未明の就寝中、末っ子がいきなり嘔吐。胃腸炎のようだ。
在宅勤務を午前休暇に変更し、面倒を見る。3歳児は在宅勤務しながらの子守は基本的には不可能だが、今日くらい体調が悪ければ寝ているだけなので、働けないことも無かったかも。
午後からは妻が帰ってきて子守当番交代で在宅勤務。リモート出社は子育て世代的には色々便利。
半月くらい前から発生していた自転車の異音。
主にペダルを回すときに2,3種類の音が鳴っているようだ。
最初はボトムブラケット周りかなと思ったが、いろいろやっているうちに空気入れのこすれ、ペダルの軸受け劣化、椅子の固定部まわりが原因だったようだ。やっぱり原因が3つあった。
自転車屋に依頼する必要は無くなり、費用も抑えられた。
今の自転車に乗り換えて1年半。そろそろ1万kmほど漕いだだろうか。交換が必要なパーツも出始める時期だろう。
末っ子の胃腸炎が妻以外の家族全体へ拡大。
姪っ子のとこに泊まりに行った坊やも発症したようだが、その先にはうつしてないだろうか。
僕も朝から体調が悪く、一日寝込んだ。子供たちも一緒に寝込むほどの体調で、面倒を見る手間が発生しないこと、明らかな胃腸炎なのでコロナの疑いは無いこと、症状は比較的辛くないことから、まぁ不幸中の幸いといった感じ。
現時点で最も脂の乗っている冒険家の、一世一代の冒険を記した本。
極夜という言葉は初めて知ったが、そりゃあ白夜があるのだから、その反対に一日中お日様が出ない時期も高緯度帯にはあるわけで、その状況下で冒険を行おう、という趣旨。
この人は文章がうまいので、一気に読んでしまうし、その理屈にも考えさせるものがある。
もはや、南極点だとかエベレストだとか、到達するだけですごいという目標は100年前に達成され、地球上には残っていない。
その中で冒険的なことを行うには、「アルパインスタイルで」だとか、「冬季単独」だとか、「その場でアイロンをかける」「食料をすべてその場で調達」だとか、何かしらの条件を付ける必要と、その行動に何らかの価値をアピールできるような独創性と表現力が必要である。
僕も15年くらい前はそんなことを考えていて、「ハンニバルの越えた山脈を自転車旅行し、リアルタイム旅行記(当時は珍しかった)を書いていこう」なんてことをやっていたが、まぁアマチュアの範囲内ではある。
角幡さんは、冒険とは脱システム化のことだと理論立てをして、それを実践している。
その語り口も軽妙だし、オリジナリティ、そこに向かって積み重ねていく苦労は、嫉妬してしまうくらい面白い。
この本は、そんな人の生涯を賭けた冒険として相応しく、細部も全体構成もすごく面白い。完成された映画のようだ。
あまりに良く出来過ぎているので、どこまでノンフィクションなんだろう、とか思ってしまう。 冒険の本筋、そこで起こったことは断じてリアルだろうが、ここまで話が面白い人だと細部の演出くらいはするんだろうなぁ。 なんか、人柄的に山野井さんは100%素直に正直に描きそうだが、角幡さんとかセクシー登山部の人は10〜20%程度演出を混ぜそう。栗城さんは演出が90%くらいだったけど。
僕も野外活動に限らず、仕事の上でも、なるべく冒険をしたいと思うが、角幡さんは予想可能なシステム(日常)から抜けるのが冒険だと言っている。
まぁ確かに、英雄たんは非日常的世界へ冒険へ行き、そこから帰ってくるのが基本構造だ。
が、管理下に無いものを、がんばって管理できるように変えていく過程も冒険と言えるような気がする。
むしろそっちが冒険の定義として相応しいかもしれない。
指無くなる前の超人状態の山野井さんが、グリーンランドの無名峰登っても、そりゃあできるに決まってるから冒険的行為とは感じられない。
が、指を失い、そもそもクライミングなんてできんのかよ、という状態から、なんとか登れるようになったから、すなわち非コントロール状態をコントロール下に変えていったから、オルカ登山も冒険的行為になった、と言える。
同様に、4歳児がはじめて一人でスーパーでおつかいに行くのも、4歳児にとってはわけのわからない社会を相手にして、自分のコントロールできる作業に変えていく過程は、やっぱり冒険と考えても良いように思う。
冒険とは、やっぱり主観的行為であり、その主語が個人か、所属組織か、人類全体か、の違いがあるだけだ。
角幡さんの冒険だって、結局は40過ぎたおっさんが暗闇で数ヶ月ウロウロしただけだ。人類全体でも珍しい行為だろうが、まぁ個人的行為である。
アポロ計画で月に着陸するのは、人類全体としての冒険だったかもしれないが、アメリカ人全体、あるいはNASA組織としての冒険とも言える。
日産自動車が新製品に○○方式を新たに開発しようとしていれば、そこにもやっぱり非コントロール状態をコントロール下に変えていこうとする過程が必要なわけで、いろんな人がいろんなことに挑戦して実現することだろう。たとえその方式がトヨタではすでに当たり前になっていたとしても、ニッサンにとっては冒険になるはずだ。(ノウハウが完全にブラックボックスになっていれば)
地理的な未踏エリアを目指すのが冒険だとしたら、19世紀の極地探検どころか、先史時代の人類の新大陸拡散や、ポリネシア人たちの謎の太平洋航海には、何やってもかなわない。地球上でやる限り。
が、はじめてのお使いでも、所属組織の因習を改めるでも、極夜をウロウロでも、月面旅行でも、その過程にリスクの高い、予測できない可能性に対して努力と勇気と創意工夫で克服していく作業は必要なわけで、難易度の差はあれど、質としてはどれも冒険だよなぁ、と思う。
試作品の一台目が組立完成。製品作りの過程で、もっともドキドキする瞬間。
さすがにゼロから専用設計したものは格好いいなぁ。試作品のときにあったゴマカシ感がなく、違和感がない。優秀な製品担当者つけてくれたおかげだ。さすがだな。
この時点で、致命的な破綻がないことが確認できれば、あとはここからステップ刻んでいけば、おかしなことにはならないはず。
社内の関係者も楽しみにしてくれてる。メカとして形にするのは、人の心に訴える力があり、皆もさらにやる気を出してくれるだろう。