下山後、車を置かせてもらったレストランでカレーを食う。 行楽客の中、やたらと汚い恰好で入ってしまってスイマセン。
甲斐大泉の駅前にあった、パノラマの湯というのに入浴。露天風呂の湯船から富士山が見える。 身を乗り出せば、金峰山や鳳凰山が見えるような見えないような。
清里のちょっと先、飯盛山の登山口になっている平沢峠というところへ。
晩飯をどこで食べるか。腹を決めていなかったので、保険として買っておいた間食で済ませる。 風の中では中々お湯が沸かなかった。
夕日を見たら仮眠とって、22時ごろから写真撮影。前日はレリーズがなく、長時間露光できなかったので、新規導入のポータブル赤道儀の使い勝手を確認した。けっこう便利。買ってよかった。
車に置いておいたでかいほうの赤道儀は、モータードライブが故障。電池の液漏れによる接点不良っぽい。
久しぶりに出したので、動作確認が必要だったな。帰ったら修理だ。
目の前の八ヶ岳の、山麓にあるスキー場のナイター。いつか消えるかと思ったらほぼ一晩中ついている。スキーがオフシーズンになればいい撮影地なのだが。
なんだか睡眠不足の夜が続いたので、それほどやる気が出ない。 2時を回ると八ヶ岳を越えてこちらにも雪雲が来たので、退散する。連休中日未明の中央道は車が皆無で、家の近所まで信号にも止まらず、2時間で着いた。
3連休の最後の一日を休養とか片づけに使うのは、だいぶおっさんになった証拠だろうか。
とはいえ、今週末は二晩丸々有効活用した感じだ。最終日は使った道具を選択したり、久しぶりに使ったら壊れていた望遠鏡の部品をはんだ付けしたり。結構ちゃんと働いた感じだな。
近所のスーパーで、タラの白子が売っていた。昆布と一緒に蒸して、一人暮らしなので独り占め。花泉の一升瓶をちびちびのんでいるので、ちょっと良いつまみがあればだいぶ幸せだ。
我が社は特許に力を入れているので有名な会社だ。その研究部門に属している僕にも、とりあえずたくさん特許を書くことが奨励される。
でも、特許をとることのメリットって、未来永劫続くのかな、という疑問はつねにある。
特許は登録されれば、排他権が生じるのは20年。でも、一度公開されれば、公開件としては永遠に残る。
新しく登録されるためには、これまでのすべての公開件と違わなければならないし、これまでの複数の公開件の単純な組み合わせであってもならない。
毎年、出願される特許の数は、とりあえずここ10年くらいはほぼ一定。その前は、高度成長期にでも増えたのだろう。
となると、過去文献の数は、時代の経過に対して一乗とか二乗で増加する。
そして、たとえば二つの過去文献で作れる組み合わせは、二乗から四乗くらいの関数で増える。時代が進めば進むほど、過去文献の数は相当な数で増加する。
したがって、新しいアイデアを発明しても、何らかの形で過去文献、またはその組み合わせを見つけることができるようになっていく。
それでも頑張れば特許登録することはできるが、かなり限定の多い登録になる。
その登録された狭い特許を使うことで、使わない場合に比べてどの程度の効果があるのか。差はあるにしても、ちょっとだけ有利な新技術を使った2万円のカメラよりも、これまでの技術で作った1万円のカメラのほうが、人々は喜ぶのではないか。
一つの特許が登録されるまでの時間はどんどん増えていくだろうし、一つの特許で獲得できる権利はどんどん狭くなっている。
これはすでに起こっている。10〜20年前の、上司たちが書いていた特許よりも、我々世代が書いている特許のほうが、内容も具体的で請求項も細かい。
出されている提案も、文献調査するとノルマ稼ぎだけとしか思えないようなどうでもいい内容のものがほとんどだったりする。(これはもしかしたら昔からなのかもしれないが)
特許制度が始まって100年くらいだろうか。そして多分、今みたいに各企業がバンバン特許を出し始めたのは、たぶん戦後の高度成長期からだろう。ここ50年くらいは、制度を維持できている。けど、制度を維持できる寿命みたいなものの、半分より過ぎているのではなかろうか。
すぐに崩壊することはないかもしれないが、特許制度がもともと目指していた思想からどんどん離れ、あとはヤクザの恫喝みたいな、言いがかりの道具に過ぎなくなるのでは。
あまりこういうような意見を聞いたことがないので、もしかしたらそうはならないのかもしれないけど、現場の実務者としてはそう予想している。
帰宅して、ビール仕込みながら豚の角煮を作り、妻の愚痴を聞いているうちに眠くなる。
豚の角煮は圧力鍋で。焦げ付かせる一歩手前で救出成功。やっぱりちょっと焦げ気味で、濃い味付けになっちゃったけど。