行かなきゃ行かなきゃと思いつつ、結局1年が経ってしまった。 が、まだ手遅れというわけでもなく、むしろこれからだって必要らしい。
東北の復興支援ボランティアへ参加した。
ちょっと調べると、敷居はとても低い。瓦礫の上でクギ踏み抜いてもいいように、鉄の中敷を買うくらいが特殊な準備かな。それ以外の持ち物は日用品か、ホームセンターで千円程度で購入可能なもの。あとは適当に高速バスツアー探して申し込めばいい。
今回申し込んだのは、めもりー旅行というところが主催しているツアー。ほかのところは、ボランティアは土曜のみのところが多く、往復夜行だったり、日曜は観光だったりだが、このツアーは土日ともボランティアやっていることに惹かれた。
リピーターの方々の話では、義侠心の強い女性が社長をしているとのことで、どうやら規模の小さな会社のようだ。その義侠心からか、かなり継続してボランティアを続けている実績がある。
今回のツアーの添乗員さんも、ボランティアのお客さんがそのままスカウト(?)され、抜け目は随所に感じられるが、それ以上のアットホーム感で補っているような、まぁそんな感じのツアーだった。
震災の被害地域はとても広いが、どこに行くかは特に考えず、申し込んだツアーまかせ。 仙台近郊、松島の近くの七ヶ浜を活動地域にしているツアーだったので、そこに行くことになる。
今日の作業は田んぼの瓦礫撤去。重機を入れて更地にした田んぼの、細かい瓦礫を人力で集める。
いったんきれいにした後に、再度重機を入れて掘り返し、また人力で瓦礫を集める。それを何度も繰り返し、田んぼを使えるようにするらしい。
作業中は写真撮影禁止とのこと。
30人程度で、田んぼ一反の小さな瓦礫を集める。
作業自体は、それほど難しくも、肉体的にきつくも無い。午前、午後、それぞれ2時間程度で、休憩時間もある。
誰にでもできる軽作業である。ぬかるみにつっこむと苦労するのと、ヘドロ臭いのが大変なくらい。
瓦礫は、露出しているのもあるが、半分以上埋まっているものもある。破壊された建築資材とか車の一部とか、元雨どいとか、そんなのが多いが、時折泥だらけの洋服だとか、ビデオテープなんかも出土する。
集めていくうちに面白くなってきて、でかい瓦礫を発掘すると嬉しくなってくるし、掘り出せずに諦めなきゃいかなくなると結構悔しい。
大地から何かを掘り出すというのは、人間の本能を刺激しているのではないかと思う。さらに、皆で作業しているので、大物を掘り出すと皆が見に来る。さらにやる気が出る。
リピーターやリーダーの話によると、地中にはいくらでも瓦礫が埋まっているらしい。それを掘り出すときりが無いから、今回は地中深く掘るのは禁止されているようで、スコップ等はレギュレーション違反。道具なしで拾えるものを拾おう、という方針にしているようだ。
午後も基本的に同じ作業。午前中に集めた瓦礫を、土嚢につめて一箇所にまとめる。
見上げたもので、周囲500m四方くらいだろうか。各所に散ったボランティアにより、けっこう綺麗に片付いた。
宿泊場所は、思ったより遠い。バスにのって1時間半ばかり、山形との県境近くの作並温泉というところ。 一昔前の大型温泉ホテルという感じ。
注文したオリジナルラベルの日本酒が意外と美味しかった。
このときに参加者一同を一望できたが、女性のほうがちょっと多いくらい。若いお姉さんが目立つが、老若男女、まんべんなくいる感じだろうか。
食後は有志で飲み会へ。
知り合いが作れる旅行ってそんなに多くないと思う。が、ボランティアツアーってそういうことが容易にできるようだ。
元気な美人がボランティアサークル作ろうと目を輝かせていたり、ドレッドヘアのしっかりしたお兄さんがこれまでの経験を語ってくれたり。
こういう空気はとても良いと思う。人助けをしにきた、とはあんまり思っておらず、こういう空気を期待して参加したのだと思ってるが、期待通りな夜だ。
二日目は午前中のみの作業。午後は東京へ帰る。
作業内容はおおむね昨日と一緒。数百mほど離れたエリアの瓦礫拾い。昨日よりも良い漁場というか、瓦礫密度が高く、大物がゴロゴロしている。こりゃあ大変そうだ。
しかしこちらも二日目となって慣れてきて、メンバー的にも仲良くなってきた。作業の効率も上がっていることが実感できる。
あぁ、集団の力というのは侮れないものなんだな。人海戦術の勝利だ。
昼になって作業を終えると、視界にあるすべての田んぼ跡、といっても窪地なので1km四方程度だと思うが、の瓦礫がけっこうきれいに片付いた。
ここに展開した数百人のボランティアがわずか数時間働くと、とりあえず拾えそうな瓦礫はすべて拾い、土嚢につめて一まとめにすることができてしまった。
集団の力、継続の力というのは侮れない。
少しずつでも、積み上げるとすごいことになる。
はっきり云ってそんなに大変な作業ではなかった。え?もっと頑張らなくて良いの?と、参加者のほぼ全員が思える程度の作業量だ。 でも、これを一人で、数人の手でやろうとしたら、これはもう途方に暮れてしまうだろう。
登山の時もそうだな。地平線の向こうに見える遠くて大きな山も、一歩一歩近づくことを続ければ案外登れてしまう。 一見すると果てしないように見える作業でも、一人一人の小さな積み重ねで、意外にあっさり成し遂げられてしまう。 1日の作業では達成感をまったく感じられないことも多いらしいが、今日の作業はけっこう達成感を感じることができた。
この作業がどの程度役立つのか。津波頻出エリアの田んぼの膨大な瓦礫の一部を少しくらいさらったところでなんになるのか、どの程度の価値があるのか。いちビギナーとしては、よく分からない。
もともと田んぼだったところが、一瞬の津波で瓦礫とヘドロの海に埋まってしまった。そう考えると、ちょっとくらい瓦礫拾ったって、むなしい作業にも思える。
しかしこう考えるのはどうだろう。
田んぼになる前は、前回の津波で泥かぶってたところか、単なる荒地か、いずれにせよ天地開闢以来から田んぼであったわけではない。先人たちの努力の結果、田んぼとして開墾したところのはずだ。もともと荒地だったところを開墾し、津波によってまた荒地になった。それならば、再び開墾して田んぼに戻すのが人間の努めだ。いつの日か、再び津波が襲ってくるかもしれないが、そうしたら再度開墾をしていくのが人間の生活だ。
前回は重機使わずに開墾しただろうが、今回は一部重機も使える。だいぶ楽なはずだ。
僕は普段から、いかに少ない人数で効率的に作業を進めるか、ということばかり考えているので、このように大人数をかける手法を泥臭いと思ってしまうが、人数かければ簡単、という作業もあるのだな。
やっぱり参加者には話が合いそうな人が多い。
洞窟探検のエキスパートの方から、いろんな経験談を聞く。
もっと早く参加すれば良かったな。
ボランティアに対して、僕と同じように興味は持ちつつも参加していない人って多く要るのではないかと思うが、あまり難しく考える必要は無さそうだ。
僕は、人のために役立ちたいというよりは、もっと利己的な動機で参加したのだと思う。
誰かが大変なときに、自分は何もしない人間だと思いたくないだとか、被災地を見てみたいだとか、普段と違う作業を初めて会う人たちとやってみるのも楽しそうだとか、そういう欲求をもって参加した。
他者の役に立てば嬉しいが、是非とも人助けをしたいとはそんなに思っていない。
ほぼ、レジャーとしてボランティアに参加していると思っている。
で、実際に参加してみて、やっぱり期待した以上に楽しかったし、レジャーとして参加するのは良い事だと思った。
これまで参加しなかったことを責められることはなかったし、軽作業に熱中しているだけで、少なくても後ろめたさはずいぶん解消された。
参加したバスの中で聴いた言葉。「ボランティア活動が必要としている姿勢は、続けること。伝えること。忘れないこと。」
確かにこれは、小さな一歩一歩を、長期間にわたって多くの人々で積み上げていく作業だと思う。
こういう言い方はどうだろう。
旅行先の選択肢として、どこぞの世界遺産は、おそらく5年後もやはり世界遺産だろう。
しかし復興ボランティアは、今しかできない。10年前も10年後にも参加することはできず、また半年前も半年後も見れる景色はまったく違っている。世界中のどこに行っても見れない景色が、刻々と変わっているし、その変化に自分自身も寄与することができる。
海外旅行、僻地の旅行を中止してでも、行く価値がありそうだ。
津波に対しては、漱石高弟の物理学者が、100年前にこんなことを云っている。これ以上に重ねられる言葉は特になさそうだ。 ●寺田寅彦の随筆「津波と人間」
昨日の帰りのバスで食べ損ねたシラウオ。今日になって少し痛んでいるので生食は厳しそうだ。 酒ですすいで、フライパンで卵とじ作って、それなりの美味しさでリカバー。
七ヶ浜で買ってきた復興支援食材料理の2回目。舌平目だか小さいカレイだか良く分からないが、バターたっぷり使ってソテーにした。 ちょっと内蔵破けちゃって、臭みがついてしまった。
就業後、久しぶりに元同居人の家へ寄る。
妻担当。昨日もそうだ。
ブリの味噌漬けは先週から漬けておいた。悪くなかったが、期待していたほどでもなかった。
GW前夜は荷造り。
あわただしいので晩飯は発掘した讃岐うどんの土産。やはり釜揚げはウマイ。
海藻も使い切って、これで危うい食材の処分はおおむねOK。