3/11 テアナウ 釣り

たとえば山へ行く場合、多少天候が悪かったとしてもその目的は達成される。しかし釣りの場合、結果がはっきりと数字に現れる。勝ち負けがはっきりする。
魚が針を呑み込み、力が手元に伝わる。その瞬間からすべてが変わる、そういう一瞬が得られるか。

午後7時、ガイドのケビンが迎えにくる。マナウポリ方面へ15分ほど車を走らせて川へ到着。
ウェーダーを借りて川へ入る。かなり流れは早い。

実際にやってみると、かなり忙しい。糸を繰り出してフライを流す間、その糸を手繰り寄せて流しきるとまた投げる。そのくり返し。

そうしているうちに水面が騒がしくなる。
バシャッ、と魚の捕食音がし始める。海釣りでもそうだが、魚は一定間隔で釣れる訳ではなく、釣れるときに釣れるのだ。釣り人はその時間のことを時合いと呼ぶが、それが始まったようだ。

だが僕はビギナー。今の僕の仕掛けが釣れる状態にあるか判断できない。さらに悪いことにあたりはかなり暗くなってきており、糸がちゃんと飛んでいるかもわからなくなってくる。

あぁマスの料理法もいろいろ考えていたのに。
僕はその一瞬を味わうことができなかった。釣りはギャンブルであり、僕はそれに負けた。高額のガイド料も報われなかった。魚に金を払っているのではないからしかたがないのだが。

だいたい1時間半じゃ釣れねぇよ。慣れてないし、夜だとわからないし。
まだフライで魚を釣ったことがない。こうすれば釣れると確信をもって釣りができない。それでいいのだよと魚が答えてくれなかった。
あぁ悔しい。
ガイドのケビンは俺も最初の一匹を手にするのに時間がかかったとか、今日はそれほど食いが良くなかったとか、キャストは巧くなったとか慰めてくれるが、あぁ悔しい。

帰宅後、グリーンストーンから帰ってきた大阪の大星君に以上のような愚痴をたれまくる。「食べきれないからお裾分け」とか言ってみたかったのだが。

(3/12,2003 記)