娘の保育園の卒園式は、残る側として娘と妻が参加。 小さい保育園なので行事はきめ細かく、親子間で手紙を読み合ったりして感動的だったそうだ。
卒園時たちは、僕にとっても4年間の付き合い。名前が分からない子はいないし、時間帯が合う子は、毎朝ニコニコと挨拶したり、ちょっとおしゃべりしたりしている。
娘の入園時には2才だった彼らも、立派なお兄さんお姉さんに成長していく姿を日々見せられ、他人ごととは思えない。
保育園児にとって、自分の記憶にあるすべての期間を保育園で過ごしてきたわけだから、今後の人生で経験するあらゆる卒業の中でも、最も大きな卒業なんじゃないかと思う。 彼らの未来に幸あれ。
そういうことで、娘の同級生たちが集まったので皆でランチ。
近隣の保育園も割と卒園式やっていたようなので、近所の子連れご用達のピザ屋は混雑しているかと思ったが、そこまででも無かった。
起床後、祖母のところへ。またしばらく来れなくなりそうだから、行けて良かった。
また耳が遠くなってきたようだ。
そんなことなどまったく意に介さずに愛嬌をふるう二歳児の存在に、これまで結構助けられてきた。
が、彼も少しずつ、そんな状態にテレを感じるようになってきたようだ。成長っちゃあ成長だが。
昼頃に帰宅し、そのまま成田へ。 香港経由のシンセン出張。なんと仕事での初海外。
僕は理系の中ならば英語への苦手意識が少ないほうだったと思うが、これまでの15年間、仕事で英語に触れることはほとんどなかった。 いかに日本のエンジニアが海外と交流しないかがうかがえる。
朝焼け、夕焼けをなぜ美しいと思うかはわからない。
僕が山に登っていた理由の何割かはそれを見るためだったと思う。
空が焼けるのは、標高が高いほど鮮やかになる。飛行機から見るとより鮮やかで、やはり美しく、旅情を味わうための一つのスパイスになり得る。
どちらが美しいかというと山に登った時の方をより美しく感じるような気がする。
美しさにおいて、彩度は重要な要素だが、自分で汗かいて登ったという自己満足感以外も、窓を通してみるか、体全体で味わうか、風や冷たい空気を感じながら見るか、といった要素もあるはずで、ネットやテレビでは一部の美しさしか再現できないのと同様、飛行機の窓からだと美しいと思う要素もフィルタリングされるのでは。 風防の無い飛行機で、自分で運転して見れば、山登った時と同様かそれ以上に美しく感じるのではないかと思う
若いころ、その美しさを当時仲の良かった女の子にも味わってもらいたいと思っていた時期があったが、結局それは叶わなかった。 そのうち娘を燕岳にでも連れて行って、見せてやりたいと思う。
指折り数えてみると、僕にとって17回目の海外旅行。1回で複数国に行くこともあれば、一国に複数回行ったこともあり、数え方にもよるが19か国目。そういえば共産圏に行くのは初めてだ。
一人旅で行ったのは結局4回で、思ったより小さな割合。だが、どれも1週間以上の大計画であり、思い出深いのは一人旅だ。
今回行くシンセンも、いますごく興味を持っている。 楽しみだ。
深センに興味をもつきっかけになった雑誌記事若者のまっとうな意見だと思う
香港市内到着がだいぶ遅れた。こちらの手順としては概ねスムーズだったので、飛行機のダイヤが発表以上に遅れてたっぽい。
世界中の美食が集まるような香港最初の食事は、最悪コンビニ惣菜かとも覚悟したが、商社の人が広東料理屋で酔っ払いながら待っててくれた。
事前知識皆無の状態で、香港の商社がセッティングしてくれた産業用ドローンメーカーを3日で4社巡回。
本業のほうの記述は手短に。
●ネット上の日本語検索で得られる情報なんて大したことがなく、日本国内の産業用ドローンはずいぶん遅れた状況にあることが分かった。2,3年は遅れている感じだが、その差は決して縮まらず、日本国内だけ見ていると必敗するな。
●我々の行こうとしているのはやはりニッチな感じで、今後確実にニーズがあり、現在我々はトップランナーである。目の前にまだ誰のものでもない金脈があるが、今後は確実にライバルがでるはず。で、きっと彼らのほうが足が速い。
ドローンメーカーもさることながら、深センの街自体も衝撃だった。
地球上に突如現れたサイバー都市。
シェアカーサービスやシェア自転車が目新しいものではなく既に基本的なインフラとして組み込まれ、スマホによる電子決済サービスも、現金よりも信用され、普及している。 なんだか街中がテーマパークのようだが、その規模が大きい。シェアカーの運転手によると、既に二千万人いるらしい。そんな規模の都市圏は世界にいくつもない。
都市圏の規模としては、確か東京が世界一だったと思う。神奈川埼玉千葉あわせれば三千万だったか。その都市から海外へ行くと、だいたいは東京ほど進んでいるところはなく、世界中のほとんどの都市がのどかに見える。
これまで僕が行ったことのある20か国前後の中では、返還後に訪れた香港が唯一の例外。中華文明と貿易による繁栄が掛け算されて、狭い港湾都市がやたらときらびやかで、帰国後の新宿や銀座がアジアの一地方都市に見えた。
香港からシンセンに移動した今回の訪問では、その香港ですら田舎に見える。
街中が新品であるシンセンの幹線道路は、5車線ある新しい道路を日米欧各国の一流自動車メーカーの新車のみが走る。大レンタカーの駐車場にでもいるかのようで、5年以上走ってそうな車が視界に見えない。
車線の両脇には、どこまで走ってもタワーマンションが続く。どこも結構新しい建物だが、外観からは安普請でもなく、ハリボテ感は無い。
この新築マンション群の密度で二千万。東京の街の規模と比較して、納得感のある数字だ。そうなると香港や周辺の都市群と合わせて、とんでもない規模の都市圏ということになる。
しかもその内容。
滞在中、売り込み訪問以外に街を歩く時間が少しだけあったが、なんだかこの街はやたらと平均年齢が若い。
途上国にありがちな子供ばかりいる、というのと違い、どちらかというと老人子供は目立たない。印象として、20代30代しか住んでいない感じで、訪問先の企業でも町なかでも、なんだか大学に紛れ込んでしまった、というような錯覚に陥る。
後背地となる地方から、我こそはと思わん若者たちが一旗揚げようとこの街に乗り込み、機会を得た者は富と共に、敗者は逃げるように田舎に帰るのだろう。(家賃も相当高いらしい)
飛行機で読んできた本の趣旨は、「日本の問題点は政治や経済の不振ではなく高齢化。生産人口が少なくなれば、どんなに日本企業が利益を出しても社会に還元されない」というようなものだったが、シンセンではしばらくその心配がなさそうだ。
サラリーマンになって十余年、東京が欧米諸国と比べると並外れた街だということが分かってきたが、それよりもさらに並外れた街が生まれつつある。生産人口で言えば、既に何倍かの差がついていそうだし、今後その差は拡大するだろう。中国全土としては割と急激に高齢化は進むらしいが、この街の勢いがすぐに衰えるようにも思えない。
彼らは若い平均年齢を生かし、新しいテクノロジーをすぐに取り入れる。これまでの事情とか、弱者への心配とか、そういうものを気にする必要もなく、ただ純粋に現時点での判断のみで行動できる。
そういうテーマパーク的都市が、歴史も無視してほぼ世界一の規模の都市圏になっちゃってるのだからなぁ。
早朝帰宅。帰国日は出社扱いになるみたいだが、実質休日。出国日は休日出勤にならないという謎のルールもあるので、プラスマイナスゼロと考える。
子供たちをこっそり保育園に預け、妻と近所のフレンチへ。お気に入りのシェフが少し前に新しいお店を始めていて、そちらに移っていたようだ。新しいほうの店に初めて行った。
前の店より高級路線。やっぱり美味しいレストランってシェフのセンス次第のようで、大満足。