ジョンビーチ・ジニービーチ

あぁ。
データが消えた。

境浦の沈船に登って撮った写真も、釣った魚の写真も、陸酔いしながら船長と一緒に撮った写真も、南崎の宝石のような海岸も、窒息しそうになりながら、岩場に潜って撮った宝石のような魚たちも、海中の鮮やかな、不思議な形をした岩や白く輝く海底の砂も、汚らしく日焼けした自分の姿も消えてしまった。アンナビーチで皆といっしょに撮った写真も、卵を産むウミガメの姿も、それを拾うお兄さんの姿も、出港するははじま丸を見送って海に飛び込んだ写真も、大洋に沈む夕日の姿も消えてしまった。あかね色の雲をバックにジャンプするクジラの姿も手元にないが、まぁこれはもともとシャッターを押せてなかったのでしかたがない。
手を伸ばせば届くようなところにイルカがいたのに、写真を撮れなかった。目が合って一緒に泳いだのに写真を撮れなかった。
会社のカメラを壊してしまった。
あぁ。
超がっかりだ。

まぁこんなところまで来て1日中がっかりしているわけにもいかない。手元に残った防水の使い捨てカメラを持って、父島最南端のジョンビーチ・ジニービーチを目指すことにした。
ちょうど母島の南崎に似たようなところで、山道を歩いていくとコペペ海岸、小湊海岸、ブタ海岸、ジョンビーチ、ジニービーチと美しい海岸が現れる。
今日の空は灰色。海も灰色。
いくつかのビーチで泳いだが、今日はちょっと透明度も悪いようだ。

遊歩道と言う名前がついているが、かなりアップダウンのきつい山道だ。ジニービーチまでは片道2時間、高尾山のぼるよりもきつい1日行程のところだ。左手は深山、右手はエメラルドグリーンの海というような光景の中を歩いていく。
ジニービーチで泳ぐ。かなり冷たい。さらに流れが早い。一生懸命泳ぐと、やっと止まれるくらいなので、沖に行くことはできない。ハムをまくと魚がよってくる。それを何とか写真に撮ろうとする。寒い。

帰り道、久しぶりの雨を吸い込んだ森からは色々な匂いがする。森の匂いといってしまえばそうなのだが、ニュージーランドの森の匂いとも、奥多摩の森の匂いとも違う。甘い匂いとか、ヤギの匂いとか、ヤシ科の植物の匂いとか、潮の香りとか混ざっているのかもしれない。
ポツポツと雨が降っているようだが、頭上の木々の葉を貫くほどの雨量ではない。
波の音、雨が葉を叩く音、虫の音、鳥のさえずり、ヤドカリ、とかげの音、僕の足音。
湿度100%の空気は体との境目を曖昧にさせる。気温も肌の温度とあまり変わらないのだろう。暑くも寒くもない。どこまでが自分で、どこからが森だかわからないが、とにかく帰り道を進む。
体が疲労してくると、データの消えた無念さは薄れていく気がする。そういうことを感じる余裕がなくなってきて、それよりも早く無事に帰るほうが大事なのだろう。

小笠原の人たちは、本州のことを「内地」と呼ぶ。沖縄の人たちは「本土」と呼ぶし、北海道の人たちは小笠原と同じく「内地」だが、この違いは何だろう。「東京に帰ったら…」などと使うと、ここも東京だと怒られる。
町でバイトしているような子は、ほとんどが内地の人のようだ。
片道のチケットのみ買って遊びに来て、居心地が良いからそのまま島で生活を始めてしまうパターンというのがかなり多いようだ。父島のユースに泊まったときもお客さんから居候に変わる瞬間に立ち合ってしまったし、今日行った飲み屋のお姉ちゃんも10日前に観光にきたのだけど、客として入った飲み屋ですぐに採用が決まり、今はアパートも見つかって新生活が始まったと言うことだ。今までの生活はどうするのだろうと思わないでもないが、人生のある期間を、この楽園みたいな特殊な環境で生活するのは貴重な経験になるだろうし、うらやましいよなぁ。

(2004 5/7)


自転車旅行記 自費出版
本のほうが読みやすいぞ