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2015/12/12(土)

娘の保育園の同級生のお宅へ遊びに行った。 やはり近所に家族ぐるみで付き合える存在は大変に重要だよな。娘は泣き叫んで帰りたがらなくなるほど楽しかったようだし、妻も色々情報交換できるし。何しろ親たちは「毒を以って毒を制す」の理屈で、楽が出来る。

僕は小さい頃、マンション中が共同体になっているような環境で育ったが、今後そういう方向で人間関係を増やせると良いんじゃないかと思う。

牡蠣は刺身や鍋などの和風テイストよりも、焼いたり揚げたり炒めたりする方が好きだ。生食って量食べられないし、茹でるのは加減が難しく味が抜けていく気がする。脂と相性良いのでは。

今日の献立は中華テイスト。旅行土産の調味料を活用。炒め物は我ながら良い感じの火加減で、好評だった。
久しぶりに料理した気がするが、やはり家事の中でも創造性が強く、面白い作業だよな。

2015/12/13(日)

Android開発環境を整えてみたが、やはりプログラムってスタート地点に立つまでが大変。先日研修を受けて、そのハードルが下がったような気がしていたのに、「Hello,World!」(一番最初にこれを作るのがプログラムの伝統)を起動するまでにだいぶ苦労をした。

これ以降の苦労は、単に試行錯誤をしていくだけだし、慣れない言語とはいえ、プログラミングって言ってみれば繰り返しと条件分岐、変数用意して四則計算していく、という作業を積み重ねていくだけの作業だから、あとは文法の問題。ネットで文法表現調べて切り貼りしていけば、多分何とかなる。

一方、HelloWorld動かすまでの苦労は、どこが原因なのか把握しにくい。OSのバージョンの問題なのか、ソフトの問題なのか、アンドロイドの問題なのか。いろいろと再起動させているうちに何だか解決することもあるが、時間がかかる。

今回引っかかったのは、自動生成されるプログラムが、うちにあるタブレットの古いバージョン向けのものだと、何だか元々バグを含んでいたことが原因だったようだ。 最初のフォーマットが悪いとなると入門者は困ってしまうが、ネット検索すると便利なもので、誰かしら先人が同じ鉄を踏んだ情報が公開されている。

2015/12/14(月)

第二子は生後50日くらい。たいへん順調にすくすくと育っている感じだ。
ありがたいことに落ち着いた赤ちゃんのようで、そんなにたくさん泣かないし、泣いてもちょっとあやすだけで静かになる。起きている時はふんばっていることが多いが、やや便秘気味。
一番活動的になるのが夜10時から深夜1時くらいの眠い時間というくらいがちょと困るが、まぁそれくらい。

今日あたりから、何だか泣き声が大きくなった。

2015/12/15(火)

晩ごはんの献立は、その家で一番ワガママな人(権力者とも言う?)に合わせて作られている、という説を唱えよう。
最近、我が家でアサリ、高野豆腐の煮物、鶏の照り焼きが頻発するのは、娘が権力握っていることの裏づけだろう。

2015/12/16(水)

最近はレゴを作る。作らされるというのもあるが、作っていて楽しい。
僕が三歳のときは、レゴと虫取りばかりしていたが、三つ子の魂百までの格言どおり、ここ十年来の生活ってその延長上にある感じだ。
会社でやっている開発だの設計だのといった作業は、レゴ組み立てているのと大して変わらないし、山登って写真撮ったり、海でお魚釣っているのも、虫取りと同じような要素があると言うか。


偶蹄目


サギの一種

2015/12/17(木)

自ビールの瓶詰め作業。
何かしら手作業をやっていると幼児の気を引くようで、ずいぶん楽しそうに手伝ってくれた。 パソコン上の作業だと完全に邪魔されることがほとんどだが、こういうアナログ的作業は刺激になるのだろうな。最近は手が荒れるようなので控えているが、皿洗いの手伝いも好きなようだし。

2015/12/18(金)

北海道へ日帰り出張。
取引先への工場見学、それも特にトラブルがあったわけでもなく、新製品立ち上げに伴う打ち合わせ、確認程度だから割と気軽な出張だ。一日のほとんどが移動に費やされるので、旅行半分以上。

さすがに札幌は雪景色。
今年は例年よりかなり暖かいらしく、積雪が少ないとのこと。

里海資本論

移動時間長いので空港で書籍補給。
NHK取材班による前著の書評をどこかで目にして読みたいと思っていたが、期待以上に面白かった。

かねてから何となく思っている考えに似ている。それが実例を以て具体的に説かれ、新書一冊にまとめられている。我が意を得たり、という気分。
一言で言えば、解説で纏められているように「人間が、自然環境に対して簒奪者ではなく管理者として振る舞うことで、生物多様性を持続させ、人間社会も利益を得続けられるような社会を目指そう」という趣旨。

僕の日記中で言えば、震災直後に考えたこととか、結婚に関する誓約および結婚式写真展の展示テーマ(我が家に写真集化)、転職した理由に関する雑感なんかに通じるものがある。

著者によれば、このような方向性は世の中で既に明らかに始まっているのに、多くの人の賛同を得られていない理由は、東京のような大都会のみが最先端を担う時代は終わったことに気づいていないことが原因なのでは、と述べている。

そう言われると、実感として頷けることはある。
この十年くらい、旅先で知り合った人たちは多いが、彼らは割と気軽に地方に移住するし、割と気軽にこの手の活動に携わる。
三陸でボランティアしながら都会と地方のギャップを双方向的に埋めようとしてみたり、廃校をアトリエにして地域社会に溶け込んでみたり。 そういう身近に結構ある実例が、僕自身にもこの本の趣旨と同じような考えを持たせたのだろうなと、納得する。

資本主義の効率性は強力だ。
21世紀に生きる我々一般庶民は、百年前の王侯貴族よりも豊かな生活をしているが、それを可能にしたのも資本主義のお陰だと思っている。

一方でいろんなところに限界があり、色んなところでひずみが溜まってるが、資本主義、拝金主義に対して、単に欠点を指摘するだけに留まる、お題目的な環境保護活動、人間否定的な思想ではたぶん抑えることができない。 資本主義を否定するには、資本主義を内包、利用、補完するような考え方が必要だ。

僕の思考のベースにあるのは、自然崇拝と人間肯定なんだろうな。その二つを突き詰めていくとこの「里海資本論」の主張と同じようなとことにたどり着く。それって確かに、八百万の神々的な文化が育んでいる。

日本のそういう考え方って、別に奇異でも何でもなくどこにでもある宗教で、むしろ一神教の方が後代になっての発明だが、原始的な宗教のまま一大文化圏を形成しているところって、確かに日本くらいなのかもしれず、そういう視点では、2011年の震災を日本が経験したことに意味が見出せるかもしれない。

震災は明らかにこの著書の思想をはぐくむ土壌となっていると思うが、こういう考えが今後の世界を良い方向に変えていけたら愉快だと思う。


「人間が自然からの剥奪者ではなく、管理者となる」という考えは、このマンガでよく表現されていると思う

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