久しぶりに会った妻は、相変わらずだ。
買い物に行けば思ったことをすべてそのまま口に出すサトラレ状態だし、散歩に行けば、先の道をまったく理解せず、生まれ育った場所なのにおしゃべりに夢中になったまま道を失うし、とても30を過ぎた良い大人には見えない。小学生くらいでも、しっかりした子はもうちょっとしっかりしている気がする。
出産の日はだいぶ近づいているはずだが、大きくなるのはお腹ばかりで、僕に父親の自覚が生まれないのと同様、母親になる実感を感じているようでも無さそうだ。
けど、いざ生まれれば、きっといい母親になるのではないだろうか。
実家に戻ってからも、けっこう一生懸命お裁縫に打ち込み、かわいらしい服をこさえて楽しみに待っている。
一足先に母になった義理の姉は、既に母親のオーラをまとい始めている。数週間前は、僕の妻と大して変わらずに、赤ちゃんってどんな生き物?という感じだったと思うのだが。
たぶんそんなものなんだろう。時が来るまではどう頑張っても母親になる実感は出ないが、時が来たら否応なくそうなる。人間のそのほかの種類の成長と違って、母親になるというのは劇的に変化するものなのかもしれない。
ということで、義理の姪っ子とも初対面。
まぁなんと小さく弱々しい生き物だ。とりあえず、その小ささにびっくりする。
まだ生まれて日も浅く、小動物の持つような愛らしさは、僕には感じられない。少なくても、妻が可愛いかわいいと連呼するほどには。嬰児に感じる可愛らしさを感じるかどうかって、男女差あるんだろうか。
赤ん坊の扱いにはあまり慣れていないが、抱かせてもらった。 まだ人間の赤ちゃんとかいうよりも、生命体そのもの、という印象。
天使、妖怪、人外の存在、そんなような言葉と、人間界の境界に位置する小さな生命。一生懸命成長しようとしている。
とりあえず、寝る機能と乳をのむ機能と、排泄する機能と、泣き叫ぶ機能のみをそなえ、一日の大半を寝て過ごすんだろうけど目に見えないところでは着実に成長していくんだろうな。
実際に手に重量感として伝わってくると、健気にも思えてくるし、赤ちゃんの存在感も実感として湧いてくる。 日に日にこの重量感が増してくるのならば、確かに情がわいてくるような気がする。
子供が生まれたらゆっくり外食もできないだろうということで、妻とすっぽんを食べに行く。
ひそかに浜松名物らしい。駅前にある、商談に使われたり会合に使われたりするような、それなりの高級店のようだ。
前半のお通しやお造りは高級店らしい想像通りの美味しさで、妊婦とドライバーでは酒が飲めないのが残念。
中盤以降がすっぽん尽くし。から揚げに血のワイン割り、茶わん蒸し、鍋、雑炊。
想像よりもクセがなく、普通にけっこう美味しい。肉は鶏肉と白身魚の間くらい、コラーゲン質の内臓?は、ブリのアラなんかにある、目の裏のトロトロの部分に似ている。確かに栄養はありそうだ。
沼の住人なのにクセがあまりないのは、たぶん結構いろいろな下処理をしているからなんじゃないかと想像しているが、誰が食べてもそれほど好き嫌いなく食べられるんじゃないかと思う。
といっても、大感激するほど美味しいかというと、そこまでは思わなかった。今日食べてみて、美味しかったし好奇心は満たされたが、何度でも食べたいという感じでもなかった。
一足先に、明日から休暇に入る。 今年やろうと思っていた仕事もおおむね終わったし、今日は早めに仕事を切り上げて買い物にでも行こうと思っていたが、最終日の常としてそううまくは行かない。案外こまごまとやることは残っていて、結局21時ごろまで残業。まぁそんなもんだ。
連休の初日は雨。明日以降の登山計画とその準備を考えることに費やした。
天候があまり良くないようなので、前夜発して勝沼あたりまで行く計画は中止。