母島を離れる

なんとか日記を更新しようとしているが、うまくいかない。
父島・母島ともに集落のあたりではドコモの携帯電話は通じる。iモードは使えず音声通話のみと聞いていたが、音声が通じるならアナログ接続はできるだろうと考えていた。が、何故かうまくいかない。東京湾内ではできたのだから、設定は正しいはずだ。
他に灰色公衆電話があるので、これを利用しようと努力している。が、これもうまく接続ができない。何でだろう。
父島には、ネットカフェがあるらしいのだが、地図にのっている場所にそれらしい店がなく、ちょっとよくわからなかった。

今日は父島へ戻る。おがさわら丸の入出港日にあたるため、それに合わせてははじま丸も2便出る。
さぁどちらに乗ろうか。
おがさわら丸の盛大な見送りに参加するよりも、仲良くなった人の多いははじま丸の見送りをしたほうが「見送った」という気がするのではないかと考え、午後便に乗ることにした。午前中、荷づくりをするのが面倒だったというのもある。

写真を撮り合い、アドレス交換をする。
10:30、船が出る。どんどん離れていく。それを追って、手を振りながら桟橋を走っていく。桟橋のはじっこまでくる。助走をつけてジャンプ。
どっぽーん。

さよおならー。

堤防から飛び込むのって気持ちが良い。船が見えなくなるまで手を振りつづける。
旅先での友人って何だろう。
一人旅の場合、必要に迫られてというのもあるし、話相手、遊び相手を作れると大変楽しい。お互い、楽しみにきているという最も幸せな状態で人間関係を始められるので、良好な関係を築ける。
でも最初から臨時の人間関係であることはわかっている。あるいはどこかで覚悟している。どこかの島で再会することもあるかもしれないし、メール2、3通のやりとりもあるかもしれない。でももう一生会わない可能性も結構高い。縁あればまたいっしょに楽しみましょう、というような人間関係だ。
だからこの別れはなごり惜しいと言えばそうなのだが、悲しいわけでもない。子供のころはこういう別れは悲しかったが、今は海に飛び込むほど悲しくはない。
海に飛び込むのは、自分が気持ちが良いからであり、相手に喜んでもらいたいからだ。またここに来ようという気持ちになるためかもしれない。


午後便のははじま丸。今度は見送られる番だ。海はベタ凪で順調な航海である。この航路はクジラを良く見られるというが、この日も3度その姿を確認できた。夕日に染まる雲を眺めていたら、遥か沖合いをクジラがジャンプした。

とにかく飛び込め

本日からの宿はバナナ荘。港の目の前にある民宿なのだが、オーナーの体の調子が悪いということで現在客はあまりとらないようにしているらしい。民宿全体で客は僕一人だけで、建物貸し切りになってしまった。便利といえば便利だが、寂しくて退屈でもある。

(2004 5/5)


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本のほうが読みやすいぞ