終業後、竹芝桟橋へ。2012年上期最後の目玉計画、御蔵島へ向かう。
会社という組織は不思議なもので、「イルカの撮影する必要がある」と主張したら認めてくれた。野生のイルカを見るなら御蔵島以上に良いところはない。そんなわけで、御蔵島行くのは休暇ではない。まぁ、ご褒美的な意味合いもあるようだが。
妻も着いてくるが、彼女は単なる遊び。僕は一割くらい仕事。
貿易センタービルにて、陽気なお兄さんの呼び込みに誘われて入店。
馬肉や地鶏タタキに甘口醤油とニンニクつけて、鹿児島や大分に行った時のことを思い出した。
〆は皿うどんを頼んだから、九州のどこ地方というより全般的に扱っているようで、今度は五島旅行の際に寄った長崎を思い出した。
焼酎は「くじら」を頼む。同じ海洋性哺乳類ということで、ゲンを担ぐ。
久しぶりに夜の伊豆諸島航路。 平日なのにそこそこ乗客もいる。けっこうウキウキする。
朝方は小雨がぱらつくも、御蔵に入港したころには青空が広がる。
イルカと海鳥と巨樹の島、御蔵島へは三回目の訪問。
二回目にきた時は半日イルカ船に乗って、すぐに三宅島に渡ってしまったので、宿泊するのは二回目。民宿に泊まるのは初めてだ。
到着した朝はのんびりと過ごす。三日間の日程の中で最も好天が予想される日で、もったいない気がしないでもないが、元々そういう計画だったので仕方が無い。まぁ、これだけ天気が良い時はただそれだけで嬉しくなる。
集落のはずれにある散策コース、タンテイロの森へ。
鳥の鳴き声を聞きながら、巨樹がちょいちょい見れる。
思ったよりも昼食食べるところには苦労せず。御蔵島の飲食店は3,4軒ほどあった。
この規模の離島では多いほうだと思うが、ここ十年くらいで増えたようだ。
テラスの気持ち良い「やまや」にて、ジャージャー麺を頼む。妻の頼んだトマト冷麺もともに夏らしい美味しさだった。
午後はイルカツアー。
ベタナギ、晴天も保って、この上ないコンディション。
さらに、イルカたちの気分もやたらと良いようだ。
とっかえひっかえ、いろんなカメラで撮影。
なんであれ、使いやすさは重要。良い写真を撮ることが目的であれば、使い慣れたものを使うのが大事ではある。
たくさんのカメラを使いまわすのは効率的とはいえないが、そういう名目で来たので文句は言えない。
何しろ好条件。潜ってイルカと近接し、息継ぎに上がろうとすると別のイルカとぶつかりそうになる。
この広い海の中で、イルカたちは非常に仲が良い。大まかには10頭程度の群れの中で、だいたい二頭ずつがペアになってピッタリくっついてる。 親子なのか恋人なのか、生まれたてのようでもなかったから幼児がお母さんに甘えているのかな。
同船者の8人は同グループで、ダイビングショップで知り合った仲間たちのこと。ヘビーリピーターのようだ。
さすがに泳ぎなれていて、上手い。
僕は最近ようやくスムースに耳抜きできるようになった程度だが、まぁ少しなら潜れないわけではない。
ダイバーグループの人たちに「よく潜ってましたね」と言われたから、それほど捨てたものでもないのだろう。
知らず知らずのうちに、相当頑張って泳いでいたようだ。後半は大変疲労困憊。イルカがよってきてもほとんど潜れなくなる。
ともあれ、遊びだか仕事だか良くわからん時間を、最良の条件で過ごすことができ、安心満足。
いまさら御蔵島のイルカスイムの素晴らしさを僕の口から出すのも憚れるが、御蔵島の知名度って有名とも無名ともいえない感じで、知らない人は知らない。
知らない人に対して、こういう言い方で説明してみようか。
国内でイルカスイムをできるところは、この御蔵島と、先日世界遺産になった小笠原の2箇所がトップツーのようだが、イルカツアーに関しては御蔵島の方がはっきりと条件が良い。
僕は父島のイルカツアーに1回、御蔵島のイルカ船に3回乗った程度の経験しかないが、(気合の入ったイルカフリークはこの十倍くらいの経験は優にあるはず)まぁその程度の経験でもはっきり分かるくらい、条件の差はあると思う。
小笠原では、大海原の中を一生懸命探して、たまたま回遊している群れと接触できればイルカと一緒に泳ぐことができるが、御蔵島はイルカが定住しているところに行くわけだからな。頻度も多いし、人間もイルカもリラックスした状態になれるんじゃないかと思う。
食卓にずらっと伊勢エビが整列するのだから、伊豆諸島の民宿には気を抜いていられない。
パキパキと背骨を折り、足をもぎ、ミソをほじってヒゲしゃぶって、一心不乱に骨の髄まで美味しく頂く。
伊勢エビは夏になると禁漁期になるらしい。この時期を選んで良かった。
梅雨入り直前。予報は曇りベース、雨も降るかも。山の上でも天気が保つかどうか。
御蔵島の魅力はイルカだけではなく、今日は山歩きの予定。 御蔵島最高峰、御山を目指す。
御蔵島の山歩きは、ほとんどのエリアがガイド必要。普通にハイキング好きな人にとっては、それほど難しいコースでもないので、大自然のフィールドは本来自由なはず、煩い管理言いやがって、という意見もあるとは思う。
が、僕はこの制度は賛成できる。
初めて来た時にも山のガイドをお願いして、けっこう面白かった。スタートからゴールまで、安全に道を辿っていくだけなら、たぶんそれ程問題なくできる。が、独力で行くと通過してしまうだけのところでも、ここにはこんな植物があり、こんな動物たちが住んでる形跡がありますよ、なんてことを教えてくれる。
一定数以上のハイカーが入山するのを防止する役割にもなっているんじゃないかと思う。大人数の人間が歩くだけで、やっぱりそこの自然に影響が出ることは避けられない。いろんな人に自然美を楽しんでもらいたいとは思うが、その自然が無くなってしまっては元も子もない。何らかの規制は必要だと思ってる。
今回のガイドは長谷川さんという、勉強熱心でよくしゃべるおじさん。
「御山に行きたい」という程度の希望を伝えておいた。3コースあるうちの鈴原湿原コースからピストンで行くとのこと。御山に行くのは半日以上の設定になるものが多いようだが、ここは半日コース。
登山口まで車で連れてってもらう。
イルカツアーへの参加者は年間一万人以上、それに対し山のツアーに行くのは千人にも満たないという。
そのうち、最も人気があるのは南郷のスダジイ巨木コース。となると、このコースに来るのは多くても400人程度か。
その割に、登山口はよく整備されていて、立派な東屋もあるしトイレもある。
道の整備状況もよく、歩きやすい。
ツゲの自然林の中を歩く。
この木がツゲだったのか。御蔵島の生活を支えてきた高級木材、立派な生垣というくらいの大きさだが、その程度でも樹齢百年くらいは経っているらしい。
御蔵島のほとんどの木樹には、コケやらランやら、何らかの着生生物がびっしりと付き、一本一本が生物の集合体となっている。単一の木はほとんど無い。
いつ見ても大体山頂部は雲に覆われているが、霧の中の水分が葉を伝って表皮を濡らす。樹雨というらしい。その水分で着生生物は育つ。樹齢が長いからそういう生物が育つ時間がある。
お昼ちょうどに下山。ほどよく気軽なツアーだった。
さて午後はどうしようかなと思っていたら、民宿より電話が来る。明日午前のいるかウォッチングは、荒天が予想されるため今日乗ってはどうかと。
昨日のイルカ船で十分満足したからどっちでも良かったが、せっかくだから乗ろうということになり、急いで腹ごしらえ。
美々庵のカレーを食べた。団体が押しかけてくる直前に入店でき、タッチの差でスムーズに事が運ぶ。
昨日は泳ぎ疲れて後半は集中力が落ちたので、今回のイルカ船はどうでもいいところでがんばらないことを目標にする。
が、今回イルカ様方はあまり我々にお情けをかけていただけないようで、船を走らせても走らせても、ほとんど姿が見えない。ようやく一周したあたりでイルカウォッチングの船団が見つかり、2〜3の群れの背びれが見つかる。
そこで何度か泳いでみたものの、昨日とはうって変わって海底を素通りしていくばかりだったな。 一生懸命泳いでいくと、イルカたちが楽しそうに泳いでいく姿は見えるのだが、今日はまったく人間に関心が無いようだった。
まぁ相手が野生生物だから、そんな日もある。 僕は御蔵島でイルカ船に乗るのは、これが4回目だが、昨日は最高、今回は最悪だった。何が違っているのだろう、というと、イルカの気分という程度しか認識できないな。
うまい魚といえば、確かに北陸や北海道の脂の乗った魚は繊細で美味しい。
が、黒潮の海の魚の美味しさも負けていない。力強く爽やかで、男性的な感じだ。
夜の天気予報によると、どうやら明日から入梅のようだ。
船は、朝の下りはほぼ確実につくだろうが、午後の上り便はひょっとすると欠航する可能性があるらしい。
丸二日間、海も山も遊べて十分満足だ。ここは勝負するところではないと思う。朝の船に乗るつもりで支度を整える。
天気は昨日の予報ほど悪くならないようだが、まぁ無理してあと半日遊んでいることもあるまい。
6時発の便に乗船する。
今週末御蔵に来た観光客のほとんどがそうするようで、港は大賑わいとなる。
御蔵島の何よりの素晴らしさは、人々がこの原始的な自然と付き合ってきた歴史の長さだと思う。
縄文期より人々は御蔵島に住んできたようだが、その時以来の御蔵島が持つ固有の自然と付き合いながら、ほぼそれを保って今日まで至っている。
世の中には、「そうは言っても人間の手から無垢なわけではない。手つかずの自然ならもっと素晴らしい」
というような純粋な自然の賛否者というか、原理的な信者も居るとは思う。(たとえば我が妻とか)
人間=悪、その他の自然=善と完璧に分けるのは、安直で分かりやすい。気持もわからんでもないが、ちょっと違うだろう。人間だって自然の一部だ。
すべての生命には「生きる権利がある」のではなく、「生存競争に参加する権利がある」のだと思う。
すべての生命に生きる権利を認めたところで、他者の生存権を奪わずに生きていける生命は無い。あらゆる動物は他者を食べずに生きていけないし、植物だって日照権の奪い合いだ。
人間の活動が他の生物の命を脅かしても、まぁ生存競争の一部と言えないこともない。
釣った魚を殺して食べるのは、イルカがトビウオを食べるとか、ノロウイルスが僕のお腹の中で繁殖するのとかと同程度の罪深さだ。
問題があるとすれば、人間のシェア率が上がりすぎて、食物連鎖全体のバランスをゆがめ、生態系を貧弱にするようなレベルに至ったときだろう。
生態系が多様性を失っていけば、環境の変化があったときに、生態系そのものが全滅する可能性が高くなる。第一、人間とゴキブリと家畜、小麦しかないような地球では、美しくないし面白くもない。
そういう方向へ加速させるような行為が、罪深い行為なんだと思う。
アブラムシが、ベランダ栽培の野菜を全滅させてしまったら、野菜にとっても面白くないし、棲むところを失ったアブラムシにとっても面白くないだろう。ベランダ生態系の造物主たる僕にとっても面白くない。
焼畑農業でいろんな生物を駆逐するのも、増えすぎたシカがトリカブト以外の野草を食べつくすのも、これと同種の罪になると思う。
多種多様な生き物が、環境の変化に応じて各々のシェア率を変えながら、豊かな生物相を保っていくのが理想だ。
全く生命の生きられない環境、それを作り出す行為が悪である。逆に、豊かな生物相を作りだすことが善となる。
人間が自然環境に影響を与えること自体が悪、手つかずの自然が善、というわけではないと思う。
僕は人間が自然の中で生きていく権利を主張する。
制限はいろいろ必要だとしても、自虐的になることはない。
御蔵島では、人間と自然が対立するものではなく、人間は自然の中の一生物として生きているといような空気を感じた。
島に棲息する大型生物には、カツオドリがいてイルカがいてスダジイがあって、第3勢力か第4勢力くらいに、人類ヒト科が細々と定住している。
こういう環境って、21世紀の現在あんまり多くないだろう。
しかもイルカツアーという飛び道具を獲得し、資本主義経済の世界と戦っても、なんとかそれを保っていけそうだ。
この小さな島で、自然環境を原始のままで保ちつつ、ほとんど有史以来と言っていいくらいの年月を島の人たちは生活してきた。 この事実に希望を感じる。
山道を通せば、湿地の貴重な植物を踏みつぶしてしまうかもしれない。が、山全体がササ藪に覆われることを防ぎ、他の高山植物に住む場所を与えられるかもしれない。
善なのか悪なのか、ケースバイケースなのだと思うが、とにかく色々バランスをとりながらやってきたのだろう。
産業革命があって、世界大戦があって、フクシマの事故があって、そろそろ考えた方が良いんじゃないの?という時代になってきたが、御蔵島の生活には何らかのヒントがあるような気がする。
一日船に乗っているだけだが、それでも疲れる。
あまり悩まず、新橋での乗り換えの途中で晩ごはんをとった。けっこう美味しかったし、ちょうどいい感じなものがスムーズに食べられた。
ともあれ、今年上半期の目玉計画は、期待通りに十分楽しめた。成功だったと思う。
なんてこった。
御蔵島より帰宅するなり、家に警察からのお知らせが届いている。
なんとそれは、青空駐車に対する警告。
荷物搬入のためにマンションの裏の路地に止めて、そのまま綺麗サッパリ忘れていた!
罰金高いし、また犯罪暦ついてしまう・・・割と安全運転を心がけているつもりだが、いつまで経ってもゴールド免許に届かない。
悔しいし腹立たしいが、非は完全にこちら側にあって、怒りをぶつける状況でもないしなぁ。 いろいろ不幸なタイミングが積み重なったことは事実もあるが、まったく思い出さなかった。
晩飯は有り合わせでパッと作れるメニュー。 パスタ茹でて、登山用に買ってあったインスタントミートソースに冷凍しておいたヒツジ肉を混ぜる。 スープもイタリア旅行で買ってきたインスタントスープに、ちょろっと野菜入れる。外国っぽい味だった。
夫婦ともに、とても空腹で帰宅する。お腹がすいて気が立っているが、食材がないのでスーパーへ。 早くご飯を食べたい一心で、二人で効率的に準備ができたんじゃないかと思う。
バラ肉が安かったので、オーブンで焼いてみた。僕が新オーブン使うのは初めてだ。
レシピは、ここに載っているほぼそのままだ。
手ごろな耐熱皿はないか。ダッチオーブンを出すのも面倒なので、昔の同居人が置いていったフタつきのチキンラーメンの丼を使ってみたら一応使えた。
作りながら家事ができるし、大雑把に作っても繊細な味になるから、オーブン料理は素晴らしい。
妻製作。
ヒツジは、ヨーグルトとハーブでトルコ風を目指したらしい。トルコ料理を詳しく知っているわけではないが、確かにトルコ料理屋さんでたべるのってこういう味だ。
妻が不在なので、適当に残り物を食べて食材の整理をする。