子供たちがカレーとカップケーキ作る。
一ヶ月ぶりくらいにボルダリングのジムへ。
だいぶルートが変わっており、これまでつけてきた「初心者サーキット」のチェックリストが意味をなさなくなる。
新しいコースに挑戦してみると、何だか結構調子よくクリアできる。6級の課題は1〜3回程度の挑戦でおおむねクリアできるような感じだ。相性良いところだと、5級もたまにクリアできる。娘も割とそんな感じで、前回できなかったレベルがクリアできるようになっている。
僕が上達したところもあるにはあるだろうが、レベルが見直された要因のほうが大きいだろうな。ルート変更前と現状と、どちらが世間一般のクライミング6級に近いのかは分からないが、確実に今回の方が簡単になっている。
上達していくと、簡単なところのレベルの差が分からなくなると聞いたことがあるが、ルートセッターがレベル見直したのだろう。
一見難しそうなコースをクリアできる今回の方が、登っている分には達成感があって楽しい。
しばらく、月・火を在宅勤務とすることになった。妻は毎日在宅になったので、二人で自宅勤務。
一人で在宅しているときは、昼食は二人とも残り物ごはんを食べることがほとんどだったが、二人でいると、昼食休憩に近所で外食したりして、ちょっと生活が豊かになった気がする。
娘がもらった「日本の歴史」シリーズ全巻セットには、付録として歴史上の重要人物120人カードが着いており、これが子供たちに大うけしている。
こういった、100人選抜的なものを選ぶとなると、その選択基準を推測するのが面白い。
日本百名山でも、サッカー史上の偉大な選手100人でも、選者によって多少の幅ができるだろう。
中国の春秋時代には、有名な王様として「春秋五覇」と呼ばれる君主たちがいる。その5人は選者によって異なり、五覇なのにWikipediaでも12人挙げられ、「四天王なのに五人いる」みたいな状態になっている。複数の選者が人数決めて選抜チーム作るときには、これに似た問題が生じる。
サッカー史に残る名選手100人を例にすれば、ペレ、マラドーナ、クライフ、メッシあたりの誰が選んでも絶対に外せない層が3割程度、ファンバステンとかストイコビッチくらいだと、選ばない人も少しは出てくる層が5割くらい、中田やカズくらいだと、選ぶ人も中に入るが選者の好みの影響が強く出る層が2割くらい、という感じになると思う。
歴史人物データカード120枚も、そんな感じの割合になっているように思う。
野茂や山中教授が歴史人物として挙げられているのには驚いたが、ここで問題になってくるのが、「史実なのか架空なのか見わけがつかない問題」だ。
「司馬遼太郎偉大すぎる問題」と言い換えても良い。
「武田信玄の名宰相、山本勘助が大好きだ」「真田幸村の配下たちは格好いい」とか言っても、彼らは架空の人物である。「シャアアズナブルに憧れている」というのと変わらない。
「織田信長が好き」「坂本龍馬かっこいい」と言うと、こちらは実在の人物である。が、彼らの何が格好良かったかと言うと、本人たちにあったことあるわけでもなく、本人たちの著作を読んだわけでも無いので、小説やマンガで見たことを根拠にして、好きになったり尊敬したりする。
歴史人物データカード120人も、似たような根拠で選んでいるような印象で、歴史上に重要なことをやった人物じゃなくても、史実かフィクションか曖昧なところで有名な人物も、結構選別されている。
維新三傑とか、戦国の三英傑となると、歴史上に確実な業績を残しているだろう。一方、坂本龍馬くらいのビッグネームでも、有名なのは史実というよりも「龍馬がゆく」だ。彼が歴史上本当に何をやったのかは、実は結構よくわからない。
西原理恵子が「偉いのは龍馬でなくて司馬遼太郎」と郷土の英傑をこけ落としたギャグがあるが、小学校のころから司馬遼太郎愛読している身としては、否定できずに笑ってしまった。確かに、特に司馬遼太郎の場合、小説上の描写と史実を区別するのが難しいが、それが曖昧なまま日本全体の一般常識としては史実として判断されている。
西郷隆盛とか勝海舟などの、本当に実績があった人物から高い評価を受けてはいるが、それならば武市半平太だってそんな感じのようだ。坂本龍馬が重要人物だと判断される根拠は、「司馬遼太郎が小説の主人公として選び、それをたくさんの読者が喜んで支持したから」ということになる。
で、同じ根拠が結構何人もの人物にも適用されており、司馬遼太郎の小説の主人公は結構な割合で選出されている。
それなら、シャアアズナブルを好きだという根拠と、差があんまりないように思う。
新選組総長の近藤勇を差し置いて、副長の土方歳三が選出されてるのは、燃えよ剣が偉大過ぎるからだろうな。そもそも、新選組が歴史の大きな流れに影響を与えたかというと、疑問があるし。
「ハコヅメ」という警察マンガで、歴史オタクの婦警が先輩と会話する中で、「誰のダレが好きですか?」と質問して意味が通じなかったというシーンが出てくる。
これは、「どの小説家が描いたどの歴史人物が好きですか」という意図であり、「吉川英治の描く宮本武蔵が好きだ」みたいな回答を期待していたらしい。この意味わかんない質問が、よく考えるとけっこう正しい表現のように思ってしまう。
歴史上の重要人物を覚える意味、目的って何だろう。
社会のテストで良い点数を取るため、ということもあるかもしれないが、では何のために文部省は歴史上の重要人物を子供たち全員に義務として覚えさせるのだろう。
将来、ビジネスマンだとか公務員だとか、社会人になった際の教養として、社会人同士のコミュニケーションに役立たせる、というのは一つ大きな意味だと思う。
ほとんどの子供たちは、歴史学者になるわけではないので、坂本龍馬が本当に薩長同盟に重要な役割を果たしたかどうかは、割とどうでもいい。坂本龍馬を愛する部長が薩長同盟をたとえ話に持ってきたときに、ちゃんとしたコミュニケーションをとるための一般常識はあったほうが良いので、史実じゃなくても司馬遼太郎読んでおくと役立つ。
実際、自分たちの状況を戦国大名だとか三国志に当てはめることで、皆の士気を高め、意思統一を図る、なんてことはビジネスシーンとしてもよくあることだ。
となると、今や司馬遼太郎好きよりもガンダム好きな管理職のほうが増えているだろうから、「尊敬する人はシャアアズナブル」と言うような人が出ても、そんなにおかしいことではないのかもしれない。
それならば、社会の授業でファーストガンダムを扱っても、歴史を学ぶのと同じ効果があるかもしれないし、我々世代が役員になることには、学生たちはスラムダンクの名言集を学ぶことが一般常識になってるかもしれない。関ヶ原を例えに出すよりも安西先生の言葉のほうが士気は上がる気がする。
歴史にあってファーストガンダムやスラムダンクに無いもの。
社会人のコミュニケーションのための一般常識以外にも、歴史には我々のルーツに関する物語を知っておく、という役割がある。
でもこれだって、さかのぼっていけばやがてアマノウズメが天岩戸の前でヌードショーやっただとか、イザナギとイザナミの2神がイチャイチャしてたとか、史実とフィクションの境目がつかない領域(というかほぼフィクション?)に入ってくる。
本当にあった話かどうか、よりも、我々の先祖たちが色んな話の中からそれらを取捨選択し、伝えていったほうに意味はあるように思う。だから、司馬遼太郎の作り話なのか、本当に坂本龍馬がカッコ良かったのはまぁどっちっでも良く、それを皆が歴史だと信じていれば、それを教えていっても良いのだろうし、シャアアズナブルが歴史上の人物ではないことも、一般常識として知っていたほうが良い。
娘からの歴史人物カードに関連するなぞなぞを即答していると、よく覚えてるねと妻に驚かれた。
人間の脳は、ストーリーに基づいて事柄を理解するようにできているらしいが、確かに僕は、各々の歴史人物を小説やら何やらのお話に基づいて覚えている。
情報量に大きな制約のある歴史の教科書で覚えると、どうしても短期記憶の一夜漬け型になるのだろうが、情報量増やして背景ストーリーをつけると、けっこう何年たっても思い出せるものだ。
実は、理系教科でも同じことがいえる。
物理法則や三角関数の公式なんかも、数式をストーリーに解釈できるスキルがあると、いつまでたっても思い出せる、というか導出できるし、グーグル先生で検索するにしてもすぐに見つけられる。
同僚や後輩たちの優秀な部類なの見ていても、数式見せるとどんなストーリーとして解釈すれば良いかを気にしている。
子供たちが「なぜ」を繰り返すのも、答えとして求めているのは「どんなお話として解釈すれば良いのか」ということだし、ストーリーを扱うスキルというのが教育課程全般において重要なんだろう。