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2012/8/14(火)

妻の自己申告では、安定期だしどこかへ行きたい、とのこと。裏磐梯でのたらたらキャンプを計画するも、天気予報がよくない。
帰省ラッシュの中高速運転した挙句、天候に恵まれませんでしたでは詰まらない。残念ながら、キャンプ中止の判断を下す。


上野の科学博物館へ見学しに行くことにした。
ほぼ丸一日、理学の各分野に関する最新の展示を見た中で、面白かったのは地球上の生命と人類の、何億年にもわたる歴史に関するものだ。
我々現代人がそういう天文学的数字を理解するには、手段はたった一つ。お金に換算するしかない。 千年前も一億年前も、大昔、というくらいにしか認識できないが、千円と一億円なら、その違いが如実に実感できるだろう。

地球の年齢は46億年。1年=1円で、46億円に換算する。46億円ともなると、金額換算しても実感しにくい数値となってしまうが、大型の風力発電やジェットコースターの建設費がそれくらいのようだ。10階建ての新築マンションを全室買い占めても、それくらいの金額になるかと思う。

地球上に生命が生まれたのは40億年前。46億円のうち6億円が他の惑星と同じような、無機的な物質の世界。多いとみるか少ないと見るか。

生命の生きる40億円のうち、30億円くらいは、微生物のみの時代。酸素型の生物が生まれたり、植物や多細胞生物が生まれたり、革命的な変化はあったとしても、ビジュアル的に生き物っぽい複雑な生命はまだいない。地球の歴史の2/3ほどがそんな時代だったようだ。


カンブリア期の生物

5億年ほど前に、カンブリア大爆発という、複雑な生命体の急激な進化が始まる。大爆発というくらい、多種多様な生物が現われ、一部は絶滅し、一部は生き残った。魚も虫もこの頃誕生。

その後も多種多様な生き物が現われてきたが、その中で何度か大絶滅が起こった。 一番近い絶滅は、6500万年前。天体の衝突による気候変動が原因と特定されている。

地球の年齢46億円に対して、そういう環境の大変化を招くような事件が6500万円で起こっている。 高級住宅くらい。 僕はけっこう頻繁に起こっているように思ったが、どうだろう。 恐竜が絶滅したのはこの天体衝突が原因らしいが、恐竜の繁栄期約2億年ほど。カンブリア紀以降の10億円分の2億円。けっこう長期政権だ。

その後、恐竜が居なくなったところに、我々哺乳類が大発展を遂げた。
サル属の中から類人猿とかチンパンジーとか、そういうのが分かれたのが2500万年前。中古マンションくらい。 さらに、類人猿の中に我々の種、ホモサピエンスが誕生したのは、だいたい15万年前のことらしい。生物の歴史40億円、カンブリア爆発以降10億円、恐竜の繁栄期2億円に対して、高めのノートパソコン、一眼レフカメラ程度の金額まで下がった。ホモサピエンスはずいぶと新顔だ。

しばらくはヒトとチンパンジーの中間みたいな別種の類人猿も居たが、それらは絶滅してしまったらしい。 そのあたりには興味がわくが、原因はまだ謎のようだ。

その後の大変化は凄まじい。
アフリカあたりの、ちょっと複雑なことをやるサルの群れだったのが、1万年前くらいに農業を始める。さらに、5000年くらいから、最初の文字が現われたり、古代文明を築いたりし始める。産業革命で化石燃料を動力に使い始めたのは200年ちょっと前で、そこから人口は爆破的に増えている。
恐竜の繁栄期2億円に対して、これらの変化は1万円、5000円、200円。なんとまぁ短い期間だ。 その短い間に、有史以前にもマンモスなどの巨大哺乳類を絶滅させたり、近年は地球上の大型生物と言えば人間ばかりというような、急激に繁栄期を築いている。

我々人類は、周囲の生物からシェアを奪い、資源を独占し、その結果(?)科学や芸術などの文化を発達させている。生存のことだけでなく、宇宙の端っこがどうなっているか何かを一生懸命しらべたりする、何とも奇妙な生き物だ。

そんなことを思っているうちに、確か10年くらい前に思いついた、「地球界全体を一つの生命体と見なすと、我々人類は生殖器に当たるんじゃないか」という仮説を思い出した。けっこう色んなイメージを組み合わせたもので、詳細を伝えるには長くなりそうだが、挑戦してみよう。


生命の本質は何か。
いろんな生き物たちの生き様、能力を見ていくと、「自分のコピーを残していく」というのがそれのようだ。「個々の生物は遺伝子の乗り物だ」という言葉で、生き物の行動はほぼ説明できる。我々生命は、自分たちの子孫を残すことを目標にして生きている。

そして我々は、自分たちの子孫をより遠くへ、より広い範囲へ拡散させる。未開拓地を目指し、新天地を願い、自分たちの世界を広げようとする。
タンポポは綿毛を飛ばす。レタスの葉もニョキニョキと塔立ちさせ、やっぱり遠くまで綿毛を飛ばす。珊瑚ならば、大潮の夜に産卵する。チンギスハーンの騎馬軍団はユーラシア大陸を駆け巡り、征服した部族の男は皆殺しにし、女には自分たちの子を産ませる。
昆虫が空を飛ぶのは生殖能力を身につけた成虫になってからだ。自分の嫁を探す目的もあるとしても、新たな土地で自分の子供たちに生活させるためだろう。

ところで、人間と他の生き物の違いって何だろう。
なぜ人間ばかり、こんなに繁栄しているんだろう。

脳の大きさ?手先の器用さ?道具の使用?火の使用?文化を持つこと?

どれも人間の大きな特徴ではあるものの、僕にはそれぞれ人間のみがもつ特徴ではないように思える。 人間よりクジラの方が脳は大きいだろう。 脳の活用度だってあやしいものだ。ゴミ捨て場なんかで、人間よりもはるかに脳の小さいカラスと知恵比べをしたって、おおむねカラスの賢さが立証されるだろう。 手先が器用なサル、道具を使うチンパンジーなんかも珍しくないだろうし、火を使う猿人もかつては居たらしい。文化を持つことだって、人間のみの専売特許ではない。芋を洗う文化を持つサルは有名だし、鳥のさえずりに、後天的に獲得する方言みたいなものがあるんじゃないかと思う。

人間が特別な生き物だとはまったく思わない。
頭脳に依存している生活形態だって、道具の活用度だって、他の生き物と同列に比べられる程度で、それぞれちょっと高度に発達しているくらいだ。人間は、ハードとしては、他の生き物と大差ないんじゃないかと思ってる。


サルは本能ではなく、知識としてイモを海水で洗う。

しかし、その文化の発達具合はやっぱり異様だ。
人間界には、文化を発展させるために、自分の命も自分が子孫を残すことも犠牲にするような人物は大小たくさん現れている。そういう行動原理を持つ生き物は、あまりいないように思う。トカゲやキリンが、今日の生存よりも自分の芸術や表現を優先させる行動をとるようには思えない。

そしてそんな先人たちの努力によって文化を発達させた結果、高度な科学を持つに至った。
自分自身に羽を持たせなくても、遠くまで行くことができ、今や大気圏外に飛び出ることすらできる。 生殖に頼らなくても、自分たちの遺伝子情報を調べ、複製することができる。

次はガイア理論というお話。
生き物中にはひとつの細胞からなる単細胞生物というのと、複数の細胞からなる多細胞生物がいるが、どこからどこまでが一個の生物だかわからない、複数の個体が集まった群体というのもいる。サンゴとか、アメーバとか、キノコもそうだったかもしれない。一つ一つの細胞が独立した個体とも言えるし、全体でまとめて一匹の生き物ともいえる。どこからどこまでをひとつの生命体だと判断するのは、けっこう難しい。 我々人間は多細胞生物で、独立した生命体だと大きな顔をしているが、実際には腸の中やら皮膚の中やら、寄生虫だの表皮菌だの腸内菌だの、きわめて多数の遺伝情報をもった、多数の生物の集合体である。遺伝情報が同じなら自分自身の細胞だと判断できそうだが、細胞内のミトコンドリアには独自の遺伝情報があるという。自分自身の細胞からして怪しい。
どこからどこまでが一個の生物か、というのもいろんな見方ができるようで、地球全体の生物全部まとめて一個の生命体だ、というように解釈しても、「生物」という定義はけっこう成り立つみたいだ。全体としても、成長したり進化したり、生命活動はいろいろ行っている。 そのようにとらえた地球全体いっぴきの生き物を、以後では「生き物ガイア」と呼ぼう。

生き物ガイアにとって見れば、人間はその他の正常な生き物たちを全滅させるガン細胞のような存在だ。
そういうように捉えてしまう人は多いようだが、違う見方もできるのではないか?というのが本編の趣旨。

手塚マンガなどでお馴染み、太陽系外への宇宙旅行。
乗組員たちをコールドスリープさせ、何百年もかけて地球に似た惑星を目指す。既に地球の人類は絶滅している、という設定も多い。乗組員たちは、運が良ければ新天地たる惑星の大気圏に突入し、その星で新たな子孫を残していくだろう。


藤子不二夫のSF短編集は秀逸。

これは何だ?
生き物ガイアにとっては、新しい星とそこに適合して進化していく新生命たちは、ガイアの子供、ということになる。すると、コールドスリープ中の宇宙飛行士はまさしく精子そのもの、新天地たる惑星は卵子、大気圏突入の瞬間は、生き物ガイアにとっての受精ということになる。

生命宇宙起源説。
我々の地球も、もしかしたらそういう始まりの仕方をしているのかもしれない。何も、コールドスリープさせる精子は、生き物ガイアにとっては人間である必要はない。もっと単純で耐久力のある単細胞生物なんかをコールドスリープさせ、新天地を目指して宇宙旅行させた方が成功率高そうだ。 カンブリア大爆発だって、地球上に第二の精子がやってきたことで引き起こされたと考えれば、爆発的進化も納得がいく。


生物由来でしか合成法のなさそうな物質が、飛来した直後の隕石から発見されたらしい

となると、異なる惑星に対して精子を飛ばすことのできる我々は、ガン細胞というより生殖細胞、ということになる。
我々は、地球上の生物が一生懸命試行錯誤して得てきた遺伝情報を、新天地たる太陽系外の世界へ送り出すことができる。

それを可能にする科学とは、生き物ガイアにとっての性欲にあたる。
そう考えると、我々人類には自分の遺伝子を残すことに反する行動をとるものがいるのも納得できる。

通常の細胞は、自身の生存を目指し、食欲や睡眠欲に従っての行動をとる。通常の生命は、自身の遺伝子情報を残すために生きる。
生殖細胞の目的は、次世代に向けての行動をとる。結婚もせず、一生を研究に捧げ、文化の発展に尽くす偉人たちは、生き物ガイアにとっての次世代のための行動をとっているのかもしれない。

人間は、自分の遺伝情報以外にも、様々な情報を後世に残そうとしている生き物だ。 それはもしかしたら、生き物ガイアにとっての性欲、羽化なのかもしれない。

生殖のために身体の構造をガラッと変える生物はけっこう多い。 ホタルは、成虫になると食欲を完全に捨て、生殖のためにすべてのエネルギーを投入する。
文化の発展には、多大なエネルギー消費が必要なようだが(少なくてもこれまでの実績では)、現在のほとんどの大型生物は絶滅の危機に瀕し、人間のみが反映する状況は、生き物ガイアが地球外の新天地に次世代を残すために、ほとんどのエネルギーを人間に費やしている結果なのかもしれない。
恐竜たちの繁栄は生き物ガイアの幼虫時代、人間にリソースを集中させ、科学を発達させている現在は、生き物ガイアにとっての発情期だ。

そうなると、我々人類の次の行動は何だろう。
アクティブSETIという活動がある。太陽系外に飛び出す人工衛星に、我々地球生物からのメッセージをのせておくものだ。 メッセージ板が、生物進化の未発達な惑星に到着したところで、最遠方の燃えないゴミになるくらいだが、メッセージ板にくっついた微生物がたまたま生き残り、そこで進化を始めたら?


パイオニア10号に取り付けられた、宇宙人に向けてのメッセージ

生命の行動原理は、自分になるべく近い遺伝子を残そうとするものだ、と言われている。
直接の子孫でなくても良く、自分の兄弟の子孫を残す行動に出ることも多い。兄弟で駄目なら親戚、親戚で駄目なら同民族を次世代に残そうとする。

人類の存亡の危機がきた、もう地球上じゃ暮らしていけなさそうだ。いずれ、そんな時が来るかもしれない。
でも我々自身の肉体を、深宇宙まで運ぶのはとても大変だ。

もっと効率的に精子をばら撒く、なんてことになるかもしれない。地球型生命の試行錯誤した結果である遺伝子情報、これを宇宙に撒き散らす。 人間自身を送るとなると、かなり大きな宇宙船を作らねばならないが、スイカの種とか、さらに強い耐久力を持った微生物の遺伝子を送るのであれば、もっと軽量に、もっと早く、もっと大量に、送り出すことはできそうだ。

それは人間による、宇宙への汚染活動なのかもしれない。が、生物の根源たる生殖活動のようにも思える。
地球出身の単細胞生物のような生き物がどこかの惑星に到達し、やがてその星に適合した進化を始める。生き物ガイアの子供の誕生だ。

自分の寿命の最後に、生殖を行って次世代を残す生物はメジャーだ。
が、我々人間はそうではなく、自分の子供が孫を生むくらいまで寿命が続くことは珍しくない。 生き物ガイアは、次世代を残すタイミングと寿命の関係がどのようになっている生き物かはわからないが、生殖細胞の一員たる僕としては、発情期の終わり=生き物ガイアの寿命とはならなければいいなぁと思っている。

●この文章のもっと冗長な初版。理系の人はどうぞ。


9/12追記。
生き物ガイアの年齢、すなわち地球上の生命は40億年ほど前に誕生したとのことだが、終わりもだいたい見えている。 あと10億年もすれば、太陽活動が盛んになり、地球上の水は液体として存在できなくなるようだ。→参照
太陽活動を計算するのは確固とした学問分野があるから、ほぼ正確な計算結果を出せてるとのだと思う。太陽光が地球に与える影響は、もうちょっと複雑で難しそうだが、10億年が15億年になったり5億年になったりすることはあれど、それくらいの時期で地球が干上がるというのはあんまり疑っていない。
現在知られている生き物に、水を用いずに生きていける生命はいないらしい。水が干上がっても、他の液体を媒介としてしぶとく進化し生き残る生き物もいないとも限らないが、気体だけで成立させる生命システムというのも難しそうだし、地球上に豊富にあり、優れた化学的特性を持つものとなると、水に匹敵する物質を見つけるのも難しそうだ。

ということで、ガイアの平均的寿命50億年の中の、40億歳くらいのところで我々は生まれてきた。
子孫を残すのには良い年齢かもしれない。

天寿を全うするまでに、あと10億年。
カンブリア爆発以降の多様な生物が生まれてからが5億年、我々ホモサピエンスが分化してからが15万年だから、まだまだ時間はある。
が、その間にも、また大彗星が衝突してこないとも限らないし、我々自身が勝手に自滅しないとも限らない。

生き物ガイアとしても、他の惑星まで飛び出すほどの技術を有する生き物を持つ機会は、我々ホモサピエンスが唯一なのかどうかは分からないが、そんなに多くは無いだろう。
貴重な機会なのだ。せっかくここまで来たのだから、今後はもうちょっと上手くやっていこう。


新宿の老舗てんぷらや「つな八」にて。高校時代に食べ損ねた思い出のある店で、15年越しのリベンジを果たす。
ほぼ全席カウンターの、揚げたてのてんぷらが、それほど高価ではなく楽しめる。付け合せのトマトおろしが好印象。美味しい日本酒置いてあればもっといいのに。

15年前、たしか高校サッカー部引退となった最後の試合の後に、家族で食べに行くことになっていたお店だ。
部活動の部員にとってのいちばん長い一日になるわけだから、当然帰りは遅くなる。疲れ果てた体で新宿の街を彷徨うも、すでにとき遅し。
ほかの家族は食事を終え、看板も下ろしていた。心身ともに疲労していたので、豪華な食事よりも自宅でなんの変哲も無いごはんが食べられれば良かったのだが、それはまぁ実現できた。徒労とともに。
まぁそんな思い出だ。

2012/8/15(水)



何やったのかあまり覚えていないが、あまり何もしない一日だったことは確実。PCのデータ整理とかしてたのだと思う。 おかだとしおの本を読んだ。 現在の貨幣経済社会は行き着くところまで行き着いて、今後はまた価値観変わってくるんだろうなという思いはあったが、その後の社会の価値観に対するひとつの予想。あんまり効果がなさそうなリサイクル、最新技術に対する世の中やマスコミの対応等、なんとなく感じていた違和感に対して分かりやすく説明してくれ、ずいぶんと面白かった。
今後の人々の価値観はどう変化していくのだろう。岡田さんの言っているようになるかどうかは分からないが、あながち間違ってもいないような気もする。

2012/8/16(木)

裏磐梯キャンプ計画の代替ツアー第二段、天候悪くても行けそうなところということで、下田の水族館へ。天候が回復した場合は海水浴のオプションつきである。
帰省ラッシュ・行楽ラッシュ対策として、今回は電車を利用。JRの周遊きっぷを買い、在来線を中心に利用したが、これがけっこうスムーズで値段も安かった。


伊豆急の観光用車両に乗った。豪華な感じでよかったが、何かのイベントで車掌がアニメ声になっていた。

下田の水族館。 こじんまりとしているが、それほどの人口密度ではない。 次々とめまぐるしくショーが行われるので、それを追いかけることになる。


イルカに乗って水面を滑走。人間業ではあり得ない速さだ。
これはうらやましい。

イルカの賢さに頭が下がる。
ショーが終わったあと、イルカと記念撮影を撮れる時間があるが、我々観客が勝手気ままにカメラを構える中、イルカたちは自分たちが何をなすべきかを完全に理解し、各カメラマンに対して順番に、構図の中できちんとポーズをとり、水中で静止する。プロのモデルのようだ。
イルカと人間という生物種がどうというより、へらへら笑っている我々観光客の中に、訓練された意識の高いプロがいる。 電車の中で盲導犬見たときの印象に近いかな。


割といいタイミングでバスに乗れ、駅前に戻ってお昼ごはん。
海鮮系は何度でも食べたいが、寿司なら晩御飯ともかぶらないだろう。

駅からバスに15分くらい乗って、半島の先っぽにある漁村へ。宿泊は、一昨日予約した爪木崎の「源兵衛」さん。 先っぽには、恵比須島という小さな島があり、橋で渡れる。一周15分くらいで散歩にちょうど良い。
右回りの道が崩壊しかかっている。頂上を通る道もあったが、ヤブっぽいので半周をピストン。 のどかな港で、酔っ払ったおっさんたちがイカを釣っていた。 好みの集落だ。


鳥みたいな雲


雄大な妊婦

魚介類いろいろの民宿ごはんは、部屋に運ばれるシステム。

眠い目こすって星も見に行った。
南にはもう太平洋と漁船しかないので、けっこうよく見える。
久しぶりの天の川。

2012/8/17(金)


早起きして朝日も見に行く。
恵比須島が近いので気軽だ。



今日は天気がよいので海水浴に行こう。
隣の入り江にある九十浜という小さなビーチまで、民宿のおばちゃんが車に乗せてくれた。 隣は下田の御用邸で、皇太子様ご一行が来ているらしく、警察官がたくさん見回りに来ていた。

遠浅の小さなビーチだが、左右に磯があって小さな魚が多い。ちょっと海水浴場を抜ければ、体験ダイバーたちが潜っていたりする。
海の家があって、ビキニのお姉さんもいるような海で泳ぐのは久しぶりだが、このビーチはけっこう気に入った。下田のビーチは全般的にきれいだ。


イカがけっこうたくさん居た。


水がかなり冷たい。黒潮が直接あたらず、冷水塊というやつの中にいるのかな。

イワシ、ネンブツダイ、そのほか諸々の小魚の群れに何度も囲まれる。
水の透明度があまり高くないなぁと思ったが、焦点を近くに持っていくと、白く濁った水のすべてが小さな生き物だった。 小さな点々が、ツンツン動いている。カニの幼生とか魚の稚魚とかその他正体不明のポリープとか、この水一すくいの中に、何百何千もの生き物が生活しているのだろう。 イワシの群れたちも、こいつらをパクパクと食べているのだ。
イルカスイムはやったことがあるが、こんな高密度の微生物スイム、生態系スイムは初めてだ。 「海獣の子供たち」の世界だ。

海の家でカップラーメンを食し、体を温める。
遅めの昼飯は下田の駅に戻り、やっぱり海鮮系の定食。かつおも旨い。
帰り道は踊り子号乗って、たらたらビールを飲みながら家路へつく。下田への旅は、電車が正解かもしれない。


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