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自転車旅行記 自費出版
本のほうが読みやすいぞ

8月13日

行程

徳島


8/13:黄色 全体図


徳島市滞在。

午前中はユースホステルの前の海岸で遊ぶ。急深の砂利浜で、僕の好みだ。 はじっこの岩場で潜っていると、クロダイらしき魚影を確認。えさとりも少ない。
これは釣らなくては。
魚つりの要素の一つとして、いかに水面下の状況を想像できるかというのがあると思うが、潜ってから釣るというのはその点で有利だ。

しかし腕が伴わない。磯場での釣りは経験が少なく、風も強くなってきたためどうも要領を得ないまま、またボウズ。連敗である。

午後。市街へ向かう。
ここのところ、祭の世界でも勝ち組みと負け組みにわかれているようだ。 全国的な知名度を得たものは近隣の観光客を集め、過疎の村では伝統的な祭を開けなくなる。(詳しくは知らないが)
ここ阿波の国の盆踊りはもちろん前者だ。輸出までしている。
町内をあてもなくふらふらすると、さすが祭一色の空気だ。あちらこちらで踊りの練習をしている。


夜、幾つかの色あざやかな光彩がそのまわりに林立するとき、川は実像から無数の生あるものを奪いとる黒い鏡と化してしまう。
不信や倦怠や情欲や野心や、その他まとわりついているさまざまな夾雑物をくるりと剥いで、鏡はくらがりの底に簡略な、実際の色や形よりもはるかに美しい虚像を写し出してみせる。

今読んでいる宮本輝の一節。大阪じゃないけど。


通りを歩くと若者が踊りを踊っている。それを見物し、写真をとり、退屈することはない。見る阿呆というやつだ。

誰が音頭をとるというわけでもなく、自然と誰かが音頭をとっている。集団の中で個が光り、個々によって集団が生きる。それぞれが機転をきかせながらも、その中に規律がある。皆が同じ文化を共有している。楽しそうに踊っている。
あぁ、彼らには場所があるのだなぁ。

勝ち組みの祭には人が集まる。東大やら阪大やら、外部からも遠征にきている。 みな騒ぎたいのだろう。やはり人間社会には祭りは必要だ。 他人の祭に一時的に参加するのもよいが、彼らは自分たちの手で自分たちのものを作るべきではないかと思う。

一人でいることは寂しいことか。
一人で山での夜を過ごす。一人で夜釣りをする。寂しいと感じたことはない。
人々の歌い声、笑い声、祭の喧騒の中で川を眺めていると、さすがにひとりだなぁと感じる。それは寂しさでもあるが、旅情でもある。それほど嫌いではない。
寂しさを増長させるものが性欲だとすれば、寂しさを紛らすものは芸術か、疲労か、ナルシズムか。

(2002年8月15日 記)

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本日の走行距離 43.73km
使用金額 2451円
(うちわけ 食費 2349円 雑貨 102円)


本日の写真


朝の散歩


ここで泳いだ



洗濯物もすぐ乾く

また釣れなかった

大神子集落

踊りが始まる









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