たてしな
蓼科山

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2005年 3月19日−3月20日

週末の予定を立てるのに、だいたい水曜の午後くらいから天気予報を信じ始める。今週末は晴れるらしいという予報は、週末が近づくにつれ確実になっていき、土曜の夜は日本列島完全に高気圧の圏内。絵に書いたような、理想的な天気図だ。

よし出かけよう。候補は二つあって、
・伊豆諸島行って海の向こうの富士山をねらう
・蓼科山登って八ヶ岳を撮る
で、今回は蓼科行くことにした。今年のテーマは雪山だ。
行くことさえ決定すれば、時刻はすでに調べてある。格安チケットを買ってきて、計画どおり行動すれば良いだけだ。

6時に起き、出発。中央線に乗って茅野駅10時。ここからバス。乗客は多く、増発したバスに乗ることになった。 蓼科の登山口は女神茶屋というバス停にあるが、冬季は廃止される路線だ。冬はピラタスロープウェイ行きに乗って、ロープウェイ入り口から1時間ほど車道を歩けば登山口までいける。
ここで若干計画を変更。バスをその手前の親湯(しんゆ、と読む)で降りて、信玄棒道を歩いていっても、登山口まで行ける。地図によるとこちらは登山口まで1時間半。 時間に余裕があるからどちらでも平気だ。アスファルトの舗装道を歩くよりも昔の軍用道路を歩いたほうが快適だろうし、あまり高いところから登り始めて、ステッキがわり、ピッケルがわりの木の杖を拾えないのも困る。

11時、親湯温泉の脇を抜け登山道は始まる。10分も歩くと道は雪に覆われるが、その間に目論見どおり木の枝ステッキの入手に成功する。 信玄棒道というと学習マンガでも読んだことがあるが、古代ローマ式の軍用道路と同じ思想のやつだ。実際歩いてみると普通の山道。

雪に覆われてもなんとなく春の雰囲気。葉も枝もその形のまま雪に沈んでいくが、これは重力によって沈んでいくというより、日光に暖められて、その熱によって雪を溶かして沈んでいくのだと思う。

この季節にこの道を歩く人はほとんどいないようだ。一つ数日前のトレースがついていたが、何度か道を分けていくうちにそれもなくなる。 大部分はそれほど歩きにくくないのだが、場所によって足が沈む。雪の浮力と体重がだいたい同じくらいなようだ。 これがひどいところだとちょっと大変で、一度沈むとなかなか次の一歩がでない。 女神茶屋手前で最もひどく、すぐ目の前に見えているのに、そこに人がいればじゃんけんをできるくらいの距離なのに、次の一歩が出せない。10分くらい苦戦した。

女神茶屋(冬季休業?)まで約2時間で、コースタイムから30分の遅れだが、許容範囲内。 ここからは登山者も増え、歩きやすくなる。道は急だが、危ないところ、恐いところはない。天気も最高、時間の余裕もある。 特に何も考えず、のんびり歩く。増えたといっても登山者の数は少なく、姉から電話がかかってきて、登山道の真ん中でしばらくGWの旅行計画について長話をしている間も誰にもすれちがわない。

もうひと頑張りで山頂かな、というところで3人に呼びとめられた。

「この先でデジカメ落としてしまったようなんですが、見つけたら届けていただけないでしょうか。」
カメラはこれと色違いのものです、と差し出されたカメラ。

やや、これは我が社の製品だ。こんな場面で、それはカメラ会社に勤めていますというと、受けが良い。今回も、3人とも我が社のカメラを愛用してくれているという。しかしこれでは見つけないわけにはいかなくなってしまった。

金曜の夜までは、日常業務に追われている。仕事が終わって山行を決心し、支度をして、出発してきた。 切り替え時間が短い中でやってきたので、目の前の作業を一つ一つやるだけで精一杯だった。
だから、このあたりまで登ってきてようやく気付いた。今僕はすごい世界にいるぞ。 見上げれば枯れた針葉樹は枝を白く凍らせ、鳥居のように連なっている。招かれているようである。見下ろせば前衛の山々とその麓に続く人家を青空の下に一望できる。
考えてみれば、標高2500mでテントを張るのは無雪期でもやったことがない。 3月の2500m。れっきとした雪の高山。ちょっとしたあこがれの世界に足を踏みいれる。

16時20分、登頂。
やっぱり神の世界だ。雪と岩と風の支配する広い頂上。小さな祠になにかしらの神様が祭られているし。南北中央アルプス、浅間山荒船山あたりが見渡せる。松本やスキー場など、下々の棲む世界を見下ろせる。槍が岳なんかが赤く染まった夕空を背景に映えている。
人間が生息できる世界ではない。僕も今夜一晩間借りするだけ。有名人がよく一日署長なんていうのをやるが、今日僕は一日神様を体験することになった。

体を冷やさないよう、すばやく着替える。テントをはる。日の入りが迫っているが、写真撮影にうつつを抜かすよりも、今日の寝床を設置しないことには始まらない。神様やるのも楽じゃない。
山頂には小屋が建つが、冬はやっていない。が、冬季一部開放と書いてある資料もあり、それをちょっと期待していた。今は半分くらい雪に覆われてる。完全に閉まっているようだ。 小屋の玄関前にテントを張った。多少の風は防げるだろう。

フィルムカメラの場合、フィルムがもっとも切れやすいのは夕日の直前だ。何故かそうなる。一番良い時間をフィルム交換に費やすことの何と多いことか。 デジカメだとそれは電池の切れる時間である。そんなこと知っている。
今回も日の入り直前で電池がなくなった。大丈夫、予想ずみだ。落ち着いて予備の電池に交換すれば良い。間に合う。 ほら間に合った。

ところがカメラは起動しない。え?充電してきたぞ?
何故、というのはわかっていて、寒いからだ。低温のため、電圧があがらない。しかし今までだって結構寒いところで撮影してきたが、電池の消耗が早い程度だった。フル充電した電池でもいきなり動かないというのは初めてだ。やっぱり神の世界では、色々な常識が通じない。

しかしまだまだ夜は長いのだが、大丈夫だろうか。
夜景を撮るために丸一日かけてやってきて、夕日の時間で電池がなくなって、ハイ残念でしたとあきらめるわけにも行かない。とりあえず電池をポケットに入れて暖めてみる。 すると何枚かは撮れる。また切れる。もう一度暖める。暖めれば十分な電池残量を示すが、2,3枚撮るとまた切れる。 これで温度が原因だということがはっきりした。2つの電池を交互に使い、撮影、電池交換、暖める、電池交換、というサイクルを繰り返す。カメラが冷えないようにテントシューズつけてみたり、くす灰カイロで暖めてみたりするが、やはり数枚撮ると電池が切れる。
しかたがないので、感度をあげて露出時間を短くする。長時間露光によって星の線像を写すのはあきらめる。 モニターでの確認もなるべくやらない。多少の露出誤差は、画像補正でごまかしてしまおう。 露出もフォーカスもカンと経験でやるしかない星の写真では、デジタル一眼のその場で確認できる機能というのは本当に便利で、ここのところデジタル一眼のみを持っていくことが多くなってきた。しかし電池がなくては何もできないという弱点もある。このような低温下での長時間露光には、やっぱり機械式フィルムカメラも必要だな。

えらい写真家の先生やモノの本には、良い写真を撮るには構図だのセンスだの感性だのが重要だなどとおっしゃる。 なるほどそれは重要なのだろう。だがこの状況ではそれ以前に重要なことがいくつかある。 感性があってもなくても、カメラがちゃんと動いてくれなきゃ始まらないし、カメラが動いても自分が動けなければもっと始まらない。

ここでは、センスがあるかないかよりも動けるか動けないかのほうが差がつく気がする。
電池だって動いてくれないのだ。人間だって動きたくない。あんなに薄っぺらいテントでも中に入れば風は防げるし、雪の上とは言え寝袋に入れば睡眠をとることさえできる。寝袋にちぢこまって酒呑んでいるほうが良いに決まっている。その誘惑を絶ちきってシャッタを押す。1枚数分間の露出時間を、強風にさらされながら三脚の脇で我慢しているのだ。センスなんて知るもんか。構図なんて考えられるか。ファインダーのぞいたって、暗くてわからないのだ。 脳味噌の大部分は、寒い!ということしか考えていない。そんな状況では極めて簡単なミスをしやすいので、残りの部分ではその対策に気を使うだけで精一杯だ。電源を入れろ。電池を暖めろ。すぐに手袋をしろ。チャックを閉めろ。三脚を倒すな。露出は合っているか。

この広い山頂に存在するたった一つの熱源は、僕自身の体だ。ガスコンロやライターだって、この低温では着火しない。僕自身の体温でもってある程度あっためてやらないと火はつかない。カイロだってポケットにでも入れておけば僕を暖めてくれるものの、外に出しておけばすぐに発熱しなくなる。やはり僕の体を種火としている。何だか我が身ながらとてもいとおしく感じてしまう。
僕の腕時計には温度計がついている。せっかくだから計ってみたが、温度を表示してくれない。どうも−10以下は計れないらしい。寒すぎて温度計が動かない。寒さの自己レコードが計測不能というのも残念だが、とりあえず焼酎は凍らない温度だった。

僕は今とても素晴らしい状況にいる。
最高の天気、最高の眺望、最高の条件!
快晴の星空は天の恵みによるものだし、ここまで登ってこれたのは自分自身の経験と努力によるものだ。そしてこの寒さを耐えることができるのは装備と我慢によるものだ。 月齢も丁度良い。星も景色も写せるだろう。 今夜いくら無理したって、今週は3連休、明日たっぷりと休むことができる。ちょっとくらい睡眠不足になったって、下山時に危ない箇所も少ない。こんな条件がそろうのは滅多にない。
あぁ、しかしやっぱり満足に撮れないんだよなぁ。 オリオンが沈んでいく時間帯も寝袋から出られなかったし、夜が白み始める直前の、空が最も鮮やかな時間を寝すごしてしまった。

日が昇ってしばらくすると、空は曇り始める。昨日登ってきた道をバカ正直に下っていく。下りは早い。女神茶屋まで1時間45分、親湯温泉まで3時間でついた。無雪期と変わらない。 親湯温泉は入浴1000円の、畳じきの温泉。信玄の隠し湯だそうだ。


昨日僕があけた穴。50cmくらいはある。今日は沈まない。
朝だからだろうか、雪がよく固まっている。飛んでいくように歩ける。

結局カメラは見つけられなかった。同じ道を2回通ったし、あのあと他に登山者も見えなかった。見つけるとしたら僕のはずだ。データをなくす悔しさは僕も経験があるので何とかしたかったが、残念だ。
しかし我が社のカメラとはいえ、僕の仕事は雪に埋もれたカメラを探し出すことではない。作ることだ。
今後安くて良いカメラを作っていくことで勘弁してもらおうと考えている。



星の写真集出しました。
このときの写真使ってます。

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