伊豆諸島方面への旅行が中止になれば、我が家で宴会やってお茶を濁すのがいつものパターンだが、せっかくの休みだしそれだけじゃあ変わり映えしない、どこかには行きたいという声が上がった。
こういうときは、今まで行き損ねていたところ、近すぎず遠すぎずといったあたりで代案を考えよう。
ということで、勝沼への半日ワイナリー見学ツアーとして、夕方我が家で宴会やることにした。
一口に勝沼のワインと云っても、蔵の数はずいぶんとたくさんある。50件近くあるようだ。
聞くところによると、その中でもけっこう当たり外れがある。一々ハズレの蔵も回っていては、美味しいのを見つける前に酔っ払ってしまう。
ということで、最近出来た近所のレストランのワインリストを参考にフィルタリング。
これまで何度か足を運んだが、ほぼすべてのワインが美味しかった。日本のワイナリーを応援してる方針とのことで、結構日本産もおいてある。
ということで向かったのが、勝沼のルミエールというところ。予約が必要だが、勝沼へ向かうあずさから電話する程度でOK。
「案内は10分程度ですよ」とのことだったが、ついてくれたお姉さんが詳しい方で、何を聞いても教えてくれる。1時間くらい話を聞いてしまった。社長の娘なんじゃないかと妻は推測していたが、単なる受付のお姉さんではなく、生産から販売、経営まで関わっている、幹部クラスの方であることは間違いなさそうだ。
この蔵のワイン造りに、自信を持っていることが感じられる。
ワイン造りは10年単位の時間がかかる。今作っている試作品が世に出るのも10年くらいかかってしまうが、その間にワインはどんどん美味しくなっていきますよ、とのこと。
確かに、こういうアナログ技術をやらせれば、日本人ほど上手い民族はなかなかいないだろう。将来、日本発のワインが世界に売れていっても、そんなに不思議はないよな。
そのまま、ワイナリー併設のレストランで食事。けっこう有名なお店らしいが、雰囲気も味も素晴らしかった。
ワイナリー併設なので、ワインが酒屋の値段で買える。「日本のワインにしては」みたいな但し書きはまったく感じず、掛け値なしに美味しい。
数あるワイナリーの中から、ここを選んで正解だったと思う。時間的にはもう一軒くらい回れないこともないが、下手なところ行く必要もなし。1軒で帰ろう、ということになった。
というわけで八丈島旅行中止の慰労会。ワイナリー行く前に慌てて行った市場で買ってきた魚介類に、お酒はいろいろ。
本日ワイナリーで購入した1升白ワインは、コストパフォーマンス高し。
数年前に廃業してしまった八丈島の焼酎、黄八丈の買い置きの最後の一本。
知らない人には是非飲んでもらいたい、急進的な甘口日本酒、笑四季酒造のラ モンスーン。
等々。K氏持参、金沢の日本酒も美味しかった。
ジョギングして、おばあちゃんち行って、オトボネライブ行ってきた。
一つ一つは小さめのイベントだが、3つ重なるとそれなりに忙しくなる。
オトボネ氏ライブ。
1年前の今日、僕は「今日のごはん」に「2011年3月12日は新しい時代の始まりになる」なんていうことをを書いた。
1年を経て、世の中は変わっただろうか。新しい時代はやってきただろうか。
ひとつの時代は終わったといって良いんじゃないかと思う。が、新しい時代が始まったかというと、まだそんな気はしない。
前の時代が終わったのだから次の時代を始めなきゃいけない。たぶん皆がそう思っているだろうが、まだどうして良いのか分からない、方向性がまとまらない感じだろうか。僕自身、そういう渦中に居ると思う。
エネルギーに関して、明確にひとつの時代が終わった。
ひとつには勿論、原子力。きちんとした議論がなされないまま、感情だけで判断されてる印象も強いが、少なくても日本では、近い将来において原発に頼ることは現実的でなさそうだ。
それに加えてもう一つ、石油の時代も近いうちに終わりがやってくるようだ。
ピークオイル論というのがある。ここ数日で勉強したころによると、学者によってばらつきはあるものの、石油の生産量のピークは2010年前後になって、あとは減産に向かうというのがどうも確実なようだ。
ピークを過ぎると直ちに枯渇、という訳ではないが、だんだん採掘するのが困難になり、やがて石油を採掘するためにも燃料が必要になってくる、ということだ。
そして、ご存知のように石油の需要は減るどころか、増加の一方だろう。すぐに枯渇することはなくても、けっこう急激なペースで高騰する可能性は高そうだ。
石油生産のピークを細かく同定することに大きな意味はなさそうなので、2011年3月11日が石油生産のピークと考えておくのも、分かりやすいとおもう。
原子力発電のピークと、石油生産量のピークが同時にやってきて、その双方がこれから急激に減少していくわけだ。
文明の盛衰とエネルギーの消費は、明確に関連している。インダス文明やメソポタミア文明の滅亡は森林資源の枯渇が原因らしい。 そんな例を持ち出さなくても、20世紀以降の人口爆発は化石燃料を無尽蔵に使ったことによって成り立ったことを実感するのは、そう難しいことではない。
ということで、我々の生活はエネルギーをたくさん使うことで成り立っている。が、そのエネルギーの供給源の底が見えてくるのは、明日明後日ではないにしろ、我々が生きている間にはやってくるの\\だろう。
これまで主力だった石油が枯渇しても、原子力に頼ってこの生活を続ければいい、という判断も、今やそれもできなくなりそうだ。
この50年ほど続いてきた、たくさん生産してたくさん消費することで豊かになろう、という時代は、そろそろ続けなくなってくるころだ。
後世の歴史の教科書には、2011年3月が資本主義の終焉と書いてあるんじゃないかと思う。
石油なくなったらどうなるか。
とりあえずヒコーキ飛ばせなくなるよな。
太陽発電の電力で電車は動くとする。帆張れば船も動くだろう。が、電気飛行機というのは聞いたことがない。電池は石油より重いので、飛ばすのは難しいらしい。我々は歴史上、最も海外旅行に気軽に行ける世代なのかもしれない。
影響はその程度ではないだろう。身の回りのものに目をやれば、とびこんでくるもののうちの半分以上は石油由来の製品だ。
米だって魚だって、どの程度石油に依存して生産しているか分からない。
石油がなければ、ソーラーパネル作って宇宙に飛ばす、なんていうのも出来ないし、風力発電でもソーラーパネルでも、何かしら石油の力借りて製造してるだろうなぁ。
今後は石油もエネルギーも、もっと大事に使おう、ということになってくる。
既得の利便性を捨てられるのか。
人間の性質上、難しいことかもしれないが、不可能だとも思えない。何も石器時代に戻れというのではない。
けっこうこの震災で知ってビックリしたのが、バブル期くらいと比べても、電力需要は何割か増加していることだ。
別に食器洗い機や電熱便座がなくても、豊かで文化的な生活は後れると思う。
戦国期から江戸期へ変わるときに、日本人は当時世界一だった鉄砲を捨てた。航海技術も封印した。 先進技術や競争に頼らずとも、文化を発展させた。
人々の意識も、特に震災以降、徐々に変わってきているとは思う。
が、もうちょっと急激に変わっても良い気がする。あれだけの出来事があったのだから。
なんとなくの意識だけで、まだ明確な変化はないように思う。半年ほどヒステリックな反応があっただけで、案外生活は、震災の前の元通りだ。新しい時代が始まっている、という状態には至っていないんじゃないかと思う。
歴史を見てると、社会の構造や人々の常識というのは、けっこうダイナミックに変わり得る。第二次世界大戦後、続いてきた社会もほころびが隠せなくなってきて、時代が変わるには頃合だと思うのだが。
人々のなんとなくの気持ちをまとめてくれるリーダーがいれば効率的だとは思う。が、今の国のトップには、そんなことを期待しちゃ駄目らしい。
今の時代のリーダーは、一個人の名前ではないのかもしれない。何しろ史上かつてないほど、一人一人が強力な情報発信方法を持っているのような時代だ。リーダーの姿だって、徳川家康のようにはならないだろう。
選挙で選ばれた政治家より、wikipediaのほうが信頼感が感じられる。そういう集合知で、新しい時代を作っていけないだろうか。
僕のこんなような駄文も、集合知の端くれになってくれれば。
講習の2回目。チーズの7分類を勉強し、実際に食べる。 白カビのやつも良いが、僕はスイスのチーズも好きかもしれないな。
ローマが広めたチーズ文化。フランスもスイスもイギリスも独自のチーズを開発しているのに、日本が独自のめぼしいチーズ開発してないのはちょっと寂しい。(さきさきチーズは日本発らしいが) カビ発酵文化では、それなりに誇るべきものはもっており、進取の精神もある。北海道の酪農家とか、農大の研究室とかで、East Meets West な感じの世界に誇れるチーズを作っていても良さそうなものだが。
妻が飲み会行ったので、残り物整理日とする。