久しぶりに日本酒研究会開催。 今回のコンセプトは、N総裁による秘蔵の日本酒の放出と、我が家の新台所のお披露目。
いつもよりランクの高い日本酒がそろいそうなので、それに合わせて料理は純な感じの上品なものを目指そう。
お気に入りの料理本が何冊かあるので、たまには教科書どおりに、作ってみることにする。
本日教科書に使ったのはこの2冊。
まず前菜の二品。
妻の得意料理、野菜のポタージュは、ソラマメとじゃがいも。蒸したものをミキサーで牛乳と混ぜて、冷製スープに。
しょうがのゼリー寄せは、テングサから作った。分量が良くわからず、硬めになってしまったが、味としての方向性はコンセプトに沿っている。 レシピは内田さんの本を参考にした。
そして本日のメインのお酒は、春鹿の斗瓶囲い。
確かにこのお酒は、普段飲んでるやつよりもさらにレベルが高い。普段飲んでる酒も、平均的な日本酒より2段くらい美味しいと思っているのだが。
なんていうか、雑味はないのに豊潤な感じ。研ぎ澄まされているのに懐も深い。
飲んでいるというより、食べている、味わっている、みたいな感覚だ。
これは一つの完成形、という説明に一同うなづく。
我が家でも、シンプルなおつまみを準備。
ピーマンの甘酢漬けは内田さんの本から。下ごしらえが命で、5秒湯がいたり、冷ましたり。
寄せ豆腐は、オーブンを使って加熱・保温したら、いつになくきれいにできた。近所の酒屋で売っていた、3代目茂蔵の豆乳を使用。
ごま豆腐バージョンと、普通の豆腐バージョンを作った。豆腐も日本酒向きだよな。
〆の粕汁は、野崎さんの本に載っていたもの。「仕上げに酢を入れることで、味噌、酒粕、具の味がまとまる」とのこと。
なるほど。お酢はすっぱくするだけのものではなく、塩味を丸くするという効果があるのか。
イワシのすり身も準備したが、揚げる時間と腹の隙間は無かった。
まだ行ったことの無いお店に行こうということで、隣駅のお好み焼き屋へ。
夏の暑い日なんか、こういうところでビールのみつつ、適当なつまみを焼いてもらうのも悪くない感じだ。
昨日の宴会で出せなかったものが、翌日のごはんとなる。
当日よりも落ち着いて食べられることもある。しょうがのゼリー寄せも、それなりに美味しくいっているじゃないか。
夕食後、ホタル見物へ行ってみた。
先週より見物者も増え、ホタルもたくさん見えた。
先週は一生懸命探してやっと少し見えたくらいだが、今日は乱舞している。
同時に10匹ちかく光り、総勢で30匹以上見たんじゃないかと思う。
写真は禁止されているようだ。
これぐらい見えると、かなり見ごたえがある。友達呼んで見せたいと思う。
駅から徒歩10分程度、我が家からならチャリで10分程度。あまり長い時間ではないが、軽い夕涼みとしてちょうど良い。
宴会後恒例の、わりと豪華な晩ごはん。
ラジオで日本酒を特集していたので酒が飲みたくなった。一月くらい前に買ったまま、保存方法に不安があった佐久の花の夏酒を開けてみる。
大変おいしい状態で持っていてくれたので大変うれしい。濃厚な旨みに微炭酸が効いて、さわやかな口当たり。
帰宅すると妻は飯食って寝ていたが、先日「ギョウザ食べたい」と言ったのを覚えてくれてたのか、小麦粉こねてギョウザ作っておいてくれていた。
ギョウザって何入れても良いのだが、チーズやソーセージ入ってて、割と洋風な感じだった。
蕎麦を茹でるつもりだったが、その前に満腹になる。
週末にツタヤで借りたDVDを鑑賞。
近年、技術情報誌などで「植物工場」という単語を目にするが、すでにかなりの食料って、工場の生産物として扱われているんだな。
ニワトリ、ブタ、ウシ。きゅうりや果物。
ラインで運ばれ、軽量され、分別され、屠殺され、加工される。
最初から製造物として扱われているので、「残酷」という言葉すら当てはまらない。その言葉は生き物にしか適用されない。
鶏肉なんてメチャクチャ安いもんな。よほど生産効率が高くなければあの値段にならないはずだが、なるほどこういう作り方やってるのか。
説
明もセリフもなく、ただ淡々と食糧生産工場の場面場面が流れていく。
こういう姿勢ってヨーロッパな感じだな。何かを主張したいというより、現実を知ってそれぞれが考えて欲しい、というスタイルなのだろう。
ただただ言葉も無く、映像として面白い、美しい、食料の生産場面が流れていく。
どうすれば良いのだろうか。何が正しいのか。
少なくても、理想的な姿ではないと思う。
「食べる」という行為は、そのまま「生きている」という動詞にしても良いと思っているのだが、この映像に出てくる「食べる」ための作業は、生物を生物として扱っているようには感じられない。
そんなのは間違っている。やめちまえ、と主張するのも難しい。
食料はこれくらい効率的に作らないと、現在の人口を養うのは不可能だろう。そんな人口養っちゃいかん、というのも一種の極論にしかならず、現実的にはやっぱりヒヨコさんたちにはベルトコンベアに乗ってもらう必要があるのだろう。
結論の出なさそうな問いかけだ。 とりあえず、無知でいるより知っておいたほうが良い、というくらいだろうか。ちょっとごはんが美味しくなくなるかもしれなくても。
印象的な映像は、予告編の数分間にほとんど入っていた。それ見るだけで十分とも言えるが。
たぶんそれと対極になる、熊打ちハンターによる自伝。
この人の自然描写は本当に素晴らしく、普段街にばかりいる人にこそ、ぜひ読んで欲しい。文章読んでいるだけで、頭の中身を北海道の原野に連れて行ってくれる。
人間は熊や鹿を主食にしているわけではないのだから、すき好んでそれらを撃ち殺すのは残虐だ、という意見はあると思う。
が、この本を読むと、猟師たちがいかに真摯に野生の命と接しているかに触れられる。
俺が殺した羆なんだから、ほんの少しでも無駄にしてはいけないと、雪山の中を重い肉かかえて何度も往復する。 寒い山の中に何ヶ月も篭り、ようやく追い詰めたクマに対し、最後は無心になって引き金を引く。
獲物の生命を尊敬し、尊重し、感謝をして食べる。
何が正しいか、残虐かというような議論はさておき、そういう経験をした人の言葉は重いし、美しいと思う。
経験をつむにしたがって猟師の能力も神がかってきて、ほとんど自然の一部と同化してる感じになってくる。ヒグマがわざわざ弾にあたりに来てくれるような境地に達しているのでは?
山野井靖史、ゼロ戦の坂井三郎に並ぶような、現代のヒーロー。
その後はヒグマ打つのから、牧場のオーナーに変わったらしい。
猟犬、フチがすごくけなげで可愛い。必読の自伝。
図面書くのを一旦中止して、特許を書き出す。さすがに2時間じゃ書けなかった。
部門としてのノルマ達成のために努力するのなんて、部分最適の典型例だと思うが、まぁお付き合いというか、人情だって無視はできない。
なんだか、外付けのハードディスクドライブが壊れてしまったようだ。
先日コードを引っ掛けて転倒させ、その後異音がした。どうもそういうのはかなりの重症のようで、修理はプロの仕事となる。
多少の出費は覚悟すべきか。そう思って調べたら、ハードディスクの修理はとってもヤクザな業界らしい。
相場も曖昧、技術も曖昧、ほぼサギと言えるような業者も白昼堂々と横行している。
グーグルで一発目に出てくるような業者こそ、それなりに広告費をかけていてサギに近いようなことを平気でやってくるらしい。
うーん。そうなると何を信じていいものやら。ネットで検索できる情報も、掲示板上の情報も、比較サイトもけっこう業者の思惑が入っていることが多いようで、中立を装った宣伝もたくさんある。「5人の証言の中に、うそつきが一人だけいます。誰でしょう」みたいなクイズがあったが、それを思い出した。
そろそろ家庭内のネットワークも整えようかと思っていた矢先、バックアップも最近はとっていない。事故ってそういうときに起こるもんだ。
ハードディスクは、数年内に必ず壊れる。いろいろとシステムを組んだところで、データを守るには、結局のところこまめにバックアップをとるのが一番なようだ。
が、今日明日は普通に元気に動いている。一ヵ月後もきっと大丈夫だろう。結果、バックアップをとる頻度はだんだん減っていく。
どうやら大地震は、数百年に一度は必ず起こるものらしい。我々の世代は、一生のうちに必ず震災を経験するだろう。
が、今日明日ではないし、一ヵ月後もきっと大丈夫だろう。なにか備えをしているかというと、そんなにちゃんとやっていない。
確かに、我々人間はそんなふうに生きているよなぁ。
データは大事だ。人生において、思い出や記録は大事だ。
原理的には、直せる可能性もあるようで、中には信頼できそうな業者もある。なんとか復旧させたいと思うのだが。
冷蔵庫には、一昨日買った羊肉がある。どうしたら美味しいかなぁと思案していると、2,3年前に作った手打ち麺のヨーグルトソースがやたらと美味しかったことを思い出した。
最近は粉こねるのも慣れてきて、ちょっと気合入れれば平日の帰宅後に麺打ったって、それほど時間がかからない。(平均的な晩飯の支度よりはかかると思うが)
麺棒で薄く延ばし、平らに切る。どの程度まで薄くできるかというのが、成功へつながる一つのポイントなのだと思う。
ヨーグルトソースとヒツジ肉の組み合わせは素晴らしい。
日本には刺身に醤油とワサビの組み合わせがあるが、そういう組み合わせの妙は各所にあるのだろう。そういうのをいろいろ知りたいものだ。