1999年5月2日〜4日
青空。
見渡す限りの青空。
自転車に乗ってどこまでもいける、そんな気分になる。そういう日が続いたのは大学一年のころだったと思う。
で、実際にはどのあたりまでいったかというと、そのころはバイトなどで鬱屈としていて都内を適当に走っていた。白地図の上を、幼児がクレヨンで書き殴るような走り方をしていた。 高校時代、部活に向けられていたエネルギーがそのやり場を求めていた。
目的もなく何十キロも走っていて、延々と続く住宅地の海にうんざりしていた。
この海の中には何千万もの人が暮らしていて、全ての人が僕には何の関係もない。
泊りがけで出かけなければならない。それがこの絶望の海から抜け出す唯一の手段だ。
幸いにしてテント、寝袋などの基本的な道具は、星を見る用に買ってあった。
大学3年のゴールデンウィークがやってきた。
具体的な計画はない。とりあえず海にいこう。前年の夏、久しぶりにつりを再開し、魚をつりたいと思ったからだ。
横浜までの大きな道は国道1号と15号がある。第三京浜ぞいに行こうとすると途中で道に迷う。この時はちゃんと行けたのかどうか覚えていない。
途中で三浦半島フィッシングマップを買った。
この時期はめばると海たなごが釣れるとある。
磯子区のあたりの釣り具屋でじゃりめを購入。いくつか釣り場をのぞきながら南下するが、これといったところが見つからないまま日は暮れていった。金沢八景では打ち上げ花火があがっていたのを覚えている。
夜の運河ぞいの道、国道の照明が連なる中を走り、トンネルをくぐって結局横須賀市の長浦港というところについた。
早速仕掛けを作り釣りを始める。すぐさま電気うきが消える。めばるが釣れた。
速攻で刺し身にする。身がこりこりしてうまい。
が、次が続かない。まわりも釣れていないようだ。
この夜は隣でドラマの収録をしていて騒がしかった。SPEEDのうちのどれかがでているやつで、随分と遅くまでやっていた。 照明がまぶしくてよく眠れなかった。
朝、再び釣りをする。
が、釣れない。はぜが思い出したように一匹釣れたくらい。
軍艦の浮かぶ長浦港をあとにする。
海ぞいの道を進む。そこに「三笠」 の文字。坂の上の雲の鮮烈な記憶がよみがえる。こんなところに祭られていたのか。東郷元帥の銅像を見たが、艦内は有料なので入らなかった。
さらに海ぞいを走る。公園、砂浜と続く。横須賀というとそれなりに都会のイメージを持っていたが、なかなかきれいなところではないか。もちろん田舎でもなく、不便は感じられない。
このあたりから段々おかしくなってきた。腹の調子が、である。そしてそれはいきなりピークをむかえ、どうにもならなくなる。
なんとか観音崎公園の駐車場にあるトイレに到着。お世辞にもきれいとはいえないところだったがこういう場合は天国のように感じる。
昨日のめばるが悪かったか。あるいは睡眠不足や疲労が体の調子を崩したか。
人目も気にせず駐車場の傍らで休養をとる。5月の日差しを浴びながら眠っていたら随分楽になった。
いけるところまで、すなわち三浦半島における地の果てである城ヶ島まで行こうと考えていたのだが、この時点で不安になった。
ちなみにこのあたりの道路はめちゃくちゃこんでいた。観音崎周辺の道路は路駐で完全に一車線埋まっていた。
観音崎の公園を一周し、久里浜の駅前で「三浦そば」というのを頼んだ。ざるそばに大根の千切りがのってるもので(三浦大根?)、消化不良の僕の腹には丁度良かった。
体力も徐々に回復してきた。地図をにらみ、釣り場案内と相談して今後の身の振り方を考える。衣笠を越えて西側に出ることにした。
三浦半島はサイズが程よい。自宅からの距離も遠くはない。初めての旅としては最適だったと思う。
相模湾側の長居仮屋港にもほんの少しの苦労でつくことができた。
そして釣りを始める。上州屋で買ったしもりうき仕掛けで海たなご狙い。
素人ながら、日没のころかなりの型のものを釣ることができた。何度かあたりはあったが、ここでは確か一匹だけだったと思う。
日が暮れてくると寝場所の心配をしなければならない。少し離れた釣り場には砂浜があるところがある。そこなら良いのではないか。
普通、夜道を移動するのはとても危険である。道がわからなくなるし車が飛ばしてくる。都内のこうこうと照らされた道しか知らなかった僕はそのことを知らなかった。が、三浦半島の国道もそれほど危険ではない。
秋谷海岸に行こうと思っていたが、入口がわからず隣の久留和海岸というところに無事ついた。
ここで実感したのは自転車旅行の気楽さである。まず今日中に帰らなきゃ、というのから開放される。できる範囲で無理せずにやればいい。
そして何よりも大きいのがコンビニの存在だ。山で眠るときと違い、水・食料をすべて持参する必要がない。これが大きい。なくなったら補給が効く。ほんの少しの小銭で必要なもの全てを24時間体制で供給してくれるのだ。山の上で忘れ物をしたときのような惨めな状況にはならない。
砂浜で眠る。それはとても快適なことだということがわかった。.布団のように柔らかい。体型になじむ。前日のアスファルト、今までの狭い山頂で眠ってきたのとは比較にならない。波の音を聞きながらよく眠ることができた。
野宿をしていると、太陽が目を覚ましてくれるようになる。早朝の釣りを予定している場合はなおさらだ。
ここ久留和海岸は小さな港、小さな砂浜、小さな岬がセットになったところだ。
こんなところがあるなんて知らなかった。穴場なんじゃないだろうか。
前日に引き続きたなご狙い。釣りやすい堤防だ。今から思うと餌を大きくつけすぎていたのだが、何度もばらしながらも2尾釣り上げることができた。大きいのは出産を控えたかなりの型で、25cmを越えていたんじゃないか。
しかし海の魚のひきは強い。子供のころ釣っていたクチボソなんかとはわけが違う。あたりがあったときは根掛かりなのではと思ったほどだ。
たなごには普通こませを使うものらしいが、こませなしでも結構当たりはあったと思う。日があがるとあたりが少なくなり、それ以上に餌が少なくなり、合計3匹のところで釣り終了。
帰りは海ぞいに鎌倉→横浜と向かう。景色が良く気持ちのいい道だ。加えてこのあたりは慢性的な渋滞道である。車に対する優越感も味わうことができる。
このGWは好天に恵まれ、各地で人にあふれていた。鎌倉もすごい人だった。鶴岡八幡宮をひと回りしたあと、かきごおりを食べ横浜へ向かう。
中華街も文字どおり人であふれていた。肉まんを食べて家へ向かう。
夕方までにはついていたと思う。版ご飯には海たなごの塩汁を食べた。
海たなごは卵胎生なので、子持ちのやつはかなりグロテスクである。
こうして初めての自転車旅行は終わったわけだが、思った以上に気が楽にできた。
海ぞいの国道で、反対車線から自転車がやってくる。ヒツジの角のようなハンドル、リヤキャリアにつんだ荷物が旅の経験を感じさせる。右手を挙げ、親指を天につきたてた。ああ、僕に挨拶をしているんだ。こちらもあわてて挨拶を返す。
ただそれだけのことが無性に嬉しい。彼には彼の道があり、僕には僕の目的地がある。その一瞬の交点での挨拶。それ以外は何もないのだが、非常に印象的な場面だ。
2001年6月 記
本のほうが読みやすいぞ
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