多摩川で子供と遊ぶ。
2年ほど携わっているテーマは、本格的に製品化に向けてプロジェクト進行中。 組織をあげての一大プロジェクトに育ってきた。
当初、僕と課長だけにあったコンセプトが段々浸透してきたようで、他の人の口から自分の夢として語られるのを聞くことも増えてきた。
ユーザーが今回のコンセプトを受け入れるか。
いつかは必ず受け入れる、好きな人は必ずいると信じているが、最初からすんなりとうまく行くか。マーケット全体に拡大するか。最後のところは、出してみないと分からない。相手あってのことだし、勝負は水物になるだろう。
とりあえずできるのは、自分たちの意識改革、組織力向上だ。これは他者が介在しないので、自助努力だけで達成可能だ。
火がつくのに時間はかかったが、そういう方向には向かっていると思う。
僕が死んだらこのプロジェクトは雲散霧消するんだろうなという時期はそろそろ終わったように感じる。僕が居なくても、効率が悪くなる程度で済み、いずれ製品は世の中に出るだろう。
このところ、割と太平洋戦争関連の本をよく読む。
学生時代の授業ではあまり触れないようにできているし、司馬遼太郎もこの時代は描かなかったので、よく考えれば断片的な知識しかない。
世界中の歴史の中でも、最大規模の大戦争。そこに当事者として参加した国民の子孫にあたるのだから、もっと知っていた方がよいはずだ。
とはいえ、今更「日本が負けた。悔しい。なぜ勝てなかったんだ」というような感じでもない。
僕の曾祖父は福島出身で、西南戦争で薩摩軍に向かって大砲撃ってたらしい。
これは、その前の戊辰戦争で、会津に進軍してきた薩摩藩に一族が殺されたことに対する仇討ち、という背景もあるようで、少なくても僕の血の1/8は幕府側だ。
だからといって、明治維新ものの小説読んでるときに、薩族西郷は親の仇だ、とかは特に思わない。
薩摩も会津も同じ日本人だ、と今なら思う。
が、当時の薩摩と会津は、今で言うアメリカと日本くらいの距離感はあったはずだ。
同じことが太平洋戦争にも言える。
当時は国家が一大重要事項で、国民の生活のほぼすべてを左右していたが、今はグローバル時代になり、そこまで国家間の差は重要ではないように思う。日本政府がアメリカ人やっつけるために死んでこいと命令されても、アメリカ人にも友人いるし、アメリカの会社にもそれなりにお世話になっている。
戦争責任という言葉も、もはや我々が生まれる前に終わっていることなのだから、過去のことには責任は取りようがない。薩摩側、会津側、という境目が曖昧になったように、日本側もアメリカ側もそこまでなく、中立やや日本寄りくらいの態度で接している。
当時を知る人が段々減ってきており、具体的な思い出から歴史に変わりつつあるのだろう。
司馬遼太郎は当時具体的にひどい目にあったので、基本的になんでこんなバカなことになったんだという視点だった。僕もそんなものかと理解していたが、色々細かい話見ていると、当時の軍人たちにも、尊敬すべき人も、英雄的な話もたくさんある。
おかしくなってしまったところもあるが、やっぱり明治維新や日露戦争から連続的に続いている組織に関する歴史だ。
そして、その歴史が現在に続いているところが最も面白い。
僕も日本人型組織である日本の会社に属しているが、やっぱり今の会社組織も大日本帝国と同じ性格を多分に有している。良いところも悪いところも。
太平洋戦争において、その日本人組織は国を滅ぼすという大失敗をやらかしたわけだが、それと同じような判断は、案外身近でも行われている。
せいぜい、同じ過ちを繰り返さないように気をつけようと思う。
娘が誕生日プレゼントでもらった本。石原莞爾のキャラクターだとか、戦争に突っ走るまでの空気感がシンプルに分かりやすく伝わり、これまでの疑問がなんだか腑に落ちた感じがする。
妻が誕生日に買ってくれたモンベルの雨具が素晴らしい。
自転車専用設計と言うことで、特に帽子の形状が感動的。今までは帽子装着時には視界が遮られたり、不快だったり、風で脱げてしまったりしたのがほぼ解消されている。ヘルメットごと被ってしまえば、帽子被ってるのを忘れるくらいだ。
生地も柔らかく、着心地も良い。これまで登山用のものを自転車に転用していたが、その逆のほうが良いかも。
このところ、物欲を感じることは少ないが、新しいモノを得て久しぶりに嬉しいと思った。