久しぶりに宴会開催。
妻も僕も色んな酒を美味しく飲むが、最も美味しいのは日本酒だということで一致している。したがって我が家の宴会は日本酒を主軸とするのが基本なので、梅雨明け前に開催する狙いだった。が、今年の梅雨明けはやたらと早く、目論見を外す。
今年もプールを出す。
元同居人母子を呼び寄せ、子供3人見てもらう間に支度進めるつもりが、
先方は人見知りちゃんだったので親1:子3構想の目論見を外す。
我が家の子たちは誰にでも人懐っこいが、彼ほどの集中力は無さそうだ。
僕の小さい頃は彼のような感じだったような気がする。
割と集まりがよく、大人7人と幼児1来訪。我が家と合わせ12人。
常連も、久しぶりに会いたかった人も来てくれた。多少の目論見外は帳消しとする。
これまでほど料理に手間がかけられないが、開催することに意義がある、ということにする。
二日酔いというほどではないにしろ、酒はだいぶ残っている。
昨夜はつぶれるほどは飲まなかったが、それでもどうやら一部記憶が飛んでいたりしているようだ。やはり10年前より弱くなっているのだろう。酒との距離感がまだ未熟。
特に予定のない日曜日、体調が良くない割にはそれなりに動いた。畑行ったり、子供と水遊びや公園に行ったり。
早朝のベルギー戦にそなえて早く眠る。夜、娘が何だかうなされていた。
勝負というものはやってみないと分からない。
強国相手に、試合終了を意識する時間帯まで2点リードを奪えるなんて誰も予想できなかっただろうし、それが15分でひっくり返されるとは。
今回の代表は良いチームになっていて、よく戦ったよな。 ベルギーのほうが強かったのは確かだが、日本にも勝利を手にする資格は確かにあったと思う。あとちょっとのところで届かなかったが。
勝敗はそれ自体が神様とか大自然のようなもので、崇高で人知の及ばないものだ。
だがその結果で、天国と地獄が二つに分かれる。
大変なことだ。
だが結果がどうあれ、挑戦する権利をもっているというのは素晴らしいことだ。 あそこにいた11人は、幼少の頃から選抜に選抜を重ねられてきた才能が、毎日毎日あらゆる時間を積み重ねて、あの場に立ったのだから非常に羨ましいし、誇りに思えるプレーを見せてくれた。ブラジル戦も見たかったけど。
エンジニアの人生は、一瞬で天国と地獄が入れ替わるほどのはっきりとした勝負はあまりないが、長い目で見ればやっぱり何かしらの勝負にはなってるだろう。 自分の持てる力を積み重ねて、挑戦する権利は確保しておきたいよな。
経験不足ってなんだろうね。
今回の日本代表が負けた一因に経験不足っていうのもあげられている様だが、今回の我々の代表は平均年齢の高さでは「おじさんジャパン」と言われるくらい高い。
今や、どの国だってワールドカップの出場選手ともなれば、基本的に物心がついたころからサッカーを始め、ワールドカップの存在を知ればそれに憧れ、同様の若者たち何万人の中から選抜に選抜を重ねてきた選手たちである。
人生のほとんどすべてをサッカーに捧げ、努力と才能に加え判断力とか運とかのすべてを備えた人たちしか、その場には立っていられない。
僕は18のころまで、彼らと同様に憧れて彼らと同様に努力をしてみたものの、能力がまったくもって圧倒的に足りずに試合に出るのが精いっぱいだったが、一国の代表に選ばれるほどの選手たちが、人生のどの程度を一つのことに捧げているかは、想像はできる。
基本的に、たぶんこの上ない密度でサッカーやってきてるはずだし、幼いころから注目を集めてやってきていると思う。
だから、基本的に経験は年齢に比例するはずで、彼らが経験不足といのであれば、これ以上経験を積むにはどうするんだ、という印象がある。
一方、確かに経験というのは、単にそこに費やした時間というだけでなく、密度が重要というのもうなづける。
僕がサッカーに費やした十年分合計と同じくらいの注目度、集中力を、きっと彼らは幼少時の1ゲームで経験してしまっているだろう。
。
今の日本代表選手たちだって、サッカー一流国のリーグでそれなりのキャリアを積んできているが、そのレベルの試合を10試合するのと、チャンピョンズカップの決勝戦を1試合戦うのと、経験が高いのはどっちかというと確かに簡単には答えられない気もする。
まぁ確かに男子たるもの、なるべくレベルの高い場で勝負できるようにするべきだよな。
時間は誰にでも平等なはずだが、そのチャンスを有効活用できるかは雲泥の差がうまれる。
CADPCをメンテナンスするというので、2時間くらい時間が空いた。 せっかく若手も配属されたし、先延ばしにしていた半日作業を覚えさせて今後楽しよう。
と思ったが、結局最初は手取り足取り教える必要があるから、やっぱり半日以上かかってしまった。今後楽ができる可能性はあるが、わざわざ出図前に教える仕事じゃなかったな。
昔から教えるのは好きだから、緊急性はあまり高くない原理原則まで一生懸命しゃべってしまう。