娘の人見知りはまだ始まっていない。
人見知りは人見知りで,成長を示す喜ばしい反応かもしれないが、知人に娘を見せるなら、どうせなら今のうちに見せておきたい。
先週まとめ買いした干物も美味いし、久しぶりに宴会やるか。
多すぎず、少なすぎない程度に人が集まるかは、まぁまったくの巡り合わせ。
本日の参加者はそれぞれ我が家の宴会の割と常連ながら、お互いに面識のない3人。女子会となった。
であれば、おおむね話題は単純。どこに出会いがあるかと興じる彼女たちの会話に対して、適当に頷いたり、ときおり無責任な提案をしてみればよい。
娘が産まれてから、自宅で夜の宴会をやるのは初めてだったが、まぁ何とかならないこともない。宴会後に生田緑地にホタルを見に行く計画は、諸事情により中止。まぁまたの機会で。
今回も川崎の北部市場で仕入れてきたものを中心に。和牛が安かったのでステーキにした。
お酒も毎度の青木万吉酒店から。後半でピッチが上がり、やや飲みすぎた感あり。
ふらっと祖母の家に遊びに行こうとするも、観劇だかなんだかで先約あり。 変わりに、ふらっと下北くんだりまで、妻のお買い物につきあった。
彼女の好みは、年齢相応の大人らしさ皆無の、「安くてカワイイ」ものだ。
行く店行く店で、それなりにハイテンションになっていたが、周囲の客層はけっこう明らかに若者。背は伸びきったが、まだ幼い顔をしたティーンエイジャーたちが、一生懸命お気に入りの服探している。
彼らとしては、行きつけのお店に子連れの汚いおっさんがウロウロしているのは迷惑なのではないだろうか。単純一途な妻の好みがティーンエイジャーと同じであるのは納得感があるにしても、僕にとってはやはりアウェイだな。
妻は数点お気に入りの服を安価で買えたらしく、喜んでいたので良しとしよう。
それにしても、おしゃれに気を使う若者男子って実在するんだな。僕の周りでは居なかった気がするが、まぁ居たとしても僕にそういう話題ふってこないだろうしな。
市場で買ってきた骨付き鶏のもも肉。安くてうまい。
どうしても、宴会後の食事は豪華になる。出そうと思って忘れるものが出てくる。
登戸商店街にある、肉の伊勢屋の肉団子。高級路線の品が多い店だが、これはスーパーで売ってる加工肉と同程度の価格らしい。が、安くても伊勢屋の肉は美味いと思う。
この人の肩書はなんといえばいいのか、まぁ検索すればいくらでも出てくるだろうが、巫女さんみたいな人だ。
業の深い変態さんにして、自分の生命削ってる表現者。
重度の精神病者なのにその症状に陥る自分を客観視しているし、あまりにも露悪的な彼女のこれまでの経歴に反し、彼女の語る感情はものすごくピュアで、感情のエネルギーにあふれる表現で、一度目にしたら忘れられない。
西原理恵子の雑誌や、確かアエラのインタビューで写真を見たことがあるが、ハッとするような清楚な美人なんだけど。
生きていくのが大変そうな人だがどうしているだろう。そう思っていたが、最近本屋に新刊が並んでいる。その名も「人間仮免中」。あまりにも彼女らしいタイトル。
凄まじい人生送っているんだろうな、と思ったら、想像通りというか想像以上というか。なんかもう「壮絶だ」という意外に表現は難しい。
それにしても、「表現をする」という欲望は、これはもしかしたら性欲や食欲なんかよりもはるかに強い感情なのかもしれない。彼女に「マンガ」という表現手段がなかったら、こんなにいろいろともがく以前に、もっとあっさりと生きていけなくなっていたのではないかと思う。
死に瀕するような場面でも、その場面をどう表現として残すか。
心のどこかで「美味しいネタだラッキー」「何としても、この場面を表現として残したい」と受け取り、それが生きる力となっているのでは。
「風雪のビバーク」なんかでもそう感じたが、卯月妙子の場合は毎回こちら側に帰ってきている。なんというか、人生の大変さ、生きていくことの大変さを、自分の人生削りながら、数年に一度ほど表現してくれている。
最近、娘も粉ミルクを飲めるようになってきた。が、どういうわけか飲む量が決まっている。
50〜70ml程度は飲むのだが、それ以降は母乳を要求してくる。
いったいどういうわけなんだろう。粉ミルク用の胃袋と母乳用の胃袋が別々にあって、粉ミルク用のほうは容量がだいぶ小さい感じだ。
今週もあっという間に週末だ。そして今年も半分終わっているんだな。早い。
最近、なんだか時間がない。忙しいわけではないと思うのだが、いつの間にか時間が無くなっている。
原因は多分、娘なんだろうな。
寂しがり屋さんなのかなんなのか、見ていないと怒る。