天候は悪い。今日も明日もその後もあまりよくない予報。
まぁこの辺りは、Rain Forestと言われるくらいだからきっとそれが普通だ。
ということで今日はミルフォードサウンドのクルーズ。
南島旅行者の皆が行くアクティビティだが、10年前と同様オーバーナイトクルーズにする。
前回、割と楽しかったし、周辺のハイキングコースを楽しむには、ミルフォードサウンドで1泊してしまうのが一番自由度が高い。
テアナウを過ぎると町は無く、その他に1,2軒あるロッジも、季節営業だったり、タイミング悪く暖房の修理で一時休業だったりするので、船で泊まるのが唯一に近い選択肢だったりする。
ミルフォードロード近辺には、10分程度から10日程度まで、大小さまざまなハイキングコースがある。 有名なミルフォードトラックには行けなかったが、それに匹敵する森林歩きができそうなショートコースとして、Gunn湖のネイチャーウォークに目をつける。
ミルフォードロード脇の観光バスも立ち寄る散歩道、Casm。
小石と莫大な水量が、岩に彫刻を作る。こういう加工法あったよな。
キーアが闊歩していた。まったく人間を恐れない。
晩ごはんはビュッフェスタイル。前菜とスープは運んでくれて、それ以外は好きなのをもらいに行く。ワインは別料金。
我々以外に、日本人の夫婦がもう1グループ居たので、同じ席に設定されていた。旦那さんが昔ワーキングホリデーで来ていて、十数年ぶりに奥さん連れて再訪中の旅行とのこと。
日本人旅行者が激減したなぁという感想を共有した。10年前に来たときは、東洋人と言えば日本人だったし、こういう機会では結構な割合で日本人が居たのだが、日本人が居なくなったかわりに中国人らしき人たちがたくさん居る。彼らのほうがおおむね英語は話せるようだ。
パンフレットによると、水中観察所のあるハリソン入江というのが「フィヨルドランド内で最も風雨から保護された停泊地」とのことで、小型ボートの遊覧はここで行われた。
10年前に参加したときは、ここでカヤックやった覚えがあるし、そのままそこに停泊して夜を過ごした。
が、今日は風雨が強いためだろうが、桟橋まで戻って夜を過ごす。
夕食後のスライド上映会では、さらに強い時はこんなものでは無いらしいが、まぁ今日もずいぶんと強いほうだろう。
夜が明けてさらに風雨は強く、結局朝のクルーズは出ないままにツアー終了。
何しろこのこの海域は、「吠える南緯40度」とか呼ばれる嵐の名所らしい。(狂う50度、叫ぶ60度とさらに続く)
その中で、絶壁に囲まれた天然の入り江であるミルフォードサウンドは、船乗りにとって砂漠のオアシスのような場所なんだろうが、今日はこの完璧な入り江の中でもそれなりに波が出ている。
日々天気図を見ていると、タスマン海沖にいつも低気圧がいる気がする。冬のオホーツク海のように、定常的に台風のようにすごいのが居る海域なのかもしれない。そのパワーが時折入り江にも入ってきて、このU字渓谷を形成しているのだろう。
まぁ、クルーズ楽しめないのは残念ではあるが、この景観が作られる理由がだいぶ実感できた。
これまでの旅行の疲れとかもあるし、ゆっくりするのもちょうどいい
一路クイーンズタウンへ。この旅行最後のロングドライブだ。
宿泊はユースホステル。
これまでの3回のニュージーランド旅行を合計すると、だいたい60日くらいの滞在日になると思うが、初めて生きたキウイを見た。
野鳥の保護を目的とする小さな動物園があり、夜行性のために暗室状態で飼われているキウイを見ることができる。
剥製なんかだとつぶらな瞳が可愛らしいが、暗いところだとニワトリのような妙なトリ、という印象。
この動物園は入場料の割にこじんまりとしているが展示の仕方がずいぶんと好印象。詳しい音声ガイドを聞きながら、生態について実物を見ることができる。
しかしキウイっていうのも変な生き物だ。
飛べないどころか翼をもっていないらしいし、寿命が随分長く、30年くらい生きるらしい。身体の1/5くらいの巨大な卵を産み、それをオスが守るという。
自分たちの呼称として、ニュージーランド人たちは何故この妙な鳥を選んだのだろうな。もっと勇ましい鳥とか、可愛らしい鳥もいるだろうに。
天候もよろしくなく、主にお土産の購入。
我々は夫婦ともにお買いものは苦手分野である上、なんだかニュージーランドってお土産にしやすいものが少ない。
こちらに来て買うのが一番楽しいのはスーパーでの食材であり、最も持って帰りたいものはグリーンマッセル(ムール貝)だが、さすがに生もの持って帰れないよなぁ。次点も乳製品とか、肉とか、そういうのばかりだ。
クイーンズタウンに居並ぶお土産屋さんよりも、スーパーのほうがテンションは上がり、チーズやチョコなんかを買いだめする。
南島最後の夕食。
名残惜しいのはムール貝と、肉厚の健康的サッパリステーキ。
日本のスーパーだってラム肉売っているけど、こんなに種類豊富で美味しいのが安く売っているわけではないからなぁ。
食材を片づけられるだけ片づけて、余った調味料などは台所のシェアフードコーナーへ。
さすが、人気の町の大型ユースホステルだけあって、あっという間に誰かが持って行ったようだ。
僕のイメージする国際的な場というのは、ニュージーランドのシェアキッチンだ。
特に地元の人が居るわけでもなく、世界各地の人たちがリラックスしながら、旅人同士で挨拶したり、1人でスマホいじったりしている。
今回の旅行でも10泊くらいそういうところに泊まったが、全然日本人いなかったなぁ。(おかげで持参した写真集も売れず)
中国からのグループがインド人の女の子と旅の話で盛り上がっていて、ずいぶんしっかりとした人たちのように感じたが、日本の若者はどこ行っているのだろ。
ついに帰路が始まり、南島を離れる。
明日の早い出発に備え、滞在はオークランド空港近くのホテル。
午後は市内へ出かけた。
初日のオークランドのホテルで忘れた、お気に入りのスノーピークのナイフは回収できず。
大して用事もないので、なんとなく海辺を散歩。
フェリーターミナルで時刻表見ていると、対岸のデボンポート行きの船がもうすぐ出港するので、勢いで乗船。
市内中心部の桟橋から15分程度の乗船、鹿児島から桜島に行くような感覚の位置づけかな。 陸路でも遠回りすれば行けるが、船だとすぐ着くようなところ。
なんだか随分と気持ちのいいところだ。高々標高100m、15分も散歩すれば登れてしまう丘の上がこんなに景色良いとは。
子連れとか、犬の散歩とか、学生のデートコースとして使われているが、まぁ近所に住んでいても旅行者でも、こういうところには来てしまうよな。
いよいよ我々の一か月旅行も終わろうとしている。最後にこういう素敵なピクニックコースに来れたのは、良い巡り合わせだと思う。
スカイタワーの麓にあるオイスターバーに行った。
値段もそれほど高くもないし、活気のある店内だが、ちょっと赤子連れだと長居できない感じだったので、軽く一皿、一杯だけつまんだ。良い感じの店なのでもうちょっと料理も食べたくもあったが、まぁ仕方がないだろう。
牡蠣もニュージーランドの名物だが、時期はずれなためなのか、グリーンマッセル(ムール貝)ほどの衝撃は無かったな。
異国の宿のベッドの柔らかさは、これも文化の違いなんだろうか。
美味しいワインに酔っ払ったあとの、慣れない寝床の柔らかさは毎夜の浅い眠りをもたらし、去っていく職場の仲間たちの夢を導くことになる。それが30泊も続き、職場の仲間なのか中学校時代の友人なのか、夢の世界ではどんどん曖昧になっていく。
目を覚ませば、今日の赤子の機嫌や天候の状況や寝床の確保や何やら、休暇には休暇なりの現実があって、だんだんそちらに慣れる。旅は旅で、遊びではあるが単なる余暇ではない。人生の大事な一部でもあり、もう一つの日常だ。
これまでだって何度か、そういうことを経験してきた。今回はその後に戻る日常が、これまでの日常とちょっと違うだけだ。
世の中的には、35歳の勤続10年のサラリーマンが転職することなど、日常茶飯的な珍しくもないことだとは思うが、少なくても僕自身と多分その周囲には、それなりに大きな出来事だ。それに対しては、論理的に気持ちを整理するよりも、強制的に別の日常の中に身を投じるのは良い機会になったと思う。
いや、それは単なる一側面だ。旅は旅で、やっぱり重要な人生の一場面だ。単なる余暇でもなければ、単なる気分転換でもない。
今回の旅はどういう旅だったかというと、一か月の家族旅行だ。
父は、なんだか文句ばかり言っているようで、当初は楽しんでいるのか疑問だったが、10日も付き合って久しぶりに思い出した。そういえば父の普段の態度はこんな感じだったよな。別に不満があって文句を言っているのではなく、これが父の普通だ。本人的には楽しんでいたのだと思う。
娘に対しては、出発前は一番心配していたが、1か月終わってみれば一番元気でタフだった。
既に庇護するだけ存在ではない。妻と二人で披露のピークに沈んでいるとき、隣でキャッキャと跳ねられると、もうひと頑張りしなきゃなと励ましてくる存在にはなっている。実務的な役割としては、洗濯物を荒らす以外のことも期待したいところだが、まぁきっとそんなのあっという間だ。
きっと娘の思い出には何も残らないだろう。が、我々夫婦には、君の笑顔との楽しい思い出がたくさん刻まれている。
ドライブ中にさんざん泣いたことも、人種も国籍も関係なく皆に可愛がってもらったことも、ブロンドの男の子にビビッて負け犬のように逃げ出したことも、君がカモメを凝視する姿も、君が大きくなったらぜひとも聞かせたい。
そんな話の一つ一つが、これから家族の宝物になれば良いと思っている。
娘が周囲の力を最も必要とするこの時期に、1か月間べったりと一緒に居られた。ただもうそれだけで幸せなことだ。
3度目のニュージーランド。
何回も訪れるのは、日本に似た地勢でありながら、未開拓地が多く、きれいな景色が多いところに魅かれたのだと思う。
開拓者精神にあふれ、他人に対してもフレンドリーで優しい国民性にも魅かれたのかもしれない。
美しい景色、美しい町、というのがあると思う。
これは、どう定義すれば良いのか、どういう要素があれば美しいのか、まだよく分からないが、そういう基準は確実に存在する。
ニュージーランドは、美しい町が多い。今回訪れたところだと、テカポ湖、ワナカ、クイーンズタウン、カイコウラ、オークランド、グレノーキー、コロマンデルタウンなんかはそういうところだろうか。
ずいぶんと旅行のしやすい国で、乳幼児連れでの縦断旅行でも、案外困ったことは少なかった。モーテルでも、YHA、バックパッカーズでも、宿はけっこう何とかなるし、離乳食もスーパーでそれなりに売っている。おむつは日本製に対し品質・値段共に劣るが、こっちで売っているのだって使えないわけでもない。
困ったことと言えば、チャイルドシートが気に食わなかったのか、ドライブ中よく泣いたことと、赤子を洗いにくいシャワーが多かったことくらいだろうか。
家族旅行だからか、これまでの旅行で最も英語を使う機会が少なかった。「赤ちゃん可愛いね」程度のあいさつは凄く多かったが、旅人同士で話し込んだり、ツアーの手配を辛抱強く会話するようなことが少なかった。
食べ物は、スーパーで売っている食材は大変美味しいが、外食しても後悔することが多い、というこれまでの印象は、食いしん坊の妻を連れての今回の旅行でも覆らず、その思いを新たにした。
特に畜産品は安くて美味しい。物価はそれほど安いわけではないけど、同等の肉やチーズ、牛乳を日本で買おうとすると、ブランド食材になるんじゃないかと思う。それを考えれば安いと言えるかもしれない。
あとはシーフード。質の良いものも流通しているが、たぶんもっといろんな可能性があると思う。
ワインはリーズナブルで素晴らしく美味しかった。
将来的に住んでみたいという構想。
いざ住むとなると悪いところも色々あるだろうなと思う反面、日本に住み続けてはできないことも簡単に挑戦できてしまうような余地もたくさんあり、これまでと印象は特に変わらず。
まぁ、特に今すぐ決める気もない。
飛行機は予定より30分程度早く着き、19時ごろ帰宅。
我が家の台所は、なんと使いやすいのだろう。
頭では、どんな皿があったっけなぁとか考えている間に、手は既に的確な皿をつかみにいく動作に入っている。包丁は野菜たちをイメージ通りの形にスライスし、まな板はすいつく様にキャッチする。
日本の食卓の豪華さ。豊かな魚介類を薬味で彩る。 豆腐なんて芸術品だよな。彼の国のチーズもすごいけど、遜色はない。
スーパーも安いなぁ。30NZ$では、こんなにいろいろ買えないよな。
午前中は、荷ほどきしたりマンガ読んだり。
案外時差ボケも旅の疲れも少ないし、かつての同僚たちに連絡をつけ、転職のあいさつに行く。
同じチームの一員として、苦楽を共にした貴重な仲間だ。部活のチームメイトというのとほぼ同じ感じで、やっぱり自分の財産だ。
今後、彼らと再び同じチームになる可能性がなくなるのは残念ではあるが、同じ会社にいたところで必ず再び一緒に仕事ができるって訳でもないから、実質はそれほど変わらない気もする。
こういう人間関係は、会社組織に依存しているのではなく、個人同士に依存しているはずだと信じているのも転職を決めた理由の一つ。最初のきっかけはもちろん会社の仕事だが、貴重な人間関係として生かし続けていくのはお互いの努力と嗜好に依存するはずだ。
このかつての仲間たちは、僕が去っていく会社の現在の利益や成果の中核を担っていると思う。ここ数年は違う部署から見てそう感じるのだから、多分それなりに正しい。
一緒に作った製品では、ずいぶんと僕の我が儘や好みを反映させてもらい、当時はそれが迷惑に思われたこともあるようだが、今となってはその我が儘とそれを貫く姿勢は、ずいぶんと好意的に受け止められている。
僕自身は、技術者には自分の我が儘を貫き通す役割というか責任というか心意気が必要だと思っているし、これまで基本的にそう行動し続けてきたつもりだが、その姿勢が一緒に働いた仲間に伝わったならば、それがこの10年間の最大の成果なのかもしれないなぁと思う。
彼らが今後世の中に出していく製品の何万分の一かに僕の影響もあるかもしれないし、もちろん逆もまた然りだな。
最終出社日。
あれまだ居たの?と不審な顔をされながら、各所にお土産配ってきた。
転職の間際になっても、この選択が正しいのかどうかは分からない。
転職を決意したときに思ったのは、自分で思っていた以上にカメラを作る仕事と一緒に働いていた仲間たちが好きだったのだなぁということを思い知ったし、他の会社と比較してみると、客観的にいってうちの会社は良い会社だった。
転職を公表したときも、自分が考えていた以上に仲間たちは僕のことを認めてくれていたみたいだ。
そうは言っても、転職の決意をしたことに後悔は特にない。
やっぱり今までの会社にも、僕が辞めるだけの理由もあるとは思うし、新しい会社にも当然魅力は感じている。自分のタイミング的にも、人生の中でやりたいことにも、矛盾はない。
パラレルワールド的なものがあるとして、今の会社を選んだあと自分の中では、この機会に転職する割合はそれほど高確率ではなく、まぁ半々くらいなのではないかと思う。
が、重要なのはその決断に後悔があるか無いかで、転職してもしなくても、後悔が無ければそれで良い。
どちらの選択をとるにせよ、自分が納得してやりたいことができれば、良い人生だ。
最終出社日の次は新しい会社の最初の出勤日。
早速通勤バスを間違え、土地勘のないエリアで方位磁石見ながらダッシュでギリギリ始業に間に合わせるのは、まぁそういう星の下に生まれているのだから仕方がない。いつものことだ。
初日は予想通り、とりあえず丸一日あいさつ回りする程度。有給休暇の少なさを見て、やっぱり前の会社は大企業で恵まれていたんだなぁと今更ながら実感する。
なんだか随分と期待されているのかも知れない。
こんなことがやりたいな、できると良いなと漠然と思っていたような役割を期待されているようなので、まぁ良かったのかも知れない。
しかし、先方の期待も随分と漠然としているようなのが、不安と言えば不安。