奥秩父茅ヶ岳

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2001年12月9日、10日

やっぱり南アルプスは格好いい。特に甲斐駒がよい。 獅子座流星群を見た帰り、大菩薩から降りていく車の中でそれを確認した。
そこで今回のテーマ決定!

「南アルプス連峰に沈むオリオン座」

いくつかの候補から「ニセ八ヶ岳」こと茅ヶ岳に登ることにした。さっそくパソコンで調べ、作ってみたイメージがこのCG。


カシミール、ステラナビゲータで作成した画像をPhotoShopで合成

これに盆地に広がる町の夜景が加わるだろう。日の出直前をねらって朝の透明感を演出したいところだ。都合よく、この日は午前6時ごろにオリオンが沈む。

そして実際に撮影した写真がこれ。もうちょっと露出を長くするとか感度の高いフィルムを使ったほうがよかったかもしれない。
まぁまぁのできかと思う。


登山は計画がとても重要だ。多くの失敗と経験が僕にそのことを教えてきた。

一日にバスが5本も通らないような場所へいくことからもその重用性は理解できるだろう。
日没の時間、歩行時間、バスの時間などを考慮すると必然に出発の時刻が決まる。 これを決めるのにインターネットが役に立つ。
当日は天気の確認後、あとは計画どおり動くだけだ。

この日ははそれがうまくいった。

  • 北朝霞発の電車を予定より多少早いものに乗る。乗り替えが増えた。
  • バスは予定どおり。
  • 登山口まで約1時間。予定どおり。青竹を杖として加工しておく。
  • 登山口の深田記念公園には大型バスがとまっていた。まぁ予想どおり100名山おばちゃんがおしかけているのだろう。
  • 水場までは約1時間。落ち葉で敷きつめられた静かな道だ。ときおり下山者とすれ違う。
    そして大行列の団体さんとすれ違ったところで水場についた。数名が憩いの場を作っている。
  • ここからは登りが急になる。一歩一歩しっかりと登っていくと、やがて稜線上に出る。景色は開けるが12月の風は冷たい。
  • しばらく歩くと「日本百名山」の深田久弥終焉の場だ。ああいう本を書いている人が、こういうところで事故死ではなく死んだなんてあまりにもできすぎている。
    うーん。理想的だ。

そして頂上。
なかなかの好展望だが少し樹木がある。 背伸びをしなければ南アルプスは麓まで見えない。富士山は少し降りたところから素晴らしい。金ヶ岳までいこうかとも思ったが、まぁここで良いだろう。

そう決まると結構忙しくなる。着替え、テント設営、撮影準備などで、日没の瞬間を見逃したほどだ。
ここからの夕日は鳳凰山方面へと沈んでいく。本邦第二の北岳が隠されているのは残念だが、隠しているのは昨年登った鳳凰山だから寛大な気持ちになれる。
ほぼ予定どおりに全ての準備を終わらせることができた。

あとはもうひたすら寒さに耐えながら写真を撮る。ラジオを聞きながら、寝袋でじっと朝がくるのを待つ。ラーメンをすすって暖をとる。
オリオンは昇っていく。

この日は氷点下7度。風が強いのが辛かった。

写真1枚には5分〜2時間露出をかける。一晩中撮影してもフィルム一本分だ。 そうやすやすと失敗するわけにもいかない。


今回の勝負どころである明け方の作業を終え、朝ご飯を食べる。 燃料が危なかったが、何とかお粥を暖めることができた。

水筒はすでに氷の塊で、テントの内側にも白い氷の層ができている。
それらを片付け、出発は8:30ごろになってしまった。

2つのピークがある金ヶ岳へは登って下って約1時間。木々の合間から富士や南アルプスが見え隠れする。
そこから麓まで、一度として緩むことのない下りが始まる。 火山性の山特有の地形らしい。

途中、八ヶ岳、南アルプスの大展望が得られる露岩あり。麓まで隔てるもののない迫力。こういうところから写真を撮りたかった。やや狭いが、テントは張れるだろうか。


再び確認しよう。
登山は計画がとても重要だ。これからも多くの失敗と経験が僕にそのことを教えてくれるだろう。
バスの本数は少なく、しかもこの後重要な授業がある場合にはその重用性は更に高まる。

この日ははそれがことごとく悪い結果へつながった。
日の出の時間、歩行時間からバスの時間が決まるし、帰る時刻も大体わかる。 だが、この時すでに10時過ぎ、予想よりだいぶ遅れている。
バスに乗り遅れるぞ!

急降は続いている。かなりなペースで降りるものの遅れはとり戻せない。 登山道終点についたのは12時近く、バスはとっくにいってしまっているだろう。次のバスは随分待つだろう。

計画を立てるときに必要にして不可欠なもの、それは地図だ。
僕の手元にある地図は、詳細図はここまでで、これ以降の道は裏面の広域図に頼ることになる。

ここからバス停までは結構遠く、このコースを使う人の多くはタクシーに乗ってしまうようだ。しかしそんなことは公共の交通機関保全のためのにも財布のためにもするわけにはいかない。
眼下に広がる盆地の底を目指して長いアスファルトをてくてくと歩いていくことになる。 バスの待ち時間を考えると、その先の穴山駅まで出てしまおう。


穴山駅はこのあたり 金ヶ岳より

地蔵のオベリスクを目印に、茅ヶ岳山麓に広がる高原野菜畑帯を抜ける。
重い荷物とアスファルトにいじめられて1時間、谷底に走る中央道を潜りぬけた。
中央道と中央線、甲州街道は3つで1セットだ。もうすぐで駅につくはずだ。

夜を徹しての撮影、下山、長い車道歩きでかなり疲労している。だがそれよりも辛いことは、この辛さの終わりが見えてこないという精神的なものだ。
見えるはずのものが見えず、標識は山道の登り坂を示している。

とりあえず登っていくものの、道は山深くなる一方だ。地図で確認すると、既に駅を通り越してしまった疑いが出てきた。

一度きた道を引き返すのは辛い。とても辛い。
だが、迷ったときは確認できるところまで引き返すべきだ。
そしてここまでで唯一のお店のタイヤ屋に聞いてみると、今引き返した道で正しかったことが判明する。詳細図の不携帯、疲れから出た希望的観察が生んだミスだ。

引き返してきた道を更に引き返すのも辛い。
だが方向性は示された。もうここまでくると開き直ってきて、疲れとかどうでも良くなってくる。今進んでいる道は正しいのだ。

青竹をカツカツ言わせて登り,先ほど引き返してきた地点を越えてさらに登る。するとやっとのことで穴山の集落に入ってくる。
こんなところに中央線通してどこの政治屋の陰謀かと思ったが、穴山といえば武田信玄の家臣にもいるし、温泉もある(やってなさそうだった)古い集落なようだ。

そして交番や交差点のある中心部に至る。まだまだ油断できないぞと思っていたが、そこから数分、唐突に穴山駅が現れた。

あぁやっと終わりだ。
悪循環の総仕上げとして、1時間に1本しかない電車を3分前に見逃していて、授業にも出られなくなる。だけどもういいや。
山のてっぺんから麓まで、すべて自力で降りてきたことに多少満足を覚えながら、誰もいない駅でただぼーっと次の電車を待っていた。

(2001年12月20日 記)


コースタイム

12/9 12:00韮崎 12:30穂坂バス停 13:30登山口(深田記念公園) 14:30-14:50女岩(水場) 15:40山頂

12/10 8:30茅が岳山頂 9:30金ヶ岳 11:50林道終点 13:40穴山駅


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