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屋久島日蝕編


恋愛。満員電車。海の青さ。皆既日蝕。

そりゃあ皆既日蝕という現象があるのは知っている。例の黒い太陽、ダイヤモンドリング、コロナの写真はよく目にする。
日蝕マニアがいることも知っている。何年かに一度、世界中のどこかであるその現象を、日程確保して、船をチャーターしてでも見に行く人たち。

あの黒い太陽の写真を見ていても、それほど無理してわざわざ見に行くようなものなのか、どうも凄さが実感できない。

これはたぶん、実際に経験してみないと分からない現象なんじゃないか。
メディアの発達した現在、我々はどうもテレビで見ただけで分かった気になってしまうフシがあるが、自分で経験して見ないと分からないことはたくさんある。

たとえば満員電車なんて、あの圧迫感や妙な静寂感は、説明するよりも自分で味あわないとわからないだろう(味わいたくないが)。

小笠原などに行けば見られる、美しい海の色だって、あれはテレビでは完全に再現できない。水平線の果てまで続き、どこまでも深いスケール感を味わうには、その場に行かないといけない。
たぶん、恋愛だってドラマやマンガで仮想体験するには限界がある一例なのだと思う。しらんけど。

5年ほど前にヨーロッパへ旅行した時に、たまたま出会ったイタリアの天文マニアたちに、すごく親切にしてもらった。
その後も何度かメールのやり取りを続けていたが、今回の皆既日食を見に行きたいと言ってきたのは、昨年の10月頃だっただろうか。ほかにも条件のいい国はあるが、彼らは日本で見て、その機会に再会したいと言う。

非常に素敵な提案だ。それに、今回の皆既帯は離島部。僕の取り扱い商品だといえる。この機会に、恩返しをできれば大変に嬉しい。

そんなわけで、今年の始めから準備してきた。上記のような経緯なので、「行けたらいきたい」というレベルではなく、「なるべく早い段階で確実に確保したい」という方針で、四方八方手を尽くした。日食ツアーの予約において8カ月前というのは遅いようで、予約を始めている民宿は既に満員状態だったが、かといって遅すぎる時期でもなかったようで、移動手段と宿泊先、飛行機船レンタカーにキャンプ場と野営器具は確保できた。

メンバーは紆余曲折を経て、結局10人。
イタリア人4人と日本人6人の国際隊。僕が旅先で会った人たちと、その知り合いという程度のメンバーだ。

チーム編成は重要だと思う。
見ず知らず、文化も違う人たちが一週間ほど一緒に野外で共同生活をするわけだ。(小学生がやりそうだ) 小学生ならばスタッフがつくのが普通だろうが、こちらはぶつけ本番。自分たちで賄う必要がある。 けっこう、各人に求める能力が高いことに気づいた。コミュニケーション力は重要だ。語学力もさることながら、場を盛り上げ、お互いに気を使える能力。イタリアチームの人たちは宇宙関係の研究者だから、科学の知識が深い人がいると話が弾むだろう。 野外生活に慣れた人たちも何人か欲しい。意外に、運転手も数が少なかったりする。しっかり者、明るい者、冷静な者、料理好き、それぞれ何人かいると頼もしい。

最終的に集まったメンバーで、それぞれある程度は確実に達成できる編成がとれそうで、まずは一安心。 とくにコミュニケーションに関しては、信頼できる人たちがそろったんじゃないかと思う。

ということで、今年最大の計画、屋久島日食ツアーが始まる。

2009/7/17(金)

今回、休みが確保できずになくなくこの計画を断念した友人が何人もいる。そりゃあこのご時世、1週間の休みを取るのは大変だ。
大変なのは休みを確保できた人にも当てはまる。僕自身もその例に漏れず、ちょうど仕事のピークと重なって、休みが取れない訳ではないが一生懸命働かないといかんなぁ、という状況だった。なんだか息を止めて全力疾走しているような毎日が始まったのは、いつ頃だったからだろうか。

ということで準備や出発に時間的な余裕を与えられず、さぁ会社を出るぞという時間は、離陸の1時間前になってしまった。

あ、ヤバイ。間に合わないかも。
今回の旅行をすべて把握しているのは僕だけであって、他の参加者たちはお互いの顔すら分からない状況である。間に合わなかった場合は、明日の朝一の便に乗ってリカバリーするのだろうが、空席あったとしても正規料金は3万円以上だ。痛すぎる。そんな状況が頭の中をかけめぐり、焦る。

会社から羽田までは、電車に乗れば1時間弱。しかし直線距離はそれほどないはずだ。10km程度だと思う。チャリなら30分程度の距離だ。イチかバチか、タクシーにかける。
一度乗車拒否にあって殴ってやろうかと思ったが、2台目に乗っけてくれた、ひっきりなしにしゃべるおっちゃんの働きにより、離陸の15分前に到着。さらに運のょいことに、搭乗機の到着の遅れにより、余裕を持って荷物を預け、同行者とビールを飲むことすらできた。

一時はどうなることかと思ったが、これでなんとか動き出した。
飛行機は日常時間と旅時間の区別を曖昧にさせたまま、あっと言う間に鹿児島空港へ着く。そこでもう一人と合流し、バスで鹿児島市街の旅館へ向かい、イタリアチーム4人を含む6人と無事合流。

鹿児島での宿は、中園旅館。港に近い、便利な安宿。
イタリアチームが見つけて先に予約を取ったのだが、どうもロンリープラネット(地球の歩き方の外国語版みたいなもの)で探したようだ。外国人に人気の宿らしく、予約の電話をいれた時も、「日本の方ですか」と聞かれてしまう。ネットで検索しても大して情報が見つからなかったし、「うちは何もない旅館ですよ」などと紹介するものだから、汚い安宿を想像していたが、かなり居心地の良いところだった。
ご主人は独特な雰囲気を持つ親切な人だし、繁華街に近く便利だ。 日本を旅する外国人はどういうところに泊まるのか心配だったが、こういう宿に安価で泊まれるようになっていると安心できる。

宿に着くと、英語で話す友人の声が聞こえた。彼女とイタリア人たちは面識がないはずだが、ちゃんとうまくやってくれてるようでほっとした。

フリッポ、パオラに会うのは5年振りとなるが、けっこう分かるもんだ。同い年くらいかと思っていたが、けっこう向こうのほうが上なのかもしれない。

旅館近くの飲み屋にて。旅疲れのイタリアチームは宿で眠り、日本チームは晩飯へ。
日本のメンバーも、何組かは初対面だ。自己紹介をしたようなしなかったような感じで、なんだか知らないうちにうちとけている。

半年以上かけて準備してきた計画が始まるのだなぁ。

2009/7/18(土)


港では、シートまで皆既日食


朝、屋久島へ移動。
高速船は種子島を経由し、昼頃安房へ。
数日前から屋久島に入っていた一人と合流し、10人全員集合。

お昼ごはんは、テキトーに入ったらヤクシカを出すお店だった。
シカって獣臭がするのかと思ったら、まったくクセがなくてとても美味しい。こんなに旨けりゃ食われてしまうに決まってる。


宿泊先は、尾の間のキャンプ場。
昨年あたりから営業を始めたらしく、たぶんあまり知られていないだろうと思う。予約も取りやすいだろうという予想はその通りだった。

良かったところ

◆ロケーション

尾の間の中心部から1kmくらい。
尾の間は皆既時間が長いばかりでなく、街が不便すぎない程度に静かで、確かに良かった。

キャンプ場は、温泉やスーパー、飲食店からから1km程度、車があれば車で行ってしまうが、歩いても行ける距離。食材は毎食食べる分だけを買えばよい。これは非常に大きなメリットだったと思う。

電線引っ張ってるエリアではなく、キャンプ場のすぐ回りはなんだかよく分からない空き地が続いている。
市街から一歩隔てた、落ち着いたエリアだと言える。夜になれば星もよく見える。

北にはモッチョム岳を望む。この景観はなかなかのものだ。格好いい山だと思う。

海岸線は近く、キャンプ場の脇から30mくらい崖を下る。が、道が悪くサンダルで行ったら難渋した。気軽に散歩する感じではないが、キャンプ場には常に潮騒に届くのは、良いのではないかと思う。

◆アトホーム感

最初の2、3日は、ほとんど貸し切り状態。我々10人以外には、2、3人程度しかいなかった。
我々以外の数人も、長年クライミングに精進してきたおじさんであったり、オーストラリア人とオーストリア人のややこしいカップルであったり、同宿して楽しい人たちであった。

オーナー夫妻もいろいろ便宜を図ってくれて、母屋の共同スペースを我々がほとんど独占して使ってしまった気がする。

◆水はけ

とても良かった。豪雨の後でも水たまりは見なかった。

悪かったところ

◆トイレ、シャワーの数

これはもう、はっきり言って最悪。トイレとシャワーが一つずつ、しかもそれが欧米式に一緒になってあるものだから、同時に使うことができない。朝や夕方は、トイレの前で順番待ちの行列ができてしまう。
それを避けるために早起きをして、トイレやシャワーに会わせた生活をすることになってしまう。

あのトイレとシャワーでは、4人家族でもかちあうことが出てきそうだが、10人で6日間、滞在型のキャンプをするのには致命的な問題だった。

野外生活に慣れた、汚い男ばかりならばまだ良いが、今回はキャンプ生活に慣れない女性も多く、はるばるイタリアからきてくれたのもかなり上品な人達だ。彼らに、テント生活はいろいろ大変なんだと思われてしまう。
この点は非常に心苦しかったし、どこかへ出発する時もいちいち時間を取られた。

込み合ってる時は近所のゲートボール場のトイレを使ってくれとのことだが、ちょっとなぁ。徒歩5分はいただけない。トイレというより、最寄り駅までというような距離感だと思う。 キャンプ場に求める項目の中で、水とトイレというのは最も重要な項目だと思うが、トイレが一つしかないと、大人数は泊まれない。

◆木立が少ない

もともと、馬を飼っていたらしい。生け垣みたいなのはところどころにあるのだが、木陰を作ってくれる高い木立が少ない。

屋久島は想像以上に暑い。昼の間は風の通る気持ち良い木陰でリラックスしていたいが、そういう場所が少ない。着かれた時はキャンプ場でだらだら、ってことができないと、疲れがたまってしまって大変だ。

奥の方に森があって、その中は確かに涼しい。が、ほとんど手が入っておらず踏まれておらず、リラックスするのに良い場所になっていない。キャンプ場というよりは登山道の一角で、まだ人間の領域という感じではなかった。

日陰を提供してくれる以外にも、洗濯物干したりランタン懸けたりするような、手頃な木立が欲しくなるが、けっこうそういうのが見つからなかった。


全体的にしばらく使われていなかったようで、人間の手が入っておらずに雑草たちが元気に育っている感じだった。日が経つにつれて、キャンパーたちが歩き回り、整地されていったように思う。

管理人常設のキャンプ場ならば、もう少し設備の整っていたところを想像していたが、まだ開設から日が浅いようだから、これまでは大人数が滞在型のキャンプをすることはなかったのかもしれない。
が、不満があるのは設備面、特にトイレなので、改善のしやすい問題だ。ロケーションや雰囲気といった、設立した時点でほとんど決まってしまう性格は魅力があるので、今後の改善に期待したい。


これはかなり大変だなぁ、と感じた。
予想以上に暑く、少し作業をするだけでもすぐに疲れてしまう。野外生活に慣れない者も多く、的確に指示を与えられないと全員での作業にならない。 登山部出身者はさすがに頼りになったが、どうしても負担が集中してしまう。

言葉の問題もある。
日本人はイタリア語分からないし、イタリア人は日本語分からないので、英語で会話をすることになる。
アメリカ留学経験のあるニッキーが居てくれてずいぶん助かったとはいえ、全員にとって外国語、母国語で会話するのとは勝手が違って、ちょっとした会話にもエネルギーを要する。
野外で1週間共同生活するわけだから、もしかしたら海外に観光に行くときや定型的なビジネス会話するよりも、高い言語能力が求められているのかもしれない。

言葉はなくても、お互いに好意があることは通じる。相手の言ってることをもっと理解したいし、相手に伝えたいという気持ちも通じ合う。そして困ったことに、それが十分にできていないという戸惑いも通じ合う。
もどかしい。言葉によるコミュニケーションが万全でないと、もどかしさを感じることが多い。

英語を使うのはすごく久しぶりだが、僕ってどのくらい英語話せたんだっけなぁ。 前はもっと単語が出てきたような気もするが、もともとこの程度しか話せなかった気もする。それすら記憶があやふやだが、話そうとする内容は先行するのだけど、言葉が追いついてこないでいちいちつまづくことが多かった。

最終判断が、僕のところにくるチーム編制となってしまっている。まぁそれは良い。 皆の希望や意見を聞いて、次の行動をいくつか提示して、あるいは出してもらって、それぞれが一番満足できるような判断をして同意を取りたいと思う。
なのだが、皆に聞いてみても、「それも悪くないね」「皆に合わせます」というような感想ばかりで、全体の希望や意志が見えてこない。 お互いに気を使い合ってるのかもしれないが、それだけだと何がやりたくて何ができないのか、考える材料にならない。

僕自身が疲れているとなんだか決定が曖昧になり、「どうしようか」が続くばかりで先に進めなくなる。

晩ごはんですら、「外食にしようか」「何か作ろうか」と迷ってしまう。
結局スーパーでお総菜買って、簡単に済ませようということになったが、まぁ我々のことだ。並んでる食材をみるとだいぶ元気になって、あれ作ろうこれ作ろうと、割としっかりした晩餐を作ることになる。 調理も手早く、という訳にはいかなかったが、無事に晩ごはんが並んでだいぶ安心した。
よし、これで始まっていくだろう。


ソーメンは富山のどこかの特別なやつで、腰があって伸びにくい。確かにアウトドア向きだ。茹でるのがちょっとうまくいかなくても、ミョウガのっけて大変美味しかった。
イタリア人たちも日本の料理に関心を寄せているので、刺し身やみそ汁なんかを作ったが、苦手を感じることもなく、よく食べてくれた。


フリッポ提供のワイン。
デザートに向いた甘いやつで、ビスケットを浸して食べる。
こういうの試すのは初めてだ。
上品で香り高く、これ使うだけでちょっとしたケーキなんかが簡単に作れそうだ。

2009/7/19(日)

夜中、二度三度通り雨。
激しい雨だが短い時間だったようだ。屋久島の雨はそういうものらしい。
暑く寝苦しかった。 これまで各所で野宿してきたが、一番暑かった。南西諸島、熱帯地方で野営するのは初めてだが、真夏の高知や昼間は40度以上になるオーストラリアで野営した時は、昼はどんなに暑くても夜は寒気を感じることすらあったのだが。

今回はしっかりとテントを張っているから、というのもあるかもしれない。これまでは砂浜にツェルト敷くだけとか、簡単に済ませることが多かったが、テントは意外に蒸す。虫と雨が無ければ、外で寝た方が気持ち良いのだが。


本日は、軽いトレッキングに行きましょうか、ということにした。 近所の尾の間温泉の隣から、滝へ続く片道2時間程度のコースがある。体調の悪いアンナ(伊)と仕事を持ち込んだニッキー(日)をキャンプ場に残し、残りの8人が行くことになった。

イタリア人たちにとって、日本の緑の多さは驚きらしい。確かに我々も外国へ行くと、緑の少なさにびっくりすることはある。我々が思ってる以上に、日本の自然は豊かなのかもしれない。 そんな彼らにとって、屋久島の亜熱帯ジャングルは興味深いらしく、看板の説明一つ一つを眺めていく。 案外、ヨーロッパからはこういう場所に行きにくいのだろうか。日本から気軽に行ける南の島というと、沖縄、東南アジア、ハワイ、グアムと、けっこう色々あるが、ヨーロッパだとギリシアあたり?だとするとこういう密林では無さそうだ。


役に立たないからごんずい


沢沿いに進むので、何度か渓谷を横切る。
屋久島と聞いて思い浮かべるような光景。


見かけも美味しそう、香りも美味しそうなきのこがところどころに生えている。
知識が無いので手を出せないのが悔しい。


コンパクトカメラじゃ全然入らん。

すげえびっくりした。
何なんだこの木は。アコウの木と表示されているが、何種類もの木が絡み合いながら成長して、一つの大木となっている。大木というか、一つの宇宙を構成している、というほうが感じが出る。音が出ている訳ではないが、これをマンガに描けば背景にゴゴゴゴオォとか出ると思う。こういうのは神様として祀られるのだろうが、けっこう位は高そうだ。

滝は思ったよりも遠く、優に2時間以上かかった。
その苦労を忘れさせる、心を奪われるような光景。

山登ってればいろいろ滝も見るが、こういうのは初めてだな。
これはすごい。

でかい一枚岩に、ワイドにダイナミックに広がる滝。 滝壺は広い池となっており、泳げる。

火照った身体を冷やそう。
しばらく泳ぐ。大変気持ち良い。

山頂に上る場合は、最後のご褒美は大展望になるが(展望が無い山もあるが)、ここは滝の景観に加え、泳げるっていうのがご褒美。気持ち良くて面白い。 滝の下部まで寄って、岩にへばりついて登ってみたり、そこから飛び込んでみたり。

しばらく遊んだ後に下山。プール帰りのように眠くけだるい帰り道。
充実した疲労感とともに、何も考えずに降りたので、行きよりもだいぶ早くついた。 下山後は尾の間温泉で汗を流す。

滝まで行けなかったアンナとニッキーにも、せめてドライブくらい楽しんでもらおうと、安房あたりまで晩飯食べに行こうかと思った。が、なかなか予約が取れず、結局近所の料理屋さんへ行くことになる。 ま、歩いて帰れば酒が飲めるから良いとしよう。

お寿司など、定食中心のお店のようだが、揚げ出し豆腐なんかもおいしかった。
飲み物がなかなか出ず、乾杯までに相当おあずけを食らわせられた。たぶん、普段は混まないんだろうな。 店員の兄ちゃんはだいぶ混乱していたようだ。
コンビニの隣、観光ガイドを見ると「豆風庵」という豆腐料理屋さんがある場所として紹介されているが、そして電話番号も同じだったが、違う店名(名前は忘れた)とコンセプトだった。最近店が変わったのだろうか。

食事のたびに、皆の距離感が縮まって行くような感じを浮ける。

2009/7/20(月)

昨日は森に行ったから、本日は水辺へ行くことにする。
川か海か、ウロウロと迷ったあげくに栗生の砂浜へ。

今日は頑張って遊ぶというよりも、気持ちの良い場所で昼寝して、お昼ごはん作って食べましょうというのがコンセプト。すいてるビーチの休憩所は、それに相応しいと思う。

スモークは素晴らしかった。特に技術のいる料理ではないのかもしれないが、感動の領域。
重いダッチオーブン持ってきてくれた成果があった。

潮の加減なのかいつもそうなのかは分からないが、海水浴場はかなりがっかり。陸から見てるぶんにはそれなりにきれいだが、海の中は濁りまくり。視界が全く無く、魚も見えず、江ノ島あたりの海と変わらない。 南西諸島の海の実力はこんなものではないはずだが、イタリアの皆に見せても残念に思う。

仲間たちが防波堤の向こうになかなか素敵な海岸があることを発見し、そこへ行ってみた。
確かにこちらのほうがきれいだ。 僕は昼寝する気満々で、シュノーケルを置いてきたのでちょっとしか泳がなかったが(結局、昼寝もあまりしなかったが)、テトラのあたりまで行けば魚も居たらしい。


帰り道は、ちょっとドライブ。僕自身、初めての屋久島で3日間滞在してるのに、まだほとんど移動していない。

まずは大川の滝。やっぱり飛び込む。
ギャラリーが多く、飛び込み甲斐がある。
というか、我が隊には突撃少女がいるので、こちらも負けずに飛び込まざるを得ない。

滝壺からは、すごい勢いで水が流れてくる。泳いで近づくのは大変だ。

平内海中温泉は、満潮で本当に海没していた。女性陣がなんだかやたらとハイになり、大海に沈んだ湯船跡で、おしくらまんじゅうをしていた。

今日は、安房で花火があるという。せっかくだから見に行こうか。 昨晩予約できなかった寿司屋、「いその香り」を予約。


亀の手。
みそ汁ではたまに見るが、こうやって食べるの初めてだ。


いつもどり、いろんなところで時間が押す。
結局花火は寿司屋の店先で見ることになった。

2009/7/21(火)

皆既日食前日。今日は2チームに別れる。

元気な者たちは、三神杉を目指す。混雑していそうな屋久杉あたりよりも魅力的な感じがする。縦走すれば屋久杉の裏に出られる穴場コースらしいが、往復で日帰りコース。
これには我々の6人に加え、同じく日食見に屋久島に来ていた北さんが参加。

なんだ北さん、一人できてたのか。なんとなく屋久島に来るようなことは聞いていたが、もっと早く我々のチームに加えればよかった。しっかり者な上、酒が飲めないで運転ができるという有能な人材だ。財布係とか運転係とか、やってもらいたいことあったのに。

僕は居残り組。とりあえず詰めるだけ詰めてきたカメラや望遠鏡のたぐいは、店を広げたまま、ろくに整理も整備もしていない。明日はやりなおしの利かないぶつけ本番、考えている暇は無いだろう。なるべく現象は自分の目で見ていたいので、撮影はおおむね自動で行う方針で考えている。設定だの練習だの、やっておくことはいくらでもある。


フィルター作って撮影の練習。

と思っていたが、雑用もいろいろある。土産買いにいったり、コインランドリー行ったり。 そのついでだか何だか、居残り組5人でヤクスギランドまで足を延ばした。


今日の天候は、晴れ時々曇り、たまに驟雨。
こんな日は、森が最も美しく見られるんじゃないかと思う。

ここも、だいぶ良いところだと思った。 木道がしっかりと整備され、30分コース、50、80、150分コースと、それぞれルートが設定されている。観光客もポツポツ歩いているが、混雑が嫌になるほどではない。 よく整備されているからと言って去勢された自然ではなく、森は深く美しい。名前から受ける印象ほど俗っぽくなく、気軽なのに大自然っていうバランスが良い。

我々は一口に「パン」と言ってしまうが、イタリアではそれぞれ違う名前で呼ばれてるらしい。なんていう名前だったかは忘れたが。

こういう観光地があるのは安心感がある。大自然がふんだんに残っているところって、ある程度危険を侵しながら味わうようなところも多いが、こういうところならお年寄りが来ても子供でも楽しめる。さすが世界遺産の人気の島、受け皿が広い。

我々にも良い。病み上がりのMっちゃんにも、元気一杯というよりは上品なフリッポたちにも、早朝に出発して一日中山の中歩いているよりは、こういうほうが向いている。寝不足が続いている僕にも当てはまるかもしれない。

たしか50分コースを、その1.5倍くらいの時間をかけてゆっくり歩いた。時間をかけたのは、楽しかったからだ、写真を撮って解説読んで、じっくり歩いた。
皆も随分気に入ってくれたみたいで、来て良かった。

結局、ロケハン等に費やす時間はなくなったが。


すいかを食べるときは背中合わせ
案外みんな早く帰ってきた。

今日の晩餐は伊日合作の大宴会。

フリッポ特製、本場のカルボナーラ。黄身をより分け、たくさん使っていた。確かに今まで食べたどのパスタよりも美味しかった。

僕は今回は、自分の手を動かして料理をしなかった。
さぼって楽をしたと言えばそうなのだが、自分で料理をしていると全体が見えなくなる。 料理を任せられる人は外にいるのだし、手を動かすよりも目を動かし、たまに雑用やって、あとは誰かにお願いするくらいのほうがうまく回る気がする。初日に比べ、万事それぞれがスムーズに動けるようになってきたと思う。

再びスモーク。前回とてもうまくいったものだから、今回は少しだけ冒険。えりんぎ、砂肝なんかに挑戦したが、どれも美味しかった。けっこう応用範囲は広そうだ。

皆で合作したおつまみは、素晴らしくうまくいった。残った食材をどう使おうか、というのが始まりだが、これとこれでいけるんじゃないか?それもアリなの?とか言いながら、結局は全部いれたのが、もともと狙っていたかのような絶妙な組み合わせだった。 何使ったか記憶が遠のいてるが、ゴーヤ、豆腐、ツナ缶あたりに、もう一品くらいなんか入れたような。

ドラえもんの道具に、「翻訳コンニャク」というのがあるのはご存じだろう。
イタリア語わからなければ英語も怪しい我々と、日本語分からないしたまにイタリア語が混じる英語を話す彼らの間に、是非とも欲しいひみつ道具だ。

が、我々はそれに替わるものを持っている。「翻訳コニャック」とでも言うべきか、コニャックは飲んでないので「翻訳焼酎」だが、お酒を飲んで酔っ払うと、お互い不思議なほど会話が通じるようになる。

なんでだろう。
けっこう皆に共通してみられた現象だと思う。僕自身の英会話も言葉が出てくるような気がするし、実際そう指摘された。普段照れているわけではないと思うが、酔っ払うと、考え無しに話すようになるからだろうか。

聞き取り能力も上がる気がする。普段はかなり集中していないと、会話のスピードについて行けないが、酒を飲むとけっこうスムースに理解できる。あるいは、理解した気になれる。

それどころかイタリア人たちも、完全に日本語で言ってるギャグも、まったく日本語が分からない彼らが同じタイミングで笑う。それを訳そうと思ったら、完全に理解していてびっくりした。 (英会話能力にばらつきがあるので、会話は英語、日本語、イタリア語が混じり合う。日本語の会話はなるべく訳すべきである。)

今回の計画、コミュニケーションというのが大きなポイントだというのが、どんどん鮮明になっている。
言語によるコミュニケーション、共通の言葉を使わないコミュニケーション、お酒によるコミュニケーション。料理を創って皆で食べる。山へ登る。お互いの話をする。気を使い合う。

いろいろな経験を通じて、共通の場を創っていく。それが進んでいく過程。

2009/7/22(水)

これまで僕は、気合の入った計画ではほとんど100%、素晴らしい天候に恵まれてきた。
が、今回はそういう訳にはいかないようだ。

朝、絶望的な予報を確認する。
天気予報の難しさは理解している。だから僕は、2、3日前の予報ならばいくら悪くても悲観しないし、いくら良くてもそんなに楽観視しない。1週間前の予報なら、ほとんど当てにしない。汚いパンツたくさん洗う洗濯機の中の流れを、10分間正確に計算する。そんなのほとんど不可能だ。

が、当日の予報ともなれば別だ。最近はネットで雨雲の動きなどがわかるから、6時間程度先の予報は、ほぼ正確だ。雨が降るエリアがどこにあってこれくらいの速さで移動している。予想が外れる要素がほとんどない。

ネットで最新データをみて、日食の時間には分厚い雲がやってくるのだから、望みはほとんどない。
なんだか皆既帯を覆うように、分厚い前線が良いタイミングで矢って来ている。なんなんだこれは。 田澤さんの差し金か。

皆既日食の時の最悪の天気って何だろう。最高なのは雲一つない青空だ。淡い(らしい)コロナや星、夕焼けのような空が見られるはずだ。 薄曇りでも、太陽は見れるはず。何となくは分かるんじゃないか。 悪いのは、昼間でも太陽が見えず、嵐の前のように暗くなるような天気だろう。日食で暗くなったのか、雨雲で暗くなったのか分からないような天気ではおもしろくない。 なんだか、そういう天気が現実になろうとしているみたいだ。

この分じゃ屋久島だけでなく、西南諸島はどこも厳しいだろう。 奄美にするべきだったか、トカラだったかなどと後悔する必要はないが、屋久島内で移動するにも手のうちようがない。 状況が状況だけに、これまで恵まれてきた僕の神通力的な晴れ男っぷりにも期待できないだろう。
フリッポたちに作ってもらったお手製の観測グラスは、出番がないまま終わってしまいそうだ。 それでも、風向きはこうで山の位置がここだからとか、前線がこっちからこれくらいで来るとか、ネットを見て、登山家の意見を聞いて、空を見て、勘を働かせて、ああだこうだ議論を続ける。

日本チームの皆は気楽なもんだ。皆既日食ってどんな現象かもよく知らずに、旅行の1イベントに参加している程度である。 が、イタリア人たちは幼少からの天文マニア、それが高じて宇宙開発事業団に勤めてしまうくらいだ。 そんな彼らが遠くからやってきたのに、落ち込んだ姿を見せるのは忍びないものがある。 彼らが納得するまで、何かしら力添えをしたいと思う。


山の反対側、風裏となる方まで偵察に行く。
やはり状況は変わらない。

日食直前は交通機関がマヒするとか、警察が交通規制かけるとか、いろいろ噂は飛んでいたが、まぁ憶測だろう。
実際にはそこまで込み合った印象はなかった。警察がたくさんきて警戒していたが、警察くらいしか目につかなかった。

部分日食の時間が始まる。 やはり状況は変わらない。


本当に一瞬だけ、雲が薄くなった。確かに太陽が蝕まれている!
日頃から薄雲を見るたびに、これが日食ならフィルター無しに見れると思っていたが、それが見えた。
本当に一瞬だけ。




晴天祈願。
僕が作った(上)のは、左のやつに比べて可愛くないと不評で悔しかったので、もう一個作る(右)。

天岩戸を初めとして、皆既日食がモデルなんじゃないかという神話が世界各地にあるらしい。

瞬時に理解した。皆既の時間が近づいてくると、そう思う。
確かにこれは神話の出来事だ。天文現象というより、神事だ。 自分が住んでいる世界の、常識が通じなくなる。

例えば地球上には重力が働いているが、ある日突然、数分だけそれが働くなったらびっくりすると思う。
皆既日食の現象を言葉で説明すると、「昼間なのに一瞬だけ夜になる」となされるが、その説明だとなんだか日常的だ。 受けた印象は、もっとまがまがしいものだった。 世界の終わりだとか、悪い魔法を使われて太陽を奪われたとか、そういう言葉がシックリくる。

普通に日が暮れて夜になるのと違う。 もっと急激に暗くなる。天候が悪かったので、確信して言える訳ではないが、夕日よりも一瞬で変化する気がする。 「そろそろ暗くなったかなぁ、暗くなってるよなぁ」などと言っているうちにあれよあれよと世界は光を失っていき、厚い雲の下でも何かが始まっていることが否応無く感じ取れる。

美しくて感動というよりも、畏怖だ。
夜になったというよりは、ついに世界の終わりがやってきた、という感じだった。
なんだか変なのだ。普通の夜とも違って、地平線のあたりは明るいし。(雲が厚く、地平線が全体的に明るくなるというのは分からなかったが、夕暮れと違う違和感はあった。)

世界の終わりが来たかと思ったら、数分続いたのちに再び光を取り戻す。
劇的である。


キャンプ場は、それまでやや自虐的な盛り上がりを見せていた。
それぞれ、皆苦労してここに来たと思うのだが、「地元では部分日食見れてるんだって」「晴れねーよ」「安房は雷だって」などと、自嘲的になったり、それでも盛り上がろうとしたり、そこに居合わせた者同士、イベント前の妙な興奮に包まれていた。

皆既時間になると、人々の声が静まったように思う。
大歓声をあげるというより、息を呑むのだ。

太陽の光は偉大で、1割も顔を出せば日常が戻ってくる。明るくなり始めてから10分くらいだろうか。 明るくなると同時に暑くなり、皆既中に感じた気温低下は錯覚ではないことを認識する。

苦労して準備して、期待していたことが最悪の天候に見舞われる。我が身の不運を嘆いたところに、その状況のまま圧倒されるような現象を目にする。 部分日食はまだ続いているが、ドラマチックな時間は終わった。キャンプ場では皆興奮して感想を言い合ったり、次の日食の計画をしたりしている。


キャンプ場に居合わせたみんなと写真を撮ることに

現象が大きいのだ。
このご時世、きらびやかなショウ、派手なイベントは、電通博報堂あたりがいくらでも用意してくれる。 わざわざ自然現象見なくても、映画館や遊園地行けばいろんな美しさは提供してくれる。

が、こちらは、自分が今いる世界の見渡す限りがガラッと変わってしまうのだ。

もちろん僕は、皆既日食がどういうメカニズムで起こるかを知っているし、どんな現象が起こるかということも知識としては知っている。
しかしこれ、そういう知識もっていない少し昔の人たちが見たら、これは恐いぞ。 それを機に、自殺してしまうとか結婚取りやめてしまうとか、それくらいの人が居たとしても不思議ではない。 何も知らずにこんな現象を見たら、末代まで語り継がれるだろう。


すごいと思ったと同時に、晴天下で見られないことを悔しいと思った。 この劇的な大変化が、さらにすごいことになるんだろう? 黒い太陽、昼間の星空、不思議な夕焼け。地球上でほんの一部、一時でしか見られない、宇宙全体でも、もしかしたらそんな現象が見られるところはほとんど無いかもしれない、劇的な現象。

これは是非、次回は晴天下で見たいと思ったね。今回曇られて悔しかったのと、それでも凄さが伝わったこと。


作品らしき映像は、ほとんど撮れていない。
かなり諦めていたのかもしれない。
雨もパラつくので難しかったが、駄目元で三脚にカメラつけて撮りっぱなしにでもしておけば良かった。

興奮気味のまま、スーパーで焼きそば買ってきて作って食べる。 ソースを使ったオーソドックススタイルと塩焼きそばパターン。

ちょうどオイスターソースという、不思議な日本の味(西洋料理として考えているが、実は日本特有?)の話をしたところで、焼きそばというのは日本のお祭りの典型的な食べ物なんだ、とかなんとか説明しながら。

どちらもおいしかった。


一週間ほど滞在したキャンプ場も、明日の朝には引き払う。 今晩のうちにある程度パッキングもしたいので、自炊は止めておこう。
屋久島最後の夜なので、お酒も飲みたい。となると、徒歩圏内のレストランが今夜の晩餐の会場となる。 数日前に引き続き、コンビニ隣のレストラン。

飲み物が出てくるのが遅いのも相変わらずだったが、お寿司も焼酎も揚げ出し豆腐も美味しく、屋久島最後の夜も楽しく過ごせた。

2009/7/23(木)

キャンプ場を引き払い、移動。ひとまずチームを解散し、それぞれの目的地へ向かう。
3人は口永良部島へ渡って旅を続け、残り7人は鹿児島へ戻る。 鹿児島から、一人は東京へ戻り、残りの6人は鹿児島市内にもう一泊。僕はイタリアチームとともに鹿児島市内に泊まって、明日の朝お別れ。


鹿児島へ向かう我々の船が先発。仲間たちにゆっくりと見送られる。
この瞬間が、一つの終わりだと思う。
お互いに、今後も良い旅を。

今回の計画はもちろん、皆既日食を見ることが主目的の計画だったが、それ以外にもいろいろな要素を詰め込んでいた。

旅先で知り合った、ほんの一晩一緒にいただけの異国の友人。
その人たちを5年後、自分の国に招いて再会できる。すごく貴い出来事だと思う。 前回会ったのは偶然だが、今回は意図して会ったわけだ。単なる偶然が、次につながって新しい価値を生んでいる。

例えば、この機会に彼らの妹と僕の友達の同僚が仲良くなる。ほんの1、2週間前は、地球の反対側に住む、何のつながりもない他人同士だったのに。(知り合いの知り合いの知り合いの、そのまた知り合いなんて、他人と一緒だ。どんなに関係ない人だって、その程度のつながりはあるはず。)
それがまぁ、いろんな偶然だったりインターネットや飛行機の力に助けられたりしながら、それほど長い期間ではないのに心を通わせた友達になっている。
何かこう、大袈裟にいってしまえば、世界平和だとか相互理解とかも、そう難しいことではない気がしてくる。

ここ数年来、適当なメンバー集めて旅行する活動を続けている。
目的地は離島が多いが、目的地を海外にしても同様のコンセプトで計画ができると思っている。カナダ、ニュージーランド、台湾あたりで、キャンピングカー借りながらオーロラ見たり山登ったりするような計画。 今回はその予行という狙いもある。
国際性と長期という要素を入れて国内でやってみたが、確かな手ごたえはあった。

今回面白かったのは、チーム力が上がっていくというか、皆がだんだん仲良くなってきて、距離が近づいてくるのが実感できたところだ。
日本人メンバーもお互い未知だったり既知だったり、年代差も少しあったりするが、各人思慮深いというよりは元気一杯で、人懐こく人が良いというのが共通して見られた性格だった。(皆例外なく、簡単にだまされそうな人だ。)

言語能力というと優劣があるものの、コミュニケーション力は皆高く、それが本当に助かった。


鹿児島湾は、広さも形もなんとなく東京湾に似ている。
快適な船旅。安いし、そう時間差ないし、高速船よりも好みだな。

一人で旅をしていると、海外でも国内でも、しばしば無償の親切を受けることがある。こちらは単なる流れ者なのに。
そんな者に親切を施しても、普通は何の見返りも得られない。 どころか、流れ者に秩序を乱されるリスクもあるだろう。それなのにほとんどの場合、無償の親切を浮けてきた。

僕はこれまで、一方的に親切を受けるばかりで、お返しができていないなと思っていた。 受け取るばかりではよろしくない。借金がかさんでいるようなものだ。

今回はその借金を返済する良い機会だと思っていた。できる限り、彼らが良い時間を持てるように図っていきたい。独力でそれをやるのも大変だから、友人たちの力も利用した。
その狙いはあたり、独力では届かない満足感を、彼らに与えることはできたと思ってる。非常に感謝している。


できなくて反省しなきゃいけないこともある。
我々は日本人同士だと、日本語で会話をしてしまうが、これは良くないことだった。

5年前、僕は非常にありがたかったのに。イタリア人たちのグループに入れてもらった時、彼らは僕の前では英語で会話をしてくれた。もちろん僕以外のすべての人は、英語よりもイタリア語で会話する方が楽なはずだ。僕を仲間外れにしないために、そういう気遣いをしてくれたのだ。

今回だってそうだ。イタリアの4人は、お互い同士の会話でもけっこう英語を使っていた。 彼らも完全にバイリンガルというわけではなく、母国語で話すほど流暢なわけではないが、自然にそういう姿勢をとってくれる。

同じことを、こちらもやらなきゃなと思ってはいたが、どうも日本語で話してしまう。語学力の問題もあるが、照れの問題もある。そういう姿勢がマナーとして身についていない。
そんな態度でいたのでやはり彼らに寂しさを与えてしまったらしい。「私たちが日本語分かれば一番良いのだけど」とまで言わせてしまった。
なるべく改めていくようにはしたが、今後の課題である。


鹿児島では、再び中園旅館泊。まだ日は高く、軽く観光ができる。 徳に予定も計画も無かったが、桜島へ行ってみようか、ということになった。

鹿児島市内→桜島は船の本数も多く、値段も安い。が、意外とと桜島内での移動は不便なようだ。 路線バスもあるにはあるが、本数が少ない。 タクシー雇ってしまえば良いだろうと思っていたが、案外値高い。それにどうやら台数が少ないようで、どうも6人乗れないようであった。 一番合理的だったのは、まさかのレンタカー。展望台まわって温泉入れば良いかなと思っていたが、時間的にも金額的にも、それが一番便利なようだった。


夕焼けの時間


煙を吹いて超広角レンズじゃないとおさまりきらない。

温泉が非常に面白いところだった。
湯衣を着て入る、海際の混浴露天風呂。

竜神を祀ってあるのだが、なんかその祀り方に重厚さがない。(祀られてる大木は風格あるのに) 無理やり威厳をつけようとしているところが、なんだか軽い。施設は豪華で、バブルの匂いを感じる。あるいは新興宗教?

ロケーションは良いし、コンセプトは面白いし、普通に快適だ。たぶん、入浴料はここらへんの相場よりも高いのだろうが、大満足だった。お薦めできる。

桜島はあまり外食できるような店はなく、結局天文館周辺まで繰り出すことになる。
地鶏が食べたいなぁということで、同行者がハナを効かせて見つけた焼き鳥やさん、「とり処 なかちゃん」。

そろそろ暖簾をおろしそうな雰囲気だったが、まぁいいやという感じに入れてもらう。
大変良いお店だった。特筆すべき宴会。

「遠慮の固まり」というのは、我が国の特産物かと思っていたが、そうでもないようだ。 イタリアーノたちも、結構遠慮し合うのね。 彼らは、もう呆れてしまうくらい上品で謙虚、優しい人たちなのだが、食事中もお互い薦め合い、けっこう料理が残る。
日本食は大好きだが、案外少食ということもあるかもしれない。

そんな彼らに、鶏の生肉なんて大丈夫かなという心配もあったが、今回は皆奪うようにパクパクと食べていた。
確かに、まったく臭みのないおいしい鶏刺し。4、5種類出てきたが、それぞれニンニクつけたりポン酢つけたり、大変おいしいお店だった。

「私の腕じゃないんです。ぜんぶ新鮮な鶏さんたちのお陰です。」とのたまう大将の言葉が印象的。

イタリアからの客+日食帰り+酔っ払い、という組み合わせは、かなり強い。 杯を重ねていくうちに、カウンターで飲んでいた常連さんたちも我々に興味を持ったようだ。皆がテーブルに加わってきて、地元の人たちの歓待を受ける。

「日本の飲み会はいつもこのように、知らない人同士でも楽しく盛り上がるのか」と聞かれる。
酔っ払い同士ならないわけじゃないが、そう滅多にない。むしろそういうのは西洋のほうが多いと思っていた。
やっぱり遠いところから来た客人には興味があるし、自分の土地を好きになってもらって、もてなしたいという気持ちが生まれるからだと思う。

話し込んでいるうちに、ラーメン屋さんを案内してもらうことになった。
濃厚な豚骨風味の鹿児島ラーメン、僕の好みである。 地元の人の案内は、ハズレがない。ありがたいことだ。

割と日本のポップカルチャーへの関心が強いアンナは、ラーメン食べるのに憧れていたらしい。(お好み焼き、タコ焼きも食べたいと言っていた)。
飲み屋帰りのラーメン食べて、「夢がかなった」と嬉しそうだった。

写真も撮ったはずだが、見つからない。どうやら、酔っ払ってカメラごとなくしたらしい。残念。 コンパクトカメラは小さくて、すぐに無くしてしまうのが欠点だ。

2009/7/24(金)

朝の便で鹿児島を離れる。羽田から会社へ、でかいバックパック背負って午後出勤。
ドレスコードには明確に引っ掛かっていないとはいえ、サラリーマンとして会社へ通勤するにはそぐわない格好だったように思う。しかし警備員たちは咎めてこなかった。彼らは無能である。

今回の旅行は、大変楽しかったと同時に、とても疲れた。
肉体的に厳しいことやったわけではないが、なんだか毎日夜更かしした上に早起きしていたし、一人の時間が全然なかったというのも、疲れた原因かもしれない。昨晩だって2時頃まで飲んで、朝は7時に出発だ。 旅行帰りには疲労を感じるのが常とは言え、今回はその度合いが大きい。

そんなわけなので、会社へ行ったところで効率が上がるわけはない。とはいえ、状況は切羽詰まっている。とりあえず会社来ていれば、何もしないよりは進む。なにしろ、週末の休日出勤の許可を得た、というのが本日最大の成果だと思う。
先送りして時間を稼いで解決する方針。

そういえば晩飯は家族と会食する予定があるのだった。
銀座へポルトガル料理を食べに行く。

ポルトガル料理と聞いても、魚介類を使う地中海料理というくらいしかイメージが沸かないが、まぁそんな感じだ。けっこう日本の料理料理に近く、親近感を感じる。真似すると良いかもしれない。


まぐろカマ

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