同じマリーナの重鎮の小川さんが大島クルーズを計画しているという。それについていけば安心して経験が積めるんじゃないか。 ということで、今日明日はクルージングの日。友人たち誘ったら、5人が参加することになった。丁度良い人数になった。
先発した小川さんの乗る船と荒川沖で合流し、一路南へ。
心配していた天候はとても条件が良い。海は静かだし、空は青い。
エンジンほぼ全開、23ノットくらい(時速40kmくらい)。僕の船はそれほどスピード出るほうではないが、2時間半走れば100km進めるのだからな。
小川さん達は竹岡いって昼飯を取るというので、そこに同行。酒宴となった。
竹岡マリーナのレストランは、洋食が並ぶメニューだが、本業は漁師ということで、頼めばお刺し身も出てくる。このあたりの人って、もしかしたら魚介類は身近すぎてメニューに並べないのだろうか。我々観光客は、そばとかうどんとかスパゲッティよりも、おいしいお刺し身のほうを好むと思うのだが。
ヨット乗りの方の、エンジンボートはエンジンが止まると終わりだから怖い、という意見はうなづける。 帆船のほうが乗りこなすのは難しそうだが、覚えてしまえば故障には強いのだろうな。 ヨット乗りたちが風への知識を深めるのと同様、エンジンボート乗る場合は機械への知識や経験を積んでいく必要がありそうだ。
小川さん達のグループは、竹岡での宴会で満足しているようだが、我々は大島へ行きたいという気持ちが強い。ひととおり食べ終わり、再び南を目指すことにする。小川さんが助っ人として同乗してくれたので、だいぶ安心感がある。
午後になって、だいぶ波が出てきた。南に行くほど波は強まっていく。
徳に春先の晴天の午後には追いパターンらしく、海から陸へ風が吹き、波が起こる。
エンジンの推進力は、前に移動するためというよりも、波をジャンプする時や越えた後に海面に突っ込むためのエネルギーとして消費されることになってしまう。船体の安定を損なうだけなので、回転数は落とさざるを得ない。毎回波の衝撃受けていては、船内のいろんなものが痛んでくるだろう。 15ノットも出せなくなる。
竹岡から2時間で着くはずだが、それは巡航速度でのことだ。いまはそれよりも半分程度しか出せていないので、日暮れまでに往復することは不可能だろう。ゆっくりでも進んでいるので、到着はできるかもしれないが、その場合は本日帰宅する予定の小川さんはどうなるのか。
出航から1時間くらいだろうか。三崎と洲崎を結んだ線上を越えて少しでたところ、完全に外洋だなというあたりで、「このあたりが引き返しどころじゃないですか」と判断。 この周辺は沖ノ山と言い、水深が急激に変わって荒れやすい場所らしい。
まぁ、この状況じゃ仕方がない。しかし大島は遠いな。
小川さんによると、「海況が良ければなんてことないけど、これまでGWの大島は3回に1回くらいしか行けていない。大島は近くて遠い島だ。」
とのことだが、まさにそういう感じ。行けそうだし行きたいのだけど、なかなか行けない。
そこで回れ右をして、竹岡に戻る。今度は追い波になる。
波の進行方向によって、乗り心地は全然違う。向かい波の時はガツッ、ガツッンと、濁音や吃音で表現されるような衝撃が加わるが、追い波だとゆらーん、どわぁーんと、長音な感じ。
スピードもだいぶ出せて、巡航の8〜9割くらいだったと思う。
ただ、たまに舵を取られて船体が傾いて、怖い思いをすることはあった。
16時ごろ帰港。
宴会していた居残り組は、我々の帰港を待って東京へ戻ったが、我々はやっぱり大島へ行きたい。
今回のメンバーも小笠原で会った人たちを中心とした、行けるところまで遠くへ行きたい指向の強い人たちなのである。
竹岡マリーナには宿泊施設があり、そこに泊まれば明日、朝凪のうちにいけるんじゃないの、ということだったので、そうすることにする。
GWの内房はすごい渋滞で、我々が歩くのと同じくらいで行進する車の列を左目に、海に映える夕日と謎の豪邸群を右目にみながら、金谷の温泉まで1、2キロほど歩いた。
温泉も例によって非常に混雑していたが、浦賀水道を行き交う船と夕日を見ながらの、とても気持ちの良い温泉だ。初めてきたな。ちょうど対岸の観音崎にも似たような温泉施設があるが、観音崎の塩泉よりも、金谷の褐色の温泉の方が好きだ。養老温泉などに近いのかな。
金谷の温泉施設の軽食コーナーでで晩ごはん。
ここの名物は、カジメ料理のようだが、カジメなんて見た目の地味な海の雑草、華やかではないよなぁ。
とはいえ、ピラフやうどんよりは磯料理の方が食べたい。
そう思ってカジメ丼注文したが、これはかなりびっくりする美味しさだぞ。
納豆や山掛け、オクラ以上に粘りがあり、味自体はそれほどクセがない。なんかいろんな料理に使えそうで、おもしろい味。確かに、名物として売り出せる実力はありそうだ。
明日の大島行きを誓い、マリーナに戻ってからの宴会も早めに切り上げて就寝。
今日こそ大島に行ってみよう。皆で早朝に起き、予定どおり5時に出発!
しようと思ったのだが、右側のエンジンがかからない。昨日はあんなに元気に動いていたのに。
キーを回しても、どうやらセルモーターが回っていないようだ。
ギヤの中立は何度も確認している。左側のエンジンは動くので、バッテリーのせいではなさそうだ。
エンジンルームに潜ってなんとなく眺めてみても、配線抜けなどのあきらかな外傷は見られない。
たぶんエンジン自体は問題なさそうで、始動系の軽いトラブルっぽい感じはするのだが、良くわからん。
エンジン片側だけだと、最悪マリーナまでは帰れるにしても、前例からいって大島まで行くのはほぼ不可能だ。残念だが出航は見合わせ、有識者のヘルプを待つことにする。 それにしても大島への障壁は高い。
7時頃、漁から帰ってきたマリーナの方に診てもらう。いろいろ試してもやはりバッテリーは正常のようで、すぐには治らない。最終的には直接エンジンをかける方法があったようで、ドライバ一本でエンジンがかかった。
大島行きは半ば諦めていたが、かかってしまえばエンジン自体は正常で、エンジンかけっぱなしにしておけば問題ないらしい。海況も良いし、時間もまだ早いし、行っても大丈夫なんじゃないの?とのこと。
そういうことなら是非行きたい。頑張ってみるか。
出航して1時間も経ったころ、もうすぐ東京湾を抜けそうなあたりだっただろうか。
それまで順調に動いていたエンジンの音質が変わった。なんらかのトラブルのようだ。
エンジンはまだ動いているが、このまま大島まで行くのはとても怖い。三浦半島のクルーズに切り替えようか。
様子を見てみると、回転数を上げると明らかに異音がする。さらに、ノッキングも起きる。黒煙も出てきた。
となると、確かこれはエンジンに過負荷がかかった症状だ。順調に回転してるエンジンがいきなり壊れるということも考えにくいから、海草でも巻き付けたのだろう。しばらく後進にいれたりしながら様子をみていると、違和感がなくなって順調に回転数が上がるようになった。多分さっきの推測で正解だ。
クルーたちもそれほどの不安を感じていないようだし、これくらいの困難は乗り越えないと大島行けないのかもしれない。気を取り直して、再び進路を南に向ける。
今日は霞がかかり、それほど島影ははっきりと見えないが、それでも房総半島の先端くらいから、なんとなく三原山の稜線が見えてくる。
海況は昨日よりずっと良い。そして結構ちょこちょこ変わる。島が大きく目の前に広がってくれば、海の色は青さを増す。鏡面のように滑らかな海から、びっくりしたトビウオたちが飛び出してきた。
着水しそうになると、尾ビレで水をかき、再び勢いをつけて飛んでいたのか。
先程と同じような症状がまた発生。今度は、ゴミの多いところに突っ込んだら発生したので、やはり何かを巻き付けたのだろう。今度は、それほどの不安を感じず、同じように対処する。案外よく発生する事なのかもしれない。今までに
あと1時間動いてくれれば、今度こそ無事に大島に着く。エンジンよ、愛しているから頑張ってくれ。
一様に思える海の上だが、一本の線の向こうが、はっきりと色が違っている。北上してきた黒潮本流だろうかと思って入ってみると、そこは強風地帯。風にあおられて小波がたっていた。障壁のない海の上なのに、こんなにはっきりと風の通り道ができるのか。
大島の島影?海水温の違い?そこらへんの物理学はどうなっているのだろう。
予定どおり、出港から2時間くらいで波浮港に着く。単調な断崖が続く大島に、1カ所だけ波から守るように陸が囲む、風光明媚な天然の良港だ。昨年、昨日と敗退を重ね、ようやく到着したぞ。その甲斐を感じるような美しいところだ。
ここでさっそく解決すべき課題が発生。
同行者の一人に駆け出し中の医者がいるのだが、病院から呼び出しを受けて緊急に戻らないといけなくなった。どうせ長時間滞在する積もりはなかったが、確かに何のトラブルもなく定刻に帰れるかというと、断言できない。東海汽船の高速船で帰った方が確実なことは確かだ。
波浮に入港したのは高速船出船時間の1時間前だが、たしか波浮から東海汽船の桟橋(岡田港か元町港)まで、けっこう距離はあったぞ。波浮は小さな集落で、タクシー探しても見つからず、送迎を頼むと間に合わない、という。
ちょうど路線バスが来たので相談してみると、これから終点までいったのちに、もう一回波浮まで戻ってから元町目指すので、これまた高速船には絶対に間に合わないという。
なんだか、高速船に間に合わせる唯一の手段は、僕のボートで岡田港まで連れて行くしか無いらしい。
プレジャーボートは波浮にしかつけられないと聞いていたが、一時係留程度なら岡田港の漁港でも大丈夫だろう、とのこと。
波浮での滞在を早々に切り上げ、岡田港へ向かった。海は静かで、エンジン全開で快調に飛ばせる。
30分足らずで岡田港へ着。着岸も、近くにいた漁師のおっさんが「その場所だったら良いよ」と言ってくれたところでうまく行った。
最初に予約した東京行きの船は目の前で逃したが、30分後の熱海行きは問題なく間に合った。病院は横浜なので、電車の接続良ければ熱海回りでもそれほどは遅くならなそうだ。
まぁ、なんとか無事にうまくいった。
ともあれ、祝杯だ。ビールを飲もう。
離島まで足を延ばすとやっぱり違う。内房や三崎あたりの漁港行っても魚はおいしいし、雰囲気も好きだが、どこか日常の延長にある雰囲気を感じる。地物の魚出してくれれば美味しいが、ふだん生活しているところと同一のインフラに乗っかっているからな。
大島まで足を延ばすと、そのへんの食堂入っても、ちょっと違う文化のところまでやってきたのだな、ということを実感する。出てくる食材が違うのだ。野性的な魚、あまり聞いたことも無いがすごく美味しい魚が、ごく自然に出てくる。隔絶されたインフラと、豊かな自然をそこに感じる。
我々離島旅行好きにとっては、大島くらい身近な島だと、そんなに自慢できないところがある。とはいえ、到達するのはすごく大変だったし、魅力的な空気を持っている島だ。
はるばるきた甲斐があったなぁ。舌でそれを実感。 次は宿泊したいね。
沖ノ山のあたりは荒れやすいと聞いた。ここはスピードを落として乗り切って、東京湾内まで頑張ろう。 波はけっこう高い。が、波の進行方向と船の進行方向が大体同じなので、当たり方は柔らかいし、当たる頻度も少ない。波ってけっこう早く、船の速度の半分よりは早そうだ。
波を乗り越える時は、かなりの負荷がかかるようだ。船首は上を向き、エンジンの回転数はぐっと落ちる。 そのたびにエンジンの調子が落ちたのかと心配になるが、これは波を越えるためなのだからエンジンの不調ではない。 波を越えたら、今度は波の力も加わってスピードが上がる。自転車で起伏を連続して越えていく感覚だろうか。勢いがついたまま次の波に突っ込むと、船体が左右に傾いて怖い思いをする。頻繁な舵取り操作を強いられ、けっこう緊張する。
だいたい15ノットくらい、全速力の7割程度で航行。4割ほど多く時間がかかることになる。海況は悪化していく方向なので、早くつくに越したことは無いが、これ以上スピードを出すと揺れが大きくなる。
東京湾に入れば波は収まるかと思ったが、なんかあんまり変わっていない。さらに富津岬を越えて内湾に入っても、波は高いままだ。まぁ、燃料はあるし、15ノットは出せるので問題は無いが、なかなか楽させてもらえないな。
時速30kmほどで北上して、吹きっさらしの操縦席で風を全く感じないのだから、同じ方向、同じ速さの風が吹いているのだろう。振り返れば、けっこう大きな波が追っかけてきてる。北上は可能だが、逆方向には進めないな。これが、東京湾の午後のパターンらしい。
結局最後のディズニーランド沖まで波は強いまま。帰り道は、これまで見た中で最も高い部類に入るかな。
それでも出航からディズニーランド沖まで3時間半。いろいろあったが、最終的にはおおむねうまくいった。達成感を得られた航海だった。
帰港後、小川さんに直接セルモーターを回す方法を教わった。これはとても心強い。
トラブルあるたびに、一つ一つ対処法を学んでいけば、安心して安価に船に乗ることができる。体で覚えていく感じだ。
エンジンがかからなくなったのは、おそらく中立を認識するスイッチが、昨日の波の衝撃で外れてしまったのだろう、とのこと。ドライバー一本で直せそうだ。
皆帰る方向はバラバラだったので、打ち上げは恋人と二人、思い出横町に行くことにした。
なんかすげー疲れた。揺れに合わせていろんな筋肉使ったのか、とにかく疲れた。
彼女は帰り道、船室ですやすやと寝ていたらしいが。
ちょうど1年ほど前にきたお店で、サラダも焼き鳥ももつ煮もビールも、とても美味しかった。
安田悠は東京のサラリーマン家庭に育ち、その両親も東京生まれだ。では東京が出身地なのかというとそういう感じもせず、故郷というようなところは特にない。世代を上にたどって行くと、だいたい明治の最初のころ、どこぞの農村からひいじいさんくらいの世代で(どのひいじいさんも多分)東京出てきたようだ。
7、8年前に、叔父、祖母とともに、母方の祖父の田舎を見に行ったことがある。もう、一面の田園で、非常におもしろい旅行であった。
今回は、やはり同じようなメンバーで、祖母の田舎を見に行くことになった。
とりあえず名古屋まで新幹線。 昼飯食って、レンタカーで伊勢方面へ。
これまた戦前から大きく変わっていなさそうな、盆地の中の田園風景。 その中の一角がこんもりと生い茂り、鎮守の森となっている。
祖母の母は、神主さんの家系らしい。いや、正確には祖母の母(僕のひいおばあちゃん)は神主やっていなかったようだから、僕のひいひいじいさんの世代だな。僕にはどんな血縁関係にあるのかおぼろげにしか分からなかったが、とにかく親戚であるの現役の神主さんたちが出迎えてくれた。僕は初見だが、祖母や叔父はよく知っているらしい。
伊賀神戸神社というところなのだが、なんでもずいぶんと由緒正しいところのようだ。 古事記の時代から続く伊勢神宮系の神社で、古伊勢の一つということだ。古伊勢というのは、ナントカ天皇の娘のヤマト姫という方が、天照大神を祀るべき場所の候補としていたところで、最終的に伊勢神宮に祀る前に、実際に何年か祀っていたらしい。
伊勢神宮が20年おきに本宮を立て替えることは知られているが、20年経った中古のお宮を譲り受け、この神社の本宮として使っている。したがってここの神社も20年おきに立て替えることになる。
さらにその中古はどこかに払い下げるのかというと、それは禁止されているそうだ。
すげえなぁと驚いていると、それはそれで結構な調整や政治力が必要なんだ、というような話をしてくれた。
伊賀上野のビジネスホテル併設の料理屋にて、親戚一同と会食。そばが出てきて終わりかと思ったら、ずいぶんと量の多いコースで、その時点で半分くらい。
伊賀牛うまかった。
祖母の父方の家系は、伊賀上野で代々薬屋さんを営んでいたらしい。
その昔はけっこうな資本力をもっていたようで、昔は立派な屋敷があったらしい。
親戚の一人が、「ここがそうなんじゃないの?」と検討をつけたところがあって、祖母と一緒に確認しに行った。
現在は伊賀上野市の公共施設となっている、栄楽館というところ。沿革を見ると、前身は趣向の凝らした料亭で、その前が薬問屋の屋敷、とある。祖母が生まれたころには既に人手にわたっていたが、祖母は料亭時代に一度ご飯を食べにきたことがあるそうだ。
館内を見学させてもらうと、その豪華さに驚く。
平成の世の中は資本主戯が高度に発達しているので、こういう利益に結び付かない豪華なことってなかなかできない気がする。
全部が全部、我々の先祖によるものではなく、料亭時代に整備されたものだって多いだろうが、基本的な作りや、手の込んだ欄干の彫刻などはたぶん江戸期のものだろう。
すごいよなこういう文化は。こんな格好良い建物作ったから没落したのかな。
まさか本当に金持ちだったとは。
「昔金持ちだったけど震災、戦争で焼けちゃった」みたいな話は聞いたことあるが、どこにでもあるホラ話かと思っていた。
まぁ、金持ちと言っても、明治への変換期を乗り切れず、百年以上も前に没落したのも本当のようだし、僕自身は傍流の子孫だから、もとよりだいぶ関係のない話だ。が、自分の先祖が関わったものが、今の世の中にも現存しているというのはなんだか嬉しい。
実感できる先祖って3世代上くらいまでで、その上となるともう茫漠としている。
きっと、下側の世代も似たようなものだろう。顔が分かるのは2世代くらい、3世代後は我々のことは話を聞いたことがある程度になるだろう。そのときに、我々の直接関わったものがなんとなく伝わるようなことがあると嬉しいが、何かあるだろうか。
祖母は震災の疎開中、しばらくこの周辺に住んでいたらしい。当時通っていた銭湯を見に行くと、銭湯は廃業していて忍び装束に着替える慣行施設になっていた。考えたものだな。
母方の先祖は伊賀出身で、神主に薬屋。なんか本当に忍者っぽいぞ。 祝詞くらいは唱えただろうし、薬活という言葉もあるし。
親は2人なので、祖父祖母は4人、ひいじいさんの世代は8人となる。僕にとっての8人のうち、母の祖父母は以上の通りだが、母の祖父は、東北の小さな小さな農村の庄屋だったようだ。父方の先祖はよくわからないが、郡上八幡の農民の出だったと聞いたことがある。
さらにその上の世代となると、江戸時代の安定した階級社会の時代なので、多少の浮き沈みはあれど、だいたい同じことをやっていたのだと思う。
大ざっぱに云えば、皆平均的な庶民か、ちょっと豊かな庶民というくらいだと思う。特に英雄俊傑がいたわけでもなさそうだし、ひどく貧乏していたわけでもなさそうな、まぁ気楽と言えば気楽な出自だな。
GWの渋滞に巻き込まれることもなく、順調に名古屋までドライブ。駅ビルの、昨日食べたきしめんやの隣の洋食屋で昼ごはん。
夕方、恋人と合流して浜松のお祭りを見る。
けっこう大きなお祭りで、町全体の雰囲気が華やいでいる。
「踊りをするわけでも無く、練り歩くだけで何の芸もないです」とのことだったが、新生児の誕生を祝うお祭りで、不良のあんちゃんたちが進軍ラッパを吹きながら万歳参照をするのは、なんだかほほえましい。
僕は東京西部に広がる新興住宅地帯に生まれ育ったので、地域社会というと手に届くだけのご近所付き合いがある程度だった。皆がそれに合わせて帰ってくるような伝統のお祭りはもっていなかったから、こういう文化はうらやましい。
また思い出横町でごはん。
今年のGWは、すごくいろんなところに行ったなぁ。
列挙してみると、唐松岳登山、高ボッチ山ハイキング、霧ヶ峰ハイキング、竹岡と大島クルーズ、ルーツを探る伊賀家族旅行に浜松のお祭り。
一週間とは思えないな。
今年はサニーレタスがいっぱいできた。これから毎日食っても、翌日には生えてきそうだ。
可愛いやつらだ。えらいぞ。
トラブル発生、ということで緊急呼び出しがかかり、今日も出張。
確かに僕の担当のところなのだが、何で今ごろになってここが指摘されるのだろう。最初から気づいていればなんてことないが、今から変えるのはけっこう大変そうだぞ。もう試作品できあがってから半年近く経つのに、その間に気づくチャンスは十分あったはずなのだが。
出張しないつもりだったのに呼び出され、なれない作業やって、主目的じゃないことに時間が取られてしまうし、楽しみにしていた飲み会参加できないし、わりかし不機嫌な感じで今週の業務を終えた。
帰りがけに飲み会組に連絡すると、まだ飲んでいるというので顔を出す。
彼らは4時間前から飲んでいるので、だいぶへべれけな感じだったが、ささくれた気分がだいぶ解消された。
これからも、面白いことにどんどん取り組んでいくべきだね、という気持ちになる。