先週の宴会で出さなかった豚肩ロースは、味噌漬にしてあるので日持ちする。 さすがに1kg超を二人で食べるのは大変なので、半分に切って170℃1時間。カタマリ肉の幸せ。 市場の肉屋さんで買った肉は、特にブランド肉ではないと思うが、大変よい。
娘の断乳は、危惧に比べて著しく順調。眠るときに泣くことは泣くが、まぁ30分程度。普段と大して変わらない。
一度眠ると、これまでよりも長い時間眠ってくれているようだ。
妻の酒もすすむ。
久しぶりに週末二日とも夕食当番を担当。
駅ビルにある、そこそこ気に入っている魚屋さんで食材を調達。生のタラコってあまり売っているのを見たことがなかったが、グーグル先生に作り方を習い、とりあえず煮物にしてみた。
ようやく娘の溺愛写真集脱稿。
味噌を自分で作ってみたら、次に行なうのは当然各パラメータをいじってみることである。
とりあえず今年は、豆の種類を変え、ひよこ豆で味噌を作ってみた。作り方は大豆と基本的に同じ。
うまくいったら、世界のどこかへ移住しても、その土地の豆で手前味噌が作れるようになるんじゃないかと思う。
せっかく招聘した助っ人外国人に球拾いをさせる。
そういう感じの馬鹿げた状態に近いことになっている。
これが陰湿ないじめならまだ良いが、チームの中心選手たるべきベテランたちも一緒に球拾いをしている。
そういう社風なんだとしたら、これは改めた方が良いと思う。ちょっとした緊急事態であることは分かるにしても、皆で仲良くいつまでも球拾いし続けるというのも、やり方として馬鹿げている。球拾いをするために転職したわけではないので、僕が牛耳るべきなんだろうか。緊急事態的な状況というのもわからないでもないが、いつまでもみんなで仲良く球拾いというのも、利益を追求しなければいけない企業体としてはちょっとどうかと思う。
転職した狙いが当たったのは、組織が小さく、構成人数も少ないこと。
社風って変え難いものだと聞いたことはあるが、構成人員のすべての意識が変われば、原理的に社風も変わるだろう。
実際には、全員の意識を変えなくてもすむはずだ。
中心人物となる2割程度の意識が変われば、残り5割もついてくるだろうし、そうなってしまえばあとの3割も、大きな邪魔はしないだろう。
最初に変えるべき2割の人数と、自分が影響を与えられそうな人数を比較すると、そうそう難しくないハードルのような気がする。
球拾いは球拾いでチャッチャと終わらせて、そういうことやった方が良いのかな。
好き勝手に新しい何かを生み出すことを期待しているようだし、自分でもそうするつもりではあったのだが。
ビッグサイトで開催している技術展見てきた。慣れない分野だったからか、一日歩いて大変疲れた。
前職において、手振れ補正技術のメカ設計を担当していた。
割とカメラ業界を代表する会社の代表的最新技術であるが、歴史としては20年以上前から始まっている。
設計技術の常として、細かいノウハウはどうしてもやっぱり細かい属人的ノウハウが残ってしまい、結果として「××技術は〇〇さん」といった、一子相伝的状況が産まれるが、僕も多分手ぶれ補正技術の正統継承者に居たと思う。
僕自身は製品化まで結びつける前に転職してしまったが、僕の先代継承者に当たる方の出した製品は、手振れ補正技術20年の歴史の中でもエポックメイキングになるような、技術的にも商売的にも一つの完成形と言えるような作品だった。
当時、彼は転職した直後で、前職ではCDのメカトロ設計をしていたと伺っているが、その手振れ補正メカを見たときの僕の印象は、「あ、これはCDピックアップの設計思想だ」というのものだった。
一方、僕が転職してそろそろ三カ月。球拾いのような作業が頻発しているが、片手間で新規試作品の開発もやっている。
とりあえずの第一弾試作の組立が、とりあえずは順調に形になった。
試作品にして形になるというのは、自分の考えが頭や言葉だけでなく、手や直観として他人に伝えられること。実際に形にすると、そのコンセプトが周囲の人にも伝わって、わりかし好評だった。まだ評価を下す段階でもないが、この文章の趣旨としては、成功だったということにしておく。
その成功だった試作を見返すと、これはもうカメラの一部品だなぁという印象。カメラ関係の設計をしたことがある人なら基本として行なうような形で、リールを作ったというよりレンズ駆動装置を作ったと言ってしまっても良いくらいだ。
機能を構成する形状を考えるような仕事に従事してはや十年。その仕事の理想的なスタイルは、目的を達成するためにいかにシンプルな形状を実現するか、ということだと思う。
ここで言いたいことは2つ。
一つ目は、「機能を実現するための最適な形状」というのは、なぜか、個性に依存しがちだということ。
機能を実現するための最適な形状というのは、唯一絶対一つの形に決まる気はする。実際、AからBまでの距離は4.3mmでは駄目で、4.4mmでないといけない、というような事態はたまに発生する。主観的意見にとらわれない、最適な形状というのはあるはずだ。
ところが現実として、その目的を実現するための、最適かどうかは分からないにしても少なくても極大解は、個人の考えとか好みとかにものすごく依存している。良い設計、良い製品には、その設計者の性格や意図、経歴まで反映されるが、駄目な設計は作った人の迷いや不理解くらいしか反映されない。
どんな人も同意するたった一つの純粋最適形状なら、個性の入る余地のないような味気ないようなものになりそうだが、そういうものではないのかもしれない。満たしたい要件が少数であれば最適値が一つに決まるのだろうが、細かく分解すれば10や20の要件を満たす必要があるから、そのバランスどりをするところに個性や思想の入る余地があるのかな。
モノを分解するときは、そういうこと感じながらやっているので、結構楽しめる。
もう一つ思うのが、他業種に転職するのも悪く無さそうだな、ということ。
新しい職場で褒められた設計は、僕の能力が凄かったから作れたというより、カメラ業界の常識を転用しただけに過ぎない。
ある業界では誰でも知っている常識を他の業界に転用できれば、革新的なことを生み出せるというのは、確かにそうなのかもしれない。
音楽ディスク再生装置みたいな手振れ補正カメラは大成功を収めた。レンズ駆動装置みたいな魚釣り用リールも、案外行けるかもしれない。魚釣りリールみたいな原子力発電装置とか、釣り竿みたいなハイブリッド自動車とかにも、もしかしたら可能性があるかもしれない。
「この道30年」で極められる領域も確かにあるだろうが、自分の得た経験をいろんな分野に転用し、やりたいことを広げていくというのも悪くない。とりあえず、そういうことができそうな感覚も少しは感じている。