旅の終わりに

昨日までバックパッカーズに泊まり、山へ行き釣りをしていた過去がすでに信じられない。また、明日から家に帰り新生活に向けての日常が始まるという未来も現実感がない。認識できるのは目の前にある飛行機の乗車待ちの時間と睡眠不足ぎみの頭の疲労感だけだ。

ニュージーランドの夏も終わろうとしている。草木も色づき始め、サマータイムも終わった。下弦の月も新月を経て今では丸く膨らんでいる。
3週間は短いと欧米人やワーキングホリデーの人を妬みながらも、けっこう様々なことが楽しめた。

人々はなぜ旅に出るのだろう。非日常を感じたいとか、憧れの土地に行きたいとか、他人にうらやましがられたいとか、いろいろあるだろう。(たとえばツアーのおばちゃんが荒修行のようなハードスケジュールをこなすのは、そこに憧れているというよりは他人が「価値がある」と認めていることを自分がやりたいということなのだと思う。)
今回の僕の旅行は、山に登って写真をとる、日本では味わえないような釣りをする、というのが具体的な目的だった。

写真のほうは噂どおりというか期待以上というか、どこに行ってもきれいだった。これまで日本各地をめぐり、その自然の美しさを感じてきたが、それ以上の驚きがあった。写真もけっこう手ごたえを感じている。現像が楽しみだ。

釣り。海でも川でも、大物がばんばん釣れるとのこと。キロオーバーの魚の引きってどんなのだろうと想像もつかなかった。それを味わってみたくて南半休まで出向いたが、今でも想像はつかないままだ。
敗因はなんだろう。釣り場で負けたというよりも、それ以前のお膳立てが悪かったのだと思う。
釣り人にとって最も価値のある魚とは、自分で状況を読み、仕掛けを作り、こうすれば釣れるだろうという作戦どおりに釣ることなのは間違いない。だが見知らぬ国の見知らぬ魚を見知らぬ方法で釣るには、それを良く知るガイドに頼む必要がある。頼むといってもお願いしますだけではうまく行かず、こちらの状態や希望を伝え、天候・状況を確認し、日程をあわせ、どうしたら良いのかを決めていかなくてはならず、結構大変だ。
結局のところちょっと釣りして、だめで、移動というような、腰の入らない日程になってしまった。
時間と金をもっと集中させて、もっと釣りの優先度を高くしたほうが良かったのかもしれない。日本にいるときから連絡を密にとり、はじめから日程に組み込むくらいのほうが良かったか。
コミュニケーション能力の重要性を実感したところで終わってしまい、魚体に触れることはできなかった。まぁ釣果だけが釣りではない、その間の時間を楽しむのも釣りだということで、自分を慰めておく。

それ以外のことは本当に順調だった。魚も次への宿題として残しておこう。

国内を自転車旅行したときよりも他人と触れあう機会は多かった。この国にはたくさんの旅行者がいる。ニュージーランド人よりも、それ以外の国の人に多くあったと思う。日本人もいれば欧米人、韓国人もいる。彼らも見知らぬ国の話相手を求めているし、それをとりまくキウイ達も旅人にとてもやさしく、フレンドリーだ。
それぞれが似たようなコースを似たような日程で歩いているので、あらまた会ったわねということも多い。国際的に世間が狭い。
さらに自転車旅行と比較すると、もう僕は国内旅行はほとんどを他人に頼らずできてしまう。地図を見ればどう行くのが最適か判断できるし、穴場なんかもけっこう見つけられる。
だが、文化の違う国を旅するのは勝手が違って、ささいなことでも思わぬ苦労をする。が、何度かやっていくうちに些細なことになってくる。そういうのも新鮮だった。

暇に任せて駄文を続ける。
今回日記を書き続けたのは、どちらかというと他人に読んで欲しいというよりも自分で書きたいからだったと思う。そのため、あまりまとまりのない長文になってしまっているかもしれない。
自転車旅行のときよりも書く時間は多い。この時間を読書に代えると、小説が何冊あっても足りないと思う。
また、書くことによって考えもまとまるし、旅しながらも日記のことが念頭にあるので何かを考えられるきっかけになる。
リアルタイムといいながらも、更新は3日おき程度だった。2,3行程度なら毎日でもできそうだったが、写真を入れて長文を入れる場合はそれをおこなう環境を毎日求めなくてはいけないので負担が大きい。まぁそれほど見ている人もいないのでかまわないだろう。それほど多くないが、多少は他人も見ているという視線はちょうどいい刺激なのかもしれない。

ニュージーランドがこれほど旅をしやすい国だとは知らなかった。ヒッチハイカー、チャリダー、ハネムーン、アジア人集団旅行、それぞれが自分の時間を楽しんでいる。
航空券が高いといってもそれ以上の価値がある。
ニュージーランドにはいろいろな楽しみがある。今回やらなかったことでもヘリハイキング、乗馬、スカイダイビング、マウンテンバイク、イルカと泳ぐ、バンジージャンプ、…と挙げればきりがない。楽しむことに熱心な国民性なのだろうか、各地で魅力的な遊びが多くある。
そのどれもがニュージーランドの自然の美しさを土台にしている。(したがって悪天時にはできないものが多い)そのため、自然の美しさを壊さない努力が随所で感じられた。自然を守る努力だけでなく、そこで楽しむということ、他の人に楽しませるということ、キウイたちはそれに長けている。
南島の自然美は世界遺産に登録されているようだが、それは自然そのものだけでなく彼らを含めて世界遺産だといっても言い過ぎではないのではないか。我が国の富士山なんかそのあたりを見習うべきなのかもしれない。

国際線の窓の下には牧場の平原が、山々が、その間には巨大なマスを抱く川が見える。その向こうには主峰マウントクックが白く輝やいている。またこの地に戻ってきたい。この光景を見てその思いを確信した。いつになるかわからないがまた来たい。

マウントクック?
いつかまた

(3/20,2003 記)

いつかというのは→ ●2005年10月 NZ旅行記