明けましておめでとうございます。
日本人一般の習慣に従い、正月は親戚回り。
我が家のみならず、妻の姉にも、僕の姉にも子供ができて、親戚の集まりも一気に賑やかになった。
社会人になって数年も経つと、一年の体感的な長さはどんどん短くなって、昨年と同じような一年が今後も続いていくような印象を受ける。家族内で最年少だった僕がそんな状態だったから、親戚で集まったところで昨年と同じような一年が続くように思える。
が、変わるときは案外一気に変わるものだ。
今ごろ結婚して子供育て、転職までしているなんて全然予想していなかったが、今ではそんな生活が当たり前になって、この生活がずっと続くような気になっている。
しかしまた4,5年も経てば、今とはまただいぶ違う生活が当たり前になって、そんな一年がずっと続くような気になっているのだろう。
ちょっとずつ継続的に意識を積み重ねていけば、数年後の当たり前が自分にとって望ましい当たり前になってくれるんじゃないかと思っている。
来週の連休でから行く予定の香港旅行のパッキングを行う。主に妻が。
自転車旅行するわけでも写真撮影に精を出すわけでもなく、普通に家族旅行をするだけなので、僕自身が必要なものなんてほとんど無い。
子守り用の準備を夫が行うと、必要不可欠なものをボロボロ忘れるに決まっているので、妻の仕事となる。この場合は過剰な準備になるのが世の中のお約束だが、運搬の負担がちょっと増えるくらいの懸念しかないので、夫はその準備が妨げられないように子供と遊ぶのが役割だろうか。
連日、お年賀を軸とした献立。
状況によっては緊急にとったほうが良いかもしれない実験の測定装置を破損してしまった。
仕事始めの二週間は、外出や有給取得であまり実務時間がとれず、どう優先順位をつけるか迷っていたところだったが、自動的に迷う必要がなくなった。
今年は何だか年賀状がポツポツ届く。これに対して、いくつかの要因を推測している。
1:僕が年賀状を書くのが遅い
2:郵便局が人を減らした
3:自分からは書かないが、貰った人には返す人が増えている
年賀状に対する人々の考え方は、A絶対に書く人 B貰った人には返す人 C書かない人 の3つに大別できるだろう。僕は今のところAに分類され、時期に関しては、元旦に届くことに拘っていない。郵政の力を信用しているので、冬休みに入ってから書くことが多く、まぁ数日遅れても届けば良いと思っている。
一方、僕に年賀状をくれている人は、Bに分類される人が多いのではないかと思う。 その人にとって年賀状自体がBのような考え方なのか、AとBを混在している中で僕がBに当てはまるか、まぁ両方あるだろう。
メールやSNSが広まり、年賀状の数は減ってきているのだと思うが、それでも貰っておいて返信しないと割り切れる人は少ないのだろう。世の中全体として、Bの層は増えている気がする。
これに、2の配達員の人件費カットが絡まれば、一週間くらい経って年賀状が届くメカニズムが説明できそうだ。
ハガキというメディアは一方的に送るものなので、僕自身は返信もらえなくても当然だと思っている。年賀状一枚もらって大きな迷惑だと思う人も少ないだろうし、たまにしか連絡取らない相手に毎年一回、短い定例報告をするのは意味があることだと思う。
僕が送った年賀状に対して、定例報告の返答でもあれば、多少の双方向性も生まれるしやっぱり嬉しい。特に元旦にこだわらなくても。