冬休み初日。
天気予報もかなりよく、支度も万全。今度こそバッチリだ。久しぶりの登山は念願の北アルプス、燕岳だ。
まともに山登りをするのもずいぶんと久しぶりだ。 妻は半年前の富士山登山に続き、今回も前夜飲みすぎたようで二日酔いとなってるみたいだが、まぁ初日は中房温泉までの冬季閉鎖林道を淡々と歩くだけ、温泉入れば酒も抜けるだろう。
松本からは不思議な観光電車に乗る。やたらと豪華というか贅沢な作りで、客の割りに乗員が多いし、景色も良く見える。 我々は一区間、穂高駅まで利用しただけだが、なんと穂高駅停車中に、乗客は穂高神社まで参拝に行けるらしい。 観光バスの電車版、みたいなコンセプトのようだ。
身支度を終えて、さぁタクシーで登山口まで行こうとした矢先、妻の祖父が亡くなったという知らせを受ける。
ずいぶんなご老齢で、数ヶ月前に危篤になったようなことは聞いていた。もう大往生と言えるような状態のようなので、周囲のショックは大きくなさそうだが、しかしこのタイミングか・・・。
もうちょっと遅ければ、電波も届かぬ山中に入り、万事済んだあとに連絡を聞いたのかもしれない。
何日かずれていれば、僕は多分仕事休むのも難儀しただろう。まぁ、何の調整もなく葬儀いけるのも良かったのかもしれない。
が、さぁこれから行くぞって時だったので、空振り感は否めない。もう何時間か早く連絡あれば、あずさの特急代も払わずに済んだのになぁ。
まぁ仕方が無い。妻の体調はあまりよくなさそうだし、そんな状態で登山は止めとけってことだろう。
僕も先方の家族に挨拶できる機会になるし、明日の葬儀に備えて、一旦家に帰ろう。
ということで、神奈川→松本→穂高→神奈川→浜松と、意図のわかりにくい乗り鉄な日となった。
あずさ2回乗って、東海道新幹線も乗って、「リゾートビューふるさと」も乗った。JRからはお得意様として、粗品の一つでも頂いておきたいところだ。
妻の実家から車で2時間ほど。
亡くなったのは妻の母の父である。妻の母方は明智地方の山間部の出身ということだ。
妻の両親から、親戚関係の話を聞く。
これは自分の家族でも言える事だが、血縁関係の話というのはいくら聞いていてもさっぱり分からない。
自分の親戚関係も、ちゃんと認識できていたのは祖父祖母、叔父とかそのくらいで、それ以上の関係が正確に理解できるようになったのはようやく最近だと思う。小さいころは、「なんとなく親類」くらいしか分からなかった。
いくら説明されても分かりにくいのは、一つには呼称の問題があるんだと思う。代表的なのが「お母さん」という言葉。
妻の母から説明を受けているとき、「お母さんが小さいころ住んでたところが・・・」と言った場合、その「お母さん」というのが誰なのか、いろんな意味に受け取れてしまう。
妻の母ということで、自分のことを示す第一人称かもしれないし、彼女にとってのお母さん、すなわち僕の妻にとっての祖母なのかもしれない。もしくは、サッチャンのお母さんのことかもしれない。
家系図書いてもらえばなんとなく理解できると思うが、まぁ普通にしゃべっていてそこまではやらないよなぁ。
家族関係をあまりちゃんと理解していないのは、たぶん僕が極端に劣っているわけでもないだろう。親等もだんだん離れていくと、お互いに関係も分からなくなり、なんていうか血縁関係というのはそれくらいの関係なのかなぁ、と思った。
分からないといえば、自分の祖先のこともそう詳しく知っているわけではない。
僕の場合は、4人の祖父祖母の代でそれぞれ自分の土地から東京出てきたようだが(大正期とか昭和の初期か?)、その前にどんな土地に住んで何をやってきたというのは、断片的な言葉をちょっと聞いたことがある程度だ。
(母方の祖父、祖母については、それぞれそのルーツを探る旅に行ったことがあり、かろうじて場所は分かるが)
この先、自分に子供、孫、曾孫ができたとすると、やっぱりお互いが直接認識できるのって孫くらいまでなんだろう。
まだ見ぬひまごたちよ。お前らは僕のことなんて全然知らないだろうが、とりあえず僕も頑張って生きるよ。
妻の祖父の納棺を済ませる。
僕にとっては会ったことも無い老人であるが、僕に子供ができたら、その子にとってひいじいちゃんということになる。
そう考えれば義理の祖父という関係もなんとなくとらえれれる。
彼は既に何人もの曾孫に囲まれている。人類史上、自分の曾孫に会える人間というのはそう多くないだろう。昔はもっと平均寿命短かったし、これからは晩婚化、少子化がさらに進んでいくだろう。(曾孫たちよ、きっと僕はお前らに会えないんじゃないかと思ってる)
人類史上最大の戦争も生き抜き、御歳九拾余歳、人生長いことご苦労様でした。