら、なにかしら火種は持っているだろうし、隣に他の登山者いれば、借りることができる。 でも一人だから、自分自身でどうにかしなきゃいけなくなる。

帰ってしまおうか、とも思った。それほどの危険個所なかったし、自分でつけたトレースがある。夜とは言え、来た道を戻るのであれば行動できると思う。4時間かけて来たのだから、4時間程度で帰れる。日付が変わるころには車に戻れる。徒労といえば徒労だが、山登り自体徒労と言える。

しかしこういう状況、今までだって何度かあった。そのたびに、何か手近なもので代用するなり、修理するなりして乗り切ってきた。とりあえず今回もやれるだけの手は尽くそう。
燃料はあるのだから、一度燃焼反応の呼び水となるくらいの火花さえ起こしてしまえば、その後はロウソクを種火にするなりして、あとはなんとかなる。

ザックの中を隅々まで探しても、マッチの類いは見つからない。この低温世界では、着火装置を修理するしか火を起こす方法は無さそうだ。
とりあえず分解。なるほど、圧電素子にバネで衝撃力与えて火花放電起こしているのか。しかし原理を理解したところでスマートに修理できる訳でもなく、強引にガチャガチャやっていると、十回に一回程度、正常に機能することがあり、まぁ何とか食事にありつくことができた。


朝。
熟睡とは言えないが、それなりに眠ることはできた。じゃあ上を目指そうか。 通常3時間の道を、昨日は4時間ほど歩いた。あと2時間くらいでつくかと踏んでいたが、そんなに甘くない。

川の徒渉が何度かある。新雪を溶かし、豊富な水量だ。
雪は地面を覆い、小石を覆う。小川の上もなんとなく覆っている。曖昧な新雪の地面は、いろんなんところに天然の落とし穴を作っている。 川を渡る際も、どこが確固とした足場で、どこが落とし穴なのか、一見しただけでは分からない。
さぁ、どこが安全でしょう。大自然からクイズを出されている。間違えた場合は、罰ゲームとして雪の中でずぶ濡れ。
それも嫌なので、木の枝やピッケルで石の表面の雪を払い、わずかずつ前進して、ようやく渉る。

斜面がきつくなれば、吹きだまりも増える。とりあえず方向はあっているけど、この雪の壁どうするの?っていうような、背丈ほどの雪にとりつき、もがきながら前進する。やっぱり処女雪をかき分ける第一開拓者には、いろんな苦労がついてくる。

今回の登山の目的は一人で夜を過ごすことで、登頂することではない。もう目的は果たしてしまったけど、でもこういう何の変哲もないところで引き返すのもなぁ。

何だかんだで苦労して、結局雁峠の稜線に出るまでに4時間かかった。昨日と合わせて8時間。通常3時間のコースなので、3倍近い。

今回の目的地、笠取山が目の前に見える。通常ならば30分位なのだろうか。
しかし今日は時間がかかりそうだ。予想どおり踏み跡はまったくないし、雪も相変わらず、新雪フカフカのままだ。もしかしたら風に吹かれて氷化してないかなというのは、やはり淡い期待のままだった。

もう疲れた。別に頂上まで行かなくていいや。2時間くらいで往復できるだろうか、というようなことも予測したくない。 稜線までこれて、いちおう達成感もある。満足だ。

ここにあるはずの、雁峠小屋は見当たらない。少し奥まったところにあるのかもしれないが、この新雪では無駄に歩き回りたくない。風も強いし、寒いので引き返そう。

8時間かかって登って来た道、下るのに8時間はかからないだろう。重力が味方してくれるのと、自分で作ったトレース使えるのと。
実際、稜線近くの斜度のきついところは、だいぶ稼げる。1時間かけて登ったところを、10分程度で下りられてしまった。

しかし、やっぱり楽じゃない。
まぁ日暮れまでには降りられるだろうが、下山後に余裕をもって昼ごはん食べようと思っていたのだが。
黙々と歩くしかない。 自分の作ったトレース。無いよりはずいぶん楽なはずだ。

もう少し歩いたら休もう、次の日向で休もう。
そう思っていると、不意に足が楽になる。雪の状態が変わる。

何だこれは?ここだけ日向で雪が溶けたのか?と思ったが、さにあらず。
ここには後続者がいたのだ。で、ここまで来て引き返した。よく見ると、僕のものではない杖の跡がある。

これで元気100倍だ。ペースが上がる。
しかしここまで楽になるものなのか。足跡から察するに、2、3人のパーティが一往復した程度だと思う。僕一人が通っただけの今までの道に比べ、体にかかる負担は半分位になっただろうか。「人が通ったところが道になるのだ」というようなことを聞くが、僕一人が1往復、推定2人が1往復、人間が合計6回通っただけで道ができている。
他人にトレースをさせ、自分はついていくだけの「ラッセル泥棒」という言葉があるが、なるほど。これは状況によっては泥棒と呼ばれてしかるべきだ。

最初の開拓者って大変なのだ。同じ距離を進むにしても、何倍ものエネルギーを使う。のちに続く人たちがそこに追いつくのはけっこう簡単だ。
様々な分野で言えることだと思うが、新雪の山を歩く時もやっぱりそうだ。

下山は結局16時前後だっただろうか。朝の7時から9時間労働。
入浴後、間食しながら高速走って帰宅。


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