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2008/04/5(土)

今日はお呼ばれ。客と言えば客だが、スタッフと言えばスタッフとしてお呼ばれ。
友人の自宅披露と自作の日本酒披露のパーティーに参加。ながもりさんとともに、料理係として働いた。自作したのは酒自体ではなく、原料のお米。たんぼの共同オーナーとなって、何度か通っていたらしい。

友人の家は不思議な縁で住むことになった、古民家風の素敵な家。「古」民家「風」で無く本当に古いようで、いろんなところが傾いたりもしているらしいが、前住人が大幅に手を加え、雑誌にも取り上げられたというが、確かに人に見せたくなるような、格好いいところだ。たくさん人を招いて、たくさんの人に見てもらうのが良いと思う。

春らしく日本酒に合うものを、というコンセプトで考えた。 僕の今回の挑戦料理は昆布締めと鶏肉のぬか漬け。どちらも作るの初めてで、いきなり大人数に披露するのもリスキーではあるが、おいしいだろうな、っていう確信というかカンは何か感じた。
おいしい日本酒には繊細で香り高い肴だろうなぁってことで、発酵食品を。自分の手に負えそうな、ぬかとか魚とかを駆使したものだ。 日本生まれの醸造酒に、日本生まれの発酵食品が合わないはずがない。

デパートで買ったソイを三枚に卸し、昆布の間に挟んで一晩。それを刺し身のように切る。ソイは皮をむいておくべきだった。デパートの魚って高いなぁ。

鶏肉は一番安い胸肉をテキトーに切って、三日ほど前に漬け込んでおいたものだ。それを魚焼きグリルで適度に焼く。 かなり好ましい感じに仕上がって、僕はおいしいと思ったし周囲にも好評だった。意外とどんな味付けをしているか分からないみたいだ。

菜の花は、やっぱりこの時期らしく。鮮やかな色を生かすために、炒め物で。にんじんの赤もいれて浮かれた感じに。オリーブオイルとニンニクで、イタリアっぽく。

それ以外は、お客さんがたくさん来ちゃったからあわてて作ったものとか、スーパーで安かったから思わず買っちゃったものとか、そのへんにあったありあわせとか。

ながもりさんとともに料理をするのは、わが家での新年会、達磨山富士見鍋ツアーと、ここのところ毎月のように続いている。 彼とはそんなに好みは違わないとは思うが、アプローチがまったく違うなぁというのが面白い。僕はかなり思いつき、アドリブ、その場のアイデアで料理を作る。どちらかというと食材を与えられて、そこからどんな組み合わせを作るか、っていうのが好きだ。そしてかなり大雑把だ。

ながもりさんはもっと計画的に食材を選んで、丁寧に繊細に作る。だしのとり方、下処理の仕方、これが正式なやり方か、これがその結果か、と学ぶべきことが多そうだ。僕も一通り学んでおきたいなと思う。

今回は、ながもりさんのほうが多く作ったように思う。面白いもので、彼の料理が称賛されると、こちらも負けじと何か作りたくなる。交代で料理して、負荷も分散されたのもやりやすかった。
博多出身の家主による筑前煮も高い完成度でおいしかったことも付け加える必要がある。

職種も国籍も、非常に多様な人達が参加した、にぎやかな会だった。 相変わらず計画性あんのかな?とはた目ながら心配してしまうところもあるが、彼女の人望でどうにかなるんだろうな、となんとなく予想した通りでもあった。不思議な人徳だと思う。

2008/04/7(日)

男の人生は、散り際の美しさが重要だ。そしてそれは桜にも言えることだ。
つまり、だいぶ前からお花見の日程を決めていて、開花がずいぶん早くて焦ったものの、思ったよりも花が残っていて良かったなぁ、ということだ。

やや葉桜になりつつあるが、花吹雪としては絶好の日。僕はどうも満開のソメイヨシノって好きじゃなく、今日みたいな状態は好ましい。

野外で食べるとなると、料理よりも状況を楽しむ感じになるだろう。 そう思って料理にはあまり工夫しない方針。七輪でも持ち出して何か焼いて食ってりゃうまいだろう。
とはいえそれはそれでそれなりに大変だが、元同居人と現同居人にやらせておいたので、僕は楽だった。火がつくのにだいぶ時間がかかったのは、炭がちょっと湿気てるからかもしれない。

参加者は、10人だったか15人だったか。気軽に来れそうな近場の人を誘ったつもりだが、東北の人も東海の人も気軽に参加してきた。やっぱり雑多な人たちがたくさん集まった。思ったよりも、雑多な人達同士がどこかで会ったことがあったりしている。

家事の話題で盛り上がった。
ちょっと上の世代の人に「毎日料理作ってます」というと、男なのによくやるわと奇異な目で見られることがあるが、料理って男性的な作業だと強く思う。 料理のねたで話が弾むのは、男性としているときのほうが多い。女性にも料理好きは居るが、僕が具体的に知っているのは義務感で料理をしている、あるいは料理しない女性の方が多い気がする。
男性で料理する人は、好きこのんでやるわけだから、何かしら工夫していることも多く、新しいアイデアの話なんか振ってみると、大いに乗ってくる。
まぁ男性は料理する義務が求められることって少ないから目立つっていうのは大きいだろうが、現に今回のお花見の参加者は、料理もやって家事もやるっていう男性は多かったね。

さらに、料理ってけっこう理系的な作業だと思う。少なくても、理系的なアプローチは有効そうだし、化学、生化学の知識や設計のセンスは役立つはずだ。 十種類の食材と十種類の調味料。熱、化学変化。形状、状態。それらから生み出せる無数の組み合わせの中から、知識とセンスと気分と偶然を駆使して、おいしい料理を生み出す。ものづくりの作業に似ている。 逆に、料理を通して科学技術を学んでいく、なんていうのも面白いかもしれない。

なんて感じに、今日も日が暮れるまで酒びたり。
この時期は昼は暖かいが急激に冷え込むから、終わる時間はハッキリしていて、ご近所のブルーシートも、一斉にいなくなる。片付けも、自宅まで徒歩一分という条件は非常に便利だ。

2008/04/9(水)

今週の出張はミニキッチンつきのぎょうざホテルに宿泊。 予定が変わって一泊のみ。

せっかく台所があるので何か作りたいが、そういえば調味料持ってきていない。
一回のみ、調味料なしの状態で自炊をするのは、難易度が高い。敷居の低いインスタント食品のみを今日のディナーにするのは、外食に比べて大きなコストメリットがないし、満足感も低い。 いつものようにテキトーな食材買ってテキトーな料理するかといっても、食材は過不足ない量を買わなければならないし、わざわざ調味料を何種類も買い込んでいては、コストメリットも何もなくなる。(社食で各種調味料持ってくるべきだった)
食後の満足感も捨てたくないし、食材も捨てたくない。余った食材を新幹線で持って帰るのもばからしい。そのために、スーパーでの長考を余儀無くされる。

今日は持参した屋久島の焼酎、三岳を軸に据えて、まずはジンギスカンソースつきの羊肉、そして地産地消の文字に引かれた栃木産小麦使用のうどん。これで汁物と炭水化物を兼用。100円引や10円引の値札にも引かれた。
僕は何かしら、自分で手を加えた物を食べたい傾向があるようだ。

2008/04/10(木)

宇都宮で22時まで残業したところで、家までちゃんと電車で帰れるのだから、まぁ思ったよりも近くて結構だが、どこで夕食をとろうか、ということになる。 新宿あたりでおいしいラーメン屋でも探したいところだが、ラーメン食ってるうちに終電を逃すのも馬鹿らしい。結局最寄り駅まで帰ってしまって、そうなると、詰まらない定食屋よりも自分で作っりまうか、となってくる。
近所にも、夜中までやってるお気に入りのごはん屋さん見つけとかないとなぁ。

2008/04/11(金)

僕はカメラを作ることにしていることを生業にしている。
写真を撮るのもそれなりに好きだ。少なくても写真集を出す程度には。

でもそれはそれぞれ別の動機だ。写真好きだからカメラを作ろうと思ったわけではない。作る方は、何か課題を与えられて、それをどんな工夫をして実現するかを考え、具現化していくのが楽しいわけで、作る対象はカメラであってもカメラで無くても良かった。

就職活動中の学生などからよく質問を受けるが、一緒に仕事をしている人の中にも、写真なんてあんまり興味無いって人もたくさんいる。そういう人にも尊敬できる仕事ぶりの人はたくさんいるが、彼らもきっと作るのは大好きなんだと思う。
とはいえ、使うのも好きっていうのはやっぱり非常に役だつなぁ、と思う。

今携わっている製品に対しての意見をもらうために、プロカメラマンの方々に会ってお話を聞くことになった。
プロの方々は、それぞれかなり独自の使い方をしている。で、けっこうその作業が具体的に何やってるか、何ができてどこが面倒臭いか、想像ができる。僕も似たような作業やってるからな。

皆がそれぞれ自分のスタイルをもっているので、ある人はすごく喜ぶ新機能も、他の人には邪魔なだけ、ってこともあったりする。

道具と作品作りの関係を考える点においても面白かった。
カメラは作品を生み出すための道具だ。こういう作品を作るためにこういう機能を向上させようと、ある目的があって道具を作っているわけだが、新たにこういう機能ができたのだから、あぁこんな使い方もできるじゃないかと、道具が先行して目的を生み出すこともあるだろう。
道具自体として理にかなった、ポテンショナルのあるものを作れば、あとはそれぞれの使い手が工夫して使うはずだ、ってことは全体として感じた。

なんて言うか、それぞれの要求を聞くのも注意が必要だ。俺は慣れてしまったからそんなこと自動化しても使わないよ、ってなっても、慣れてない人にはどうなのか、とか。こんな機能どうですかという問いに、あったら嬉しいね、という答えをもらっても、その分大きく高くなっても良いのかとか。

いろんな人のいろんな意見を聞いているうちに、全員の要求はちょっとずつ満たしているものの、総合的にだれも喜ばないような、多数決の悪い例みたいなものを生み出してしまう、という例はたくさんあるだろう。

自分自身がヘビーユーザーであれば、自分自身が使いたい物を作れば、それはかなり高いレベルで理にかなった良い道具になっている気がする。 道具の中身の構造までは知らない人たちには思いつけない領域っていうのは確かにある。作り手の方はその中を自由にできるわけだが、そのときに、自分が使いたいものを、っていう方向に向かって行けば、そんなに間違っていない気がする。 たとえば楽器でも兵器でも、良い音楽を作る能力と良い楽器を作る能力は別だろうし、戦争を知らない人でも高性能のミサイルは開発できると思う。 でも性能を上げるということではなく、使いやすい優れた道具を生み出すのは、実際に使い手としてもその道具を使いこなしてる人だろうなぁ、という気がする。 激戦の現場を知ってるエンジニアの設計したマシンガンは、きっと小技が利いて使いやすいぞ。

もう一つ。
いろいろ頂いた意見のなかには、原理的に絶対に無理だというものもあれば、いま本当に求められているのはこういう形かもしれない、すごく作って見たくなるようなものもある。作って見たくなるものの中には、発売日を考えると日程的に無理だってものがとてもたくさんある。二カ月前に話聞いていれば、話がまた違ったかもしれないのだが。

ということで、我々もできる限りでガンバリますが、無理なものは無理だしなぁ、というところもあって・・・
皆さん大変にカメラを愛していて、期待されてるなぁというのは伝わってきた。こたえたいなぁとは思う。


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