昔、手乗り文鳥を飼っていた。家の中で放し飼い状態になっており、一緒にご飯を食べたり、手の上で眠ったりして、大変に可愛かったが、鳥を飼い始めて以降はそこらへんのスズメも随分可愛く感じるようになった。
それと同じなのかどうか、子育てを始めるとうちの子だけでなく、その辺の子も可愛く思えるようになってきた。電車で子供が泣き叫んでいても、公共の場でガキが騒ぐなよと思っていたのが、ママに甘えて可愛いなぁに変わってきた。
娘の保育園に通う幼児たちの姿となると、そこそこ面識がある子もいるし、なおさら可愛い。
ということで娘の保育園の発表会。
この手のイベントでは、子供たちの成長ぶりに驚くのが常だが、やっぱり毎回毎回驚いてしまう。特に1歳、2歳、3歳はそれぞれ別の生き物というくらい違う。
運動会では緊張したのか、終始かなり硬い表情だったうちの娘も、今回は一生懸命歌ったり劇やったりして偉かったが、他の子たちも皆一生懸命やっていた。
もちろん子供たちの発表は、一流の表現者たちに比べると圧倒的に拙いのだが、感動の量としてはそう劣るものではない。
何でだろうな、と考えたが、彼らが自分たちの能力を精一杯引き出しているのが良く伝わっていること、成長している姿をまざまざと見せてくれているからだろうな、と思う。
可愛いおチビさんたちが、明るい未来の歌を精いっぱい歌う。
確かに世界は君たちのものだ。
金曜日の北海道出張土産のイクラと、市場で買った冷凍の鮭。
うちの娘はリリーフランキーの絵本「おでん君」に思想教育されているので、普通の鍋にもおでんだねを入れろという要求が出る。
今年唯一の忘年会に参加。 ほとんどの人と同様、僕も別に対して面識の無い人との飲み会なんて乗り気ではないものの、まあ何かの布石にはなるかもという期待。
国土交通省の人たちと同席したが、酒飲んでいるうちに段々愉快になってくる。国の意思決定機関にもいろんな組織があるものだなあ。
自己紹介するときに、聞かれてもないのに「ちょっと前までカメラ会社で似たような仕事してまして・・・」なんて言うことがあるが、そういう紹介をちょっと情けないことなのではと感じる。
その背景には、時価総額とか経済界での評価が、今まで勤めていたカメラ会社の方が現在勤めている釣具会社よりもはるかに高い、というのがある。(そしてそれは、残念ながら実際に勤めた経験からも、組織の実力として正当評価だとも思う。)
なぜ情けなく感じるか。
自分の価値を高めたい、そのための手段として、自分の所属団体の権威を利用したいという気配があるからだ。
自分自身に対して、夜郎自大であるべきである。
思い出してみよう。
自分自身への自己評価>>そこらへんの会社の企業価値
となるはず。右辺に何入れたってこの不等式は成り立つと、疑いもなく信じられるのが快男子の必須条件。
転職した経歴は隠す必要も無ければ宣伝する必要もない。その会話の流れで持ち出す内容か否かのみを判断するのが正しい。
やっぱり子供ができると季節のイベントに敏感になる。
クリスマスパーティをやることにした。
ゲストは直前で案外増えて、大人5人に3歳児1、赤ちゃん1。
宗教上の対立を避けるため、最近ではクリスマスの挨拶はメリークリスマスの代わりに「Happy Holiday」と言うらしいが、日本では別に祝日ではなく、普通に会社へ行く。(戦前は天皇の命日だかで祝日だったとか聞くが)
別にキリスト教信じて無くても、メリークリスマスって言っても良いんじゃないか?というのが日本的考え。八百万の神々的思想でも、勤務形態でも。宗教的なお祝いと言うより、冬至のお祭りな気がするし。
今日の晩餐は引き続きクリスマスメニュー。昨日の残りのローストチキンをパイで包んだ、妻の会心の残り物利用メニュー。→レシピ公開。
丸鶏買ってきてオーブンに突っこむのは、我が家的には冬の定番パーティメニューだが、世の中でどのくらい一般的なのかは分からないが、骨付きのモモ肉でも美味しいと思う。
3晩連続クリスマスメニュー。ローストビーフはスーパーで調達した並の肉だったからか、ちょっと火を入れすぎたのか、並の出来栄え。
ニョッキの残りは大変美味しい。ニョッキとラザニアに関しては、どのレストランで食べたものよりも、自製のものの方が美味しい。
ワインはいただき物の良いカリフォルニアワイン。確かに素晴らしかった。
今回の子育てでは哺乳瓶の感触を忘れないよう、2〜3日に一度はミルクをあげているので、妻も多少酒を飲むことが出来る。